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価値観を揺さぶられた高校受験。

今日は県立高校の合格発表日だった。私はあいにく他の用事があったので一緒に見にいくことはできなかったのだけど、お昼前に「合格」「余裕余裕(スタンプ)」という2通のLINEが届いていた。よかったよかった。田舎ゆえに、この辺りはほとんどの高校が定員割れしているような状況なので、合否に関しては心配していなかった。とは言え、やはりはっきり「合格」と聞くとホッとするものだ。やれやれ。よかったよかった。

それにしても、長男の高校受験では大いに価値観が揺さぶられた。40ん年培ってきた私のなかの「当たり前」や「期待」のようなものがぐおんぐおん音を立ててうごめいて混乱した。

一旦今日で一区切りということで、覚書として記しておこうと思う。

勉強嫌いだが勉強ができる

長男はいわゆる地頭が良いタイプの子で、小学生の頃からガリ勉をしなくてもそこそこの点数を取ってくる子供だった。要領がよくて、授業だけでほとんど理解してしまう。と同時に、面倒なことが大嫌いなので、やりたくない宿題はやらない。漢字練習に関しては小学2年生のときに見切りをつけたし、夏休みの宿題を一切やらずに新学期を迎えた年もあった。

中学に入ってもそれは変わらず、課題はあまり提出していないようだった。漢字を覚えることを放棄したのと同じ理由で英単語を覚えることも早々に放棄したので、英語の点数はいつも散々だった。

一生懸命やって当たり前

私も子供の頃は勉強ができた方だったけれど、長男とは真反対でガリ勉タイプだった。たくさん書いて、計算して、覚えようとして、課題にも真面目に取り組んで、がんばった結果としてやっと点数が取れた。

私にとって、目の前の課題をやることは当たり前だったし、より正確に、早く、知識を増やすこと、わかるようになるように取り組むことは当然で、前より少し賢くなるのを実感できると楽しかった。

だから、長男を見ていて、「面倒なことはやらない」という姿勢がどうにも理解できなかったし、「やらないからできない」に関しては、もったいないというかなんというか、怒りにも似た感情が湧いてくるくらいだった。

なにか一つ得意なこと

現代の傾向としては、「何か一つでも得意なこと、好きなことを見つけて生きていってほしい」というのがあると思う。私もそれには賛成だ。全部押し並べて平均的な人間より、何か苦手なものがあってもそれをカバーするくらいの得意なことや情熱を注げることがあるほうが、これからの世の中を生き抜いていける。それはごもっともだと思う。

長男の場合は、理科が得意だった。定期テストではいつも90点以上を取ってきていたし、本人も理科が好きだと言っていた。一方で、英語は散々だった。だから「英語は捨てて理科を活かせる進路を探そう」ということも考えた。

でも、どうしても私はここで英語を捨てるのは違うのではないか?とうずいて仕方がなかった。やってできないならまだしも、やらないでできないというのは私の中で許せなかった。

英語の起死回生

「このままだと、あなたの受験に対して何もできなかったと私が後悔しそうだから、塾に行ってみない?」

私は長男に英語だけ塾に行くことを提案した。普段、子供に何かゴリ押しすることはほとんどないのだけど、これだけはやっておかないと私が後悔する気がしてかなり強く提案した。長男も、家にいても勉強する気にならないのは自覚していたらしく、塾に行く時間だけ勉強がんばろうかな〜という感じで承諾してくれた。

かくして12月から週二回、英語だけ個別指導塾に通った。成果はおもしろいほどすぐに出た。3学期始まってすぐのテストで、今まで40点台だった英語が80点台を取ってきたのだ。本人も「わかる」という手応えを感じたようだ。まさに起死回生。

勉強か部活か

英語が順調に伸びる中、またしても私の価値観が揺さぶられる事態に直面した。志望校選びだ。

私の中の「当たり前」として、「なるべく自分が狙える最高レベル(偏差値)の学校を受ける」というのがあった。同じくらいの学力の人がいる環境に身を置いて切磋琢磨するのが良いというか、当たり前というか、そこに疑問さえ抱いていなかった。

しかし長男は、それとは違う基準で志望校を決めた。

「勉強を頑張るか、部活を頑張るか、だったら部活を頑張りたいからこっちにする」

当初、第一志望にしていた進学校を辞め、部活が強い別の普通科の高校に決めたのだ。

進学校の方は、毎日課題がたくさん出され、1年生のうちに2年生の教科書をやるようなところなので、大変らしい。それを聞いて「課題が多いとかは自分には無理!」と思ったらしく、「それより部活を頑張っていい成績残して推薦で大学に行く」などとぬるいことを言っている。

本人の意思を尊重したい気持ちはもちろんある。だけど、それ以上に自分の今までの常識とか価値観とまったく違う世界線で生きているということに衝撃を受け、飲み込むまでにとても時間がかかってしまった。

「面倒なことはやりたくない」という長男の思いも、立派な彼の価値観なのだと思う。意味を感じられないことをやらされるくらいなら、成績が下がっても気にしない。そういう強さがある。それは私にはできないことだし、カッコいいと思う。

もちろん、そばにいる大人としては「面倒なことでもときにはやらないといけないこともある」と言わないといけない場面もある。けれど全体的には彼の生き方として尊重したい。

まとめ

この1年間で、私の価値観は大いに揺さぶられた。長男を通して逆に私は、より高いレベルに行きたいとか、できないことをできるようになりたいとか、そういうことを大事にしている人間だったということを痛感した。

人は人。長男が自分の道を選択して歩き始めたように、私も私の道をこれからも選んで歩いていけたらと思う。

ふー。ひとまず受験、お疲れさまでした。



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