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深夜1時から朝までが、僕が正気でいられる時間だ

起きたまま見る悪夢と、それから逃れるための寝逃げ

大体いつも夜の1時ごろに目を覚ます。日に3、4回ある目覚めの中で一番マシな起床だ。

24時間のうち大体半分は寝ていると思う。2時間、3時間、5時間、2時間…僕が寝たいと思う理由は睡魔より現実逃避の意味が強い。こういう睡眠を「寝逃げ」と言うらしい。

意識がある間ずっと自分のした失敗や後悔のことを考えている。どんなに頭から追い出そうとしても消えてくれない。
吐きそうになるほど鮮明な「その時カメラは捉えた!人生をしくじった瞬間SP」の記録映像が頭の中でぐるぐるぐるぐる、エンドレスで上映され続けている。
受け答えを間違えて失望された顔、余計なことを言って困惑させてしまった顔、その人たちは皆元々僕に親身になってくれた人だ。だったのに…という内容のテレビ番組を、観覧のお客さんの「ええ~!?」「キャー!!」「ひえ~っ」というSE付きで、時計仕掛けのオレンジのあいつのように縛り付けられた状態で見せられている気分だ。これが起きている間延々と続く。

こんな白昼夢に悩まされる生活がここ1年ずっと続いている。この上映会を打ち切る方法は3つ。必死で働くか、寝るか、暴飲暴食するか。

働くこと、寝ること、酒を飲んで飯を食うこと

この中だと寝るのが一番楽で安上がりだ。
無心になって働くのは割と効果的だし金銭的にも必須のことだけど、そこで失敗すれば脳内上映会の品目が一つ増えるリスクがある。実際この1年で試したバイトの中で何個か増えた。
暴飲暴食は一番楽しいが健康リスクもあり、ただでさえ乏しい貯金が減る。
布団をかぶって寝てしまうのが一番手軽だ。

上映会は起きた瞬間に始まる。
目が覚めたことに絶望してから1日が始まる。
この寝覚めの絶望が一番きつい。起きあがってまず思い出すのが自分の1年も前の失敗だ。どうかしている。
どの苦痛に耐えかねて眠くもないのに二度寝することもよくある。

結局僕は自分のことしか考えていない

ふと冷静になったときに反省する。
いつまでも自分の過去、自分の失態、自分が間違えた選択肢のことに脳のキャパを取られている。
こんなのはただの自己中で、反省していることにならない。そういう反省を今している。何処まで行っても独り相撲だ。

働くことの良いことは、僕のこんな悩みなんて相手には知ったこっちゃないという所にある。
求められている役というものがある。プールの監視員、警備員、アシスタント、これは僕がやるべきことをしさえすればよく、雇用主やクライアントが望んでいる役割を果たせばよい。
僕の自我なんてそこには要らない。
自我に囚われて勝手に一人で苦しんでいる身としてはありがたいことだ。

そしてその役割があるから、ぎりぎり僕は睡眠時間を1日の半分で済ませられる。
遅刻だけはしたくない。
〆切を守りたい。
人に迷惑を掛けたくない、という気持ちが僕を社会に繋ぎとめる。

手元に残った可処分時間で人生をやりくりするしかない

寝逃げ癖のせいで人生の可処分時間が短い。ひたすら寝て、働いて、それをやっていたら一日の残り時間はわずかだ。あっという間に月日が過ぎ、「やるべきことをやっていない自分」が取り残される。
問題は肥大化していく一方だ。

それでも、そうでもしないと、生きていることの苦痛に耐えられない。どうにか嫌なことをやり過ごしながら、頭がはっきりしていて体が動く時間を作るしか方法が無い。

日に何度も寝たり起きたりを繰り返していると、流石にのたうち回ることにも飽きるのか、割とスッキリした目覚めを迎えるときがある。
それが夜1時の起床だ。何度目の起床か、何時に起きるかはその日の仕事量と体調による。

この時間が一番僕が自由で明瞭でいられる。

皿を洗い、ゴミをまとめ、トイレを掃除し、風呂に入り、歯を磨き髭を剃る。
聴けるときはラジオを聴く。深夜ラジオは僕のような人間に優しい。
ずっと読もうと思っていたのに億劫で読めなかった本を読み、仕事じゃないけど描きたいと思っていた絵や漫画を描く。
米を炊いて食べる。お湯を沸かして麦茶を作る。
日中進まなかった仕事を進める。
誰も起きていない夜に音楽を聴いてわけもわからず泣いたりする。
夜明けまでの時間だけ、頼まれもしないのに勝手に抱え込んだ自己嫌悪から自由になれる。

魔法が解けるのは大体いつも朝8時位で、なぜだか空が明るくなるとまた正気を失ってしまう。
この時間になるといつも「ああ、これはもうダメだな。また上映会が始まってしまう」と、何かを諦めるような気持ちになる。
精一杯の抵抗で、ゴミをまとめてアパートの前に出し、念入りに歯を磨いて、寝巻きに着替えてすごすごとベッドに入る。

ベッドには「重い布団」を採用している。
重さが7kgある掛け布団で、寝返りを打つ回数が減るとかなんとか。
実際これがあるとよく眠れる。悪夢を見ることが少なくなった。

重い布団に毛布を乗せて目を閉じていると、何か大いなる存在に自分が踏みつけられている気持ちになる。
神がそこにいるのなら、確かに僕に罰を与えるだろうと思う。
すでに受けているのかもしれない。

自分都合の解釈で人生を歪めてはいけない

この苦しみがいつか終わることを夢見て今日何度目かの眠りにつく。
前は「苦しかった体験があるから創作に活かせる」みたいなことを考えていたが、そんなことはない。快活に働いて他者と交流しながら良いものを出力できる方が絶対良い。
結局はこれも僕の勝手な解釈だ。僕はずっと、自分の都合のいいように自分に起きた出来事や自分の周りの人の気持ちを解釈して生きている、だから実態と齟齬が生まれて、誰かを傷つけたり失望させたりしてしまう。
不毛だ。僕は物語の主人公ではない。

ふと、もし僕に祈る神や信仰があれば、こんな不毛なことで悩むことも減るかもしれないと思う。
僕は今まで、僕が勝手に作った自分の物語を信仰してきた。「色々あるけどきっとうまくいく、夢はかなう、何者かになれる」というような。
その神話が粉々に砕け、打ち震えているのが今だとして、そこから反転して「どうせろくなことにならない、この世は地獄だ」というペシミズムに傾倒してはいけない。それもまた僕の解釈でしかないから。
どうせ解釈を挟んでゆがめた視界でしか世界を見れないのなら、せめて世界がきれいに見えるレンズが良い。何か別の信仰が必要なんだと思う。それは多分、特定の宗教という形である必要はない。

とにかく、苦しみが消えてくれることを願うばかりだ。
もう「自分の努力でコンプレックスや過去を克服する」みたいなナラティブを信じることはできない。ここから先に物語はない。
コツコツとできることをやってマシにしていくか、寝逃げして結論を遠ざけ続けているうちに時間切れになるかしかない。

「働く」「寝る」「暴飲暴食」以外の、4つめの選択肢


本当は、これの対処法には4つめがある。
「自分がやると決めたこと、やりたかったはずのことをきちんとやること」だ。
僕は今、打ち切りになった漫画の続きを自分で勝手に描いている。
1年前にやると決めたからだ。
仕事というものの定義を「生活費が稼げる」「他人に頼まれている」の2つとするなら、この作業はどちらにも当てはまっていない。稼げもしないのに勝手にやっている。
なんでこんなことやってるんだろう?と思うことも正直ある。

だけど、これをやることで自分の中で満足感が得られる。
やってる最中は夢中だし、あとから振り返っても割と楽しかったなと言う気持ち。
本当はこれが一番、あの白昼夢の悪夢を頭から追い出すのに効くんだけど、こればっかりに拘泥できないまま時間が過ぎていくのがもどかしい。

都合のいい解釈で現実逃避をせず、自分の残り時間を見据えながら、ちょっとずつマシな自分になっていけたらいいなと思う。



また朝が来る。不本意ながら、たぶん2時間後位に僕はまた寝てしまうだろう。
寝ることより起きることが怖い。
せめて正気を保っているうちに資源ごみをまとめておこうと思う。




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