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私が思う個人と社会の関係

現代は、個人が自立しているようにみえるのだが、はたして社会人としての生き方の方向感覚は大丈夫なのだろうか、と思うことがある。
お前に言われたくない、と思っている昔の部下たちもいるだろう。
反論のしようがない。
それでもあえて伝えておこう。

企業の経営者は、低成長時代が長く続いたからだろうか、経営の方向感覚を喪失させているようにもみえる。
現在の企業活動における問題の多くは、人によって引き起こされている。
適法性のところでも述べたが、いくら法律を厳しくしても、必ず破る人間が現われてくるものだ。
法律を破っても利益に固執する経営となんなのだろう、と思う。
その結果、社会を壊していく。
ユーザーの信頼を裏切り、下請け企業は苦境に陥り、さらに企業で働く従業員は生活設計を見直すことになる。

良い企業は、経営者、特に創業者に人を得ている。
ダイハツとて、よき創業者を得ていたからこそ、今日があった。
ホンダやソニーに限らず、現代社会において中核的な役割を担っている企業は、創業者の人間性を根底に企業文化、社風が生まれているといってよいだろう。
「修己治人」という儒教の教えがあるが、創業者に共通するのは、自分で修養して徳を積み、あるいはもともと「徳」が備わっていたのだろうか、その「徳」で、世(企業)を治めていたといえる。
本田さんに限らず、かなりやんちゃな経営者もいたようだが、社員に愛されていたのだから、やはり「徳」があった。
人間の「徳」というテーマは、人間ができていない私が語るには重い。
そこまでむずかしく考えなくとも、井深さんや盛田さんのように、人を大切にしてきたことが、企業を成長拡大できた最大の要因だろうか。

私はむずかしい論語など解説する力はないが、すくなくとも人は「社会の中に存在」しており「会社」「個人」「家庭」は、個別に存在するのではなく、社会と人間という関係の中で存在していると考えている。
常に、イメージBを想像している。

個人と社会の関係 by nsaccountstaff

イメージBを前提にすれば、社会におけるひとりひとりの人間の人間性が究極的に社会を構成し、個人や個人の集合体である企業や家庭は、人間性を前提に築かれるものであるとわかる。
もっとも、私は、社会や人とのつながりは苦手なので、自分でやれる範囲でこつこつとやることしかできない。
それでも、家庭では良き夫であり親である個人が、企業社会の中では簡単に悪事をおこなうなどは、社会と人間の在り方、特に「人間性」が社会全体を決定しているという認識をもたず、企業、家庭、個人を個別機能として捉えて生きているとしか思えない。

悪事とまでは言わないが、社会性を少々欠いている経営者を有する企業で仕事をすると、人間としてすごく違和感を覚える。
また、この種の企業では、とかく恨まれることが多いのだが、社会性に基づく企業運営をおこなってもらうように是正する方向でアドバイスをするが、残念だが、このタイプの経営者は聞く耳をもたなかった。
そして大体において、私は、そのような企業を去ることになる。
致し方ない。
人間として生きていく前提が違うからだ。

企業という器は、ときに経営者と社員との関係をわかりにくくする。
経営者も人間であれば、社員も人間なのだが。。。


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