つくるのはじまり #0
無理なく続けられることを見つけることからはじまるのだと思う。
たとえば、
なんとはなしに紙をハサミで切ることかもしれないし、
えんぴつで線を引くことかもしれないし、
粘土をいじることかもしれないし、
紙をテープでくっつけていくことかもしれないし、
色を塗り広げていくことかもしれない。
本当になんでもいい。
このとき、何を表現したいかとか、良いものを作らなきゃとか、そんなことは考えなくていい。
逆にやったらいけないこともない。
頭を空っぽにして、ただ、没頭して手を動かすことだけに集中すればいい。
ああ、もうやめたいなと思うなら、やめる。きっとそれは好きじゃないもの、もしくは時期尚早だからだ。
手を動かし続けていると、ある瞬間、「まあこんなもんかな」と思うときが来る。そしたら手を止める。
さっきまで手に触れていたもの、それが作品というやつだ。
作品をじっと見てみる。
なんかいいかもと思うなら、何が作品を良くさせているのか探してみる。
作品を良くさせているものが見つかったら、次回同じ作業をするときに、それをたくさん取り入れてみる。
なんかビミョーと思うなら、何が作品をビミョーにさせているのか探してみる。
作品をビミョーにさせているものが見つかったら、次回同じ作業をするときに、それを取り除いてみたり、手段を変えたらしてみる。
そういうことを繰り返していると、だんだん人に言いたくなってくる。
「この作品の、こういうところがいいと思わない?」って。
そう思うなら、人に見せてみればいい。
見せる人は、本音で話し合える間柄の人がいいだろう。
きっとその人は感じたことを素直に言ってくれるはず。
もし、自分がいいと思っている部分を指摘してくれたのなら、この上ない喜びを得られる。これが、泥沼のはじまり。
もし否定されても、どうして良いと思えないのかを聞くといい。そいつをどうにかして見返してやりたくなる。これもまた、泥沼のはじまり。
共感してもらえた、伝わった喜びを、また味わいたくなって作りたくなる。
もしくは、伝わらなかった悔しさで、もっと良いものを作りたくなる。
あるとき、「どうして、よくならないんだろう?」と思うかもしれない。
そしたら、人の作品を見てみる。
自分以外だったら誰でもいい。
人の作品を見て、その作品の事を素敵だと思うなら、何が素敵だと思わせているのかを探してみる。
答えはすぐにわからなくてもいい。
考え続けることが大事なのだ。
同じように、真似してみてもいい。
素敵だと思うものが見つかったら、自分の作品に取り入れてみる。
もしかしたら、以前よりちょっとだけ素敵になるかもしれないし、「なんか違う」となるかもしれない。しかし、やってみないことには知ることができない。
人の作品を見て、わからないと思うなら、知識や経験が足りないので、作者が何を伝えたいのかを考えてみるといい。関係のありそうな本を読んでみたり、作者に聞いてみるという手もある。
しばらくわからなくても、いつかそのうち理解して、ジワッと浸透して、素敵だと思える日がやってくる。
人の作品を見て、良いと思えないのなら、何がそう思わせているのかを考える。
きっとその作品には好きではない要素があるはず。
そしたら、嫌いを表現したいときに、好きではない要素を取り入れればいい。
そうやって、気が付いた時には、泥沼に首まで浸かっているのだ。