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気を使いすぎる次男。「自分はどうしたいのか」にアクセスする。

「スープか何か飲む?」

今朝、朝食を準備しながら8歳の次男に尋ねた。春休みに入ったので、長男と長女はまだ悠々と寝ている。

次男は、私の目をじっと見ながら、しばらく何か言おうとして言葉にならず、迷いがあるようだった。

「コーンスープ(の粉末があるからお湯で溶いて)作ろうか?」

私はもう一度尋ね直した。すると次男は申し訳なさそうにこう言った。

「あ、、、いらない。お湯沸かしてくれたのにごめんだけど」

相手の顔色を見る

次男は人に気を遣うところが割とある。3人きょうだいの末っ子なのだけど、末っ子らしいワガママなところはほとんどなくて(ワガママ言うまでもなく、みんなが次男のしたいようにさせてあげてるからかもしれない)、相手の顔色をうかがって遠慮するような場面もある。

怒られることを極端に恐れているように感じるシーンもある。「なんで○○したの?」と普通の会話として尋ねただけなのに、次男には「○○しちゃダメじゃないのー!!(怒)」と聞こえているようで、じわっと涙目になったりする。

そんな次男の様子を見ていて、ちょっぴり心配になる。

その姿は、すごく私に似ているから。

自分はどうしたい?

私自身も「自分はどうしたい?」の前に、「相手は私にどうしてほしい?」と考えてしまうタチだ。

今でこそ、それに気づいたので「ちがうちがう、”自分は”どうしたい?」と問い直すことができている。けれど、子どもの頃は相手の望むことや、その場の空気が望む答えを出そうと必死に頭を働かせていた。だからいつも頭は忙しいし、正解かどうかが気になるし、自分の気持ちがよくわからなくなる時もあった。

次男にもそれと同じ匂いを感じた。

人の気持ちを慮ること、それ自体は悪いことではない。優しい心を持つ子に育ってくれていることはとてもうれしい。だけど、それと同じくらい「自分の意思」を大切にできる人間になってほしい。

スープ飲む?の前に

次男が「自分はどうしたい?」にすっとアクセスできるために私ができることがあるとすれば、安心して気持ちを出せる関係性作りだろう。何を言っても受け止めてくれる、自分の気持ちを出しても大丈夫。そんなふうに安心できる環境を作っていってあげたい。

今朝の会話。「スープか何か飲む?」に何か安心できる言葉を付け足せなかったかと考えてみる。

「コーヒーを淹れようと思ってお湯を沸かしたんだけど、ついでにスープでも作ろうか?」
「スープ飲みたいなら作るけど、どう?飲みたくなかったら断ってくれていいよ」

あぁ、提案を断る余地を示すのが大事なのかもしれない。他人との会話では普通にしていたことだったのに、家族だとすっかり抜け落ちてしまっていた。ちょっとよそよそしい感じも否めないけれど、今日からちょっと言葉を足してみようと思う。

今日も読んでくださりありがとうございました。

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