『流言蜚語』 清水幾太郎

 『メディア論の名著30』 (佐藤卓己、ちくま新書、2020)という本で紹介されていて、読みました。流言蜚語 (りゅうげんひご)は口コミとかデマ、広く取れば都市伝説も含みそうな、広い意味での一種の報道形態を指す言葉で、本書では、その流言蜚語の特徴とか意義などが社会心理学的に考察されます。
 私が読んだちくま学芸文庫版は東日本大震災を思って再編集された本のようで、第一部が「流言蜚語」という二部構成の論文で、第二部の「大震災は私を変えた」は2篇の中論文と2篇の小論文から成ります。ちなみに本書でいう大震災は2011年の東日本大震災でなく1923年の関東大震災です。1907年生まれの清水さんは、関東大震災の、とくに被害の大きかった地域での被災者です。


 読み始めてすぐ気づくのは、ものすっごく文章の巧い人だ!ということです。一文が相当長い文章でも内容がこんがらがらないし、ちょっと図が欲しくなりそうな入り組んだ論述が続いてもあれ? あれ?とならない。すごいなあ……と感激していたら、むかし読んだ名著『論文の書き方』の著者でした(!)。……うーん、さすが。説得力はある・煽動的ではない、めちゃくちゃ論理的な日本語、の見事なお手本だと思います。


 第一部の「流言蜚語」は、立ち位置が前半では〈上から目線〉、後半では〈下から目線〉みたいな作りになっています。まず〈上から目線〉の前半では、危機的状況に陥ると人は必死で情報を求めるものだから、流言蜚語による混乱を防ぎたいなら早急に事実を公表すべきだ。それも断片的な事実でなく、因果関係のわかる、というか一連の経緯が聞く者に納得できる形で、事実の流れのまとまりとして公表するべきだ、と、公正で正直な情報公開のススメが、流言蜚語への対処方法として語られます。一方、〈下から目線〉の後半では、権力の抑圧に逆らって何事かを主張したいなら流言蜚語は使えるぞ、みたいな秘かな入れ知恵ふうの語りになります。
 そして第二部「大震災は私を変えた」では若き日の被災体験とその衝撃、今後の防災への提案が語られます。体験の内容はここには書きませんが、すさまじく、痛ましい。防災の提案として挙げられた〈まず橋を直すべし〉は私もまったく同感です。

 第一部の〈上から目線〉〈下から目線〉ふうの対照的な論述を読んだ私は、視野の広い人だなあという思いと、おもしろい作り方だなという興味を感じました。が、読後、調べてみると(といってもウィキペディアを読んだだけですが)そんな単純な話ではなかったようです。清水さんは戦前・戦中・戦後を通してジャーナリズムに携わっておられたのですが、その間の主張について転向したとかしないとか毀誉褒貶があるようなのです。ですが、「流言蜚語」が書かれたのは1923年、まだ第二次大戦前です。この時期からこのような二重視点みたいな書き方をされていたということは、その時々の時流に強制されて書き方を変えたのでなく、ずーっと一貫して〈本当の主張は表立っては書かない〉を通してこられた可能性が高いと私は想像します。おそらくは、尊敬していた大杉栄が軍人に殺された事実を知って以降、自説をあからさまに公開してはならない、という切実な恐怖心からくる警戒を自分に課されたのではないでしょうか……。
 計算と覚悟の上で〈二枚舌的論述〉を使い、その上で説得力ある論理的な文章を書き続けるなんて、卓越した文章力がなくてはできないことです。時代を追って、清水さんの著作集を読んでみたくなりました。


 『流言蜚語』 清水幾太郎(いくたろう)
 ちくま学芸文庫 2011年

(2021年5月21日ブログで公開)


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