何で美しいものじゃなきゃいけないの?
今日も仕事に行って、帰ってきて、食事を摂って、シャワーを浴び、昨日と同じ場所で、小さなスツールの上にノートブックを置き、noteを書いている。
昨日と違うのは、そのまま眠らなかったことと、食後にローソンのチビどら焼きを1つと、バニラアイスを3口食べたことだ。
昨日の投稿でコメントをいただいていたので、投稿を読み返していると、内容がネガティブ過ぎてちょっと笑ってしまった。
自分がネガティブ思考なのはいつものことで、日常生活で嫌なことがあったわけでもないし、何なら割と幸せなのだけれど、なぜかネガティブが色濃く出てしまう日がある。
何となくだけど、幸せそうなポジティブな人と触れ合ったり、お話を聞いたりしていると、私もそうなりたいなと思って、一瞬ちょっとだけ明るくなる。
けど、しばらくしたらネガティブな自分が出てきて、「嘘をつくんじゃあないよ」と、首根っこを掴まれ、ネガティブの闇に引き戻してくるのだ。
そんなこんなで今日もネガティブだけど、鬱ではなくて、ただただそういう性格なのだと思う。いまもこのnoteを書きながら、鼻歌を歌いながら、ぬいぐるみの頭を撫でて、ふふふんってなっているし。もしかしたら、ネガティブ思考を言語化する能力が高いのかもしれないな。なんちゃって。
昨日、何のためにnoteを書くのか、ちょっとわからなくなった。
でも、1日置いて思うのは、やっぱり自分のためだということだ。
ただ思考を整理して、日常の出来事を描写して、終わりじゃなくて、やっぱり人に見てもらいたいのだと思う。そして、感想をいただいたり、応援していただいたり、共感してもらえたり、理解してもらえるのは、とても嬉しい。
嬉しいから、こうして続けられているのだと思う。
だから本当に、いつもありがとうございます。
あともう1つ、何を伝えるために描くかということも考えたい。
今までは、美しいものを見つけて、絵を描くことでその美しさを伝えられたらいいなと思っていたし、美しく見えるように表現しなければと思っていた。
だけど、「何で美しいものじゃなきゃいけないの?」と問われると、わからなくなった。
横浜トリエンナーレなどの現代美術を見ているとやたらとそう感じるし、自分が前時代的過ぎて時代に取り残されたように感じる。
でもね、年齢も、性別も、国境も、知識があろうが無かろうが関係なく、みんなが共通して美しいと思えるから、美しいものを追求したくなるのかなと思う。
そういうものに仕上がるがどうかは、私の努力次第だけれどもね….
というわけなので、引き続き頑張ります。
よろしくお願いします。