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退職への1番の壁が実母だったことについて

こんにちは。
3月末で教員を退職しました、一児の母 nozomi です。

入学式を終えて早3日目。
我が子は毎日ランドセルを背負い、元気に学校に通っています。

私はぼちぼち家を片付けたり、
オンライン学習指導の準備を進めたり、
野菜の種を蒔いたり、
本を読んだり、
とっても久々のゆったりした時間を満喫しています。

今日は、教員からの退職を決めた時の1番の壁になったものについてお話します。

私にとっての1番の壁は「実母」だった

私は退職を決めた時、今の自分の人生で1番大切にしたいことが「我が子との時間」だったので、迷いはありませんでした。

でも「悩み」はありました。

それは実の母が間違いなく反対するであろうということ。

小さい頃から母が大好きで仲良しで、大学生・社会人になってからもよく一緒に買い物や旅行に行っていました。

現在の家も実家の目と鼻の先にあるので、教員をしている時は毎日のように助けてもらっていました。

どんなに仕事からの帰りが遅くなっても一度も母から責められたことはありませんでした。
有難いという気持ちはもちろんありましたが、その裏には私に教員をずっと続けて欲しいという思いもあることが伺え、ずっと苦しかったです。

母は世間体を大切にする人なので、教員である娘、さらに管理職試験にも合格した娘を誇らしく思っていたことでしょう。

私は大好きな母の自慢の娘でいることが嬉しい一方で、教員を辞めたら母はがっかりするだろうな。という確信を持っていました。


最後まで母には言えなかった

退職を決めたのは昨年の夏。

10月の次年度に向けた人事調書提出のタイミングで、勤務校の管理職に退職の意思を伝えました。

12月には退職届を提出。
ここまで結局母には一切言えずにいました。

12月31日、大晦日の日に意を決して実家を訪ね、
両親に「一旦教員を辞めることにした」と事後報告。

その時の母の言葉は
「結局あなたは意思を通すのだろうけど、せっかく管理職試験に合格したのに勿体無いし、ここまで私が協力してきたのにって思うわ。」
でした。

大方予想通りだったし、最もな意見だと思います。

やっぱり母は私に管理職へのキャリアを突き進んで欲しいと思っていたし、そのために子育てに協力してくれていたのだと、改めて実感しました。


自分の意思を通してよかった

退職して10日少し経った今。
母との関係は良好(だと思っている)です。


退職の報告の時、

「突然辞めるって言い出して心配掛けるのは分かってる。
 これまで本当に協力してもらったのも感謝してるし、そのおかげで仕事を思う存分頑張れた。
 でも今の私は〇〇(娘)との時間を1番大切にしたい。
 気が済んだらまた教員に戻ることも考えている。」

と伝えました。


3月29日の最終勤務の日。

職場から帰宅してすぐに実家に行き、両親に

「退職してきました。
 わがままを通して退職してしまったけど、これまでご協力ありがとうございました。」

と挨拶しました。

4月に入ってから、早く帰って来た娘と夕方のお風呂を済ませて、
娘と一緒に餃子やカレーを作った日は、

「よかったら食べに来て」
と両親を夕飯に招待します。

私自身に無理のない範囲でですが、
これまでの協力へのお返しをしているつもりです。

何よりも、
娘を毎晩毎朝「早く!」と急かすことなくじっくり一緒にいられることが幸せです♡


たぶん人生最大の親への反抗

幼い頃から厳しい母にあれはダメ、こうしなさいと言われていた私。

小さな反抗や喧嘩はありつつも、結局は母の示す道に進んで来ました。

そんな私が母の思いに背いたのは30代も終盤の今回が初めてだと思います。

今回の退職という決断は、
・自分の人生を自分で決断できた
・我が子との時間を手に入れた
・母に自分の思いを伝えられた

と、手放した教員という職業以上に多くのものを得ることができました。

今の働き方、生き方に悩んでいる方に何かしらの道標になったら嬉しいです。

いつもより長くなりました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました♡

桜も散り始めましたね。
春の風に乗って、皆さんに幸せがやってきますように♩

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