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焼き芋と父の思い出。

次男「また明日お芋焼いといてね〜!おやすみ〜」
私「はいよ〜。おやすみ〜」

「お芋」とは「石焼き芋」のこと。我が家ではこんな会話が頻出するくらい「石焼き芋」が定番になりつつある。

私は自他共に認めるさつまいも好きだ。
自宅には石焼き芋専用の土鍋があり、この冬は平均すると1週間に1回、2回?とにかくしょっちゅう焼いていた。

実は最近キッチンをリフォームしたついでに、もともとIHだったコンロをガスコンロに変えたのだけど、その一番の理由というのが「石焼き芋用の土鍋を使いたいから」というものだった。冗談ではなく、真剣に考えての結果である。

そのくらいさつまいも、とりわけ焼き芋に対する思い入れが強い。もちろん「味が好きだから」というのは大大大前提にあるのだけど、よくよく思い返してみると焼き芋に対しては特別な思い出がある。

さかのぼること15年前

長男を出産したあと1ヶ月半くらい、私は実家でお世話になっていた。私にとって初めての育児、両親にとっても初めての孫、今考えてもわからないことだらけで毎日目の前のふにゃふにゃの生命に対して一生懸命だったと思う。

母は私たちを育ててくれた経験もあるので赤ちゃんのオムツ替えなども事もなかったし、上げ膳据え膳で毎食栄養たっぷりの料理を作ってくれた。

一方の父は、赤ちゃんの抱っこもままならない。ザ・昭和のサラリーマンなので、赤ちゃん期の子育てには本当に1ミリも触れてこなかったんだとハッキリわかった。

父が作ってくれた焼き芋

どういう経緯だったかは覚えていないが、いつの頃からか、父が私のために毎日焼き芋を焼いてくれるようになった。それは私が自宅に帰る日まで続いた。

石焼き芋用の土鍋を使ってじっくり火を入れてホクホクやねっとりの焼き芋。授乳で空腹だった私にとっては腹にたまるありがたいおやつで、便秘がちな腸にもやさしく、野菜なのに甘くてスイーツのよう。幸せだった。

「焼き芋焼けた?」
「今日のお芋はなに?」

そんなやり取りが父との日常会話になった。私が喜んでほおばるものだから、父は会社の帰りにお店に寄っては異なる種類のさつまいもを買ってきてくれたりした。

子供の頃、父はどこか緊張する相手だった。優しい時もいっぱいあったけど、しつけは厳しい方だったので、父の前ではちゃんとしなきゃという気持ちがあったように思う。

だからかもしれない。焼き芋を口実に、なんとなく父に甘えられたような気持ちになり、私はうれしかった。

おまけ:私の推し芋

こうして、私にとって焼き芋は特別なものになった。

実家と同じように自宅でも焼き芋を焼きたくて、石焼き芋用の土鍋を買ってせっせと焼いた。今の家に引っ越してからしばらくは休眠してたけど、ガスコンロに変えて再びせっせと焼く日が訪れた。

ちなみに私の推しは「紅はるか」である。ねっとりと甘みが強い。この冬、一番上手に焼けた日、「これは飲める!」と長男に最高の褒め言葉をもらった。思わずガッツポーズをした。
(注:噛まなくていいくらい柔らかいの意)


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