友人が行きたいという展示を観に、遠方まで足を伸ばした。
いつもながらに大幅に遅刻してきた彼は、小走りでやってきて、「いやぁ、ごめんなさい。休日ダイヤなのを忘れてた。」と言う。
私と一緒に彼を待っていた友人は、「もう!遅い!」などとやいのやいの言っていたが、「はい、じゃあ行きますか」とぶった斬って、目的地へ向かった。
彼のことを想えば、きちんと心に刻みつけるほど叱ってあげた方がいいのかなとは思うけれど、そこまでの優しさは持ち合わせていないので、何も言わない。
彼が、大事な場面で遅刻してしまえばいいとさえ思う。
そう思ってから、最近noteをおざなりにしていることを思い出して、少し自己嫌悪に陥った。
約束を破るというのは、罪と罰なのだと思う。
毎日更新をしなかったことが罪、決めたことを1度破ってしまった後でそれを継続しようとすると、罪を犯すという蜜を知る前よりも、気合いと根気強さが必要になり、書きたいという純粋な気持ちと責任感が薄れていくことが罰なのだ。
1度破ってしまったからもういいやと思わない人なんて、いるのだろうか。いたとすれば、その人は根性があるというよりも、罰を受け続けていたとしても大切にしたい何かがあるのだろう。
浮気をした人はまた浮気するし、遅刻をした人はまた遅刻するし、noteの更新を忘れればまた忘れる。
事の大小はあれど、そういうことなのだろうと思わないでもない。
私たちは美術館へ行った後、かなり遅めの昼食を摂り、「今度みんなで千葉のテーマパークに行こう」という誘いを断っていたら、成り行きでその日のうちに占いに行くことになった。なぜだろう。
飛び込みでも占ってくれるとのことだったので、占いをしたことがない2人を占ってもらうことになった。
友人へ付き添ってもいいか尋ねたら、全然良いよと返答をもらったので同席した。
その後、お茶をしながら、結果について話しあった。
冒頭に書いた彼の結果は、まあ確かにそうかもなというくらいには当たっていて、助言を大まかに書くと、「彼にしかない才能があるが、大器晩成型なので焦らず、自分が良いと思う方へ行きなさい」と言われていた。
彼は「俺は将来大物になるから、今度会う時はこうして横に座れないかもしれないよ。両脇に美女を抱いて、札束でビンタしてあげる。」とエアーで持った札束でビンタするジェスチャーをしながら、呆れるほど調子に乗りまくっていた。
けれど、最後に「だから、今日遅刻したのも許して」と言った。
もうとっくに、彼が遅刻して来たことなんてすっかり忘れていたのに。
彼はたぶん、今日ずっと人知れず、きちんと罰を受けていたのだ。
次、遅刻してきたら叱ってあげようかなと思った。