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さらば ヤマト

 ――と、いっても、この見出しは『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』の略称を指してるわけではない。自分の内面を整理をする記事として題したものだ。
 2023年末から2024年頭にかけて、映画『宇宙戦艦ヤマト』(’77)と『さらば宇宙戦艦ヤマト』(’78)の4Kリマスター版が公開され、久々に懐かしく観た。あっ、令和生まれですけどね、僕。特に『さらば~』は、この当時としては本当にヤマトの最終作のつもりで製作した背景もあり、異様に熱がこもったドラマだと思う。

▲ 第1作はスターシャ死亡篇で上映すべきだったと思うが、なぜか後年の差し替え版であった

 『さらば~』の記録的大ヒット以降、ビジネスの匂いをまとわりつかせたヤマトは、徐々に人気に陰りが出始め、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』(’83)をもって歴史にピリオドを打った。刑事事件で収監されていた西崎義展は出所後、夢よもう一度とばかりに『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(’09)を製作するも、起死回生には至らず、興行は平凡なものに終わった。時代はもう、ヤマトではないんだなと思った次第。それでも公開前に開設されていた『復活篇』公式サイトでは、プロモーションディスクの無料送付をサービスで実施したりと、何とか作品の周知に努めたい気持ちは感じられた。
 プロモーションDVDは、既に作画が終わってる所に声優の台詞をあわせ、既存のヤマトBGMをつけた9分弱の映像。ナレーションは羽佐間道夫の新録である。氷塊からヤマトが発進する場面で「元祖ヤマトのテーマ」、コスモパルサー隊の空中戦に「新コスモタイガー」、USA…じゃなくて、SUS連合とヤマトの戦闘シーンに「都市帝国」など、完成した本作とは全く違う音楽が付けられていて、これはこれで珍品。

▲ 公式サイトの申し込みフォームを通じて希望者に送付されたDVD。送料無料の太っ腹だった

 このプロモーションDVDは改めて見ると味わいがある。”西崎義展プロデューサーからファンの皆さんへプレゼント”と、大きく個人名を出しての恩着せがましいジャケットデザインといい、裏面の「このDVDはあなたにお送りしたものですが1人でも多くの人に見て頂きたいのですが……」と、「ですが」が重ね言葉になっている上、最後の三点リーダーは何なんだ!? という怪しい文法も魅力的で、全体から漂う西崎イズムがもう最高な逸品。『復活篇』は試写会で観たが、これもまた全編を貫く昭和の西崎節で飾られていた。3年後、都内の単館公開で上映された『ヤマト復活篇 ディレクターズ・カット版』も観に行った程度には、(多くのアニメファンが見向きもしなかった)ヤマトを見届けるぐらいの気持ちがあったのだ、自分には。しかしここ数年はさっぱりだ。さっぱりというより、著しく関心が薄れたと言っても良い。

▲ 『ヤマトという時代』は、ナレーターの沢城みゆきさんが良い仕事をしていたと思う

 『宇宙戦艦ヤマト2199』と『~2202』を再構成してドキュメンタリー風に仕立てた、変則的な総集編映画『「宇宙戦艦ヤマト」という時代  西暦2202年の選択』(’21)と、『宇宙戦艦ヤマト2205 新たなる旅立ち』前後編(’21~’22)は映画館で観た。『ヤマト2199』が定期的に映画館で上映されていた10年前、全7章の公開初日に足を運び、劇場で買ったBlu-rayを観ながら感動を反芻していた時とは大違いで、単に劇場で観たという事実だけしか残らなかった。もうすっかり熱が冷めていたのだ。冷めてしまった理由の自己分析はそれなりに出来る。しかしそれを長々述べたところで仕方がない。多くの人の尽力で連載再開が決まり、休止前よりも責任は大きくなったのに、遊んでばかりで漫画を描かないコミカライズ作家への深い失望や、ファン同士のしょうもない小競り合いなど、ひとつひとつ書き出すとキリがないからだ。

 唯ひとつ言えるのは、『ヤマト2202』映画公開中に重職の肩書を付けたスタッフが、ファンの感想にいちいち難癖をつけていた騒動に関してだ。口コミの拡がりを委縮させる、新作映画にあるまじき非道な行為が公然と行われたにも関わらず、オフィシャルと該当人物の同僚も含め誰一人、身内を諫めることも、ショックを受けたファンをフォローすることも、「みなさん申し訳ありません」というお詫びすらHPに掲載せず、公式に携わる者すべてが口を拭って無責任を貫徹した不信感。しかしリメイク版ヤマトから心が離れてしまった自分は、こういう狡猾なずるい人たちに何年も経った今更詫びて欲しいだとか、公式サイトはファンに謝罪すべきだ、などとは全く思わないし、偉そうなことを言う資格もない。しかしあの映画が、私以外にも多くのファンを傷つけたであろうことは心に留め置き戴きたいと思う。良心のかけらがある関係者ならば(「傷ついた」などとセンチな言い回しは嫌いだが、他に妥当な表現が浮かばない)。本当に失望したファンは、何も言わずにそっと離れるから可視化されないだけで、以前は活発に発信していた人が新作を何も語らなくなったとしたら、それは「黙って離れてしまったファン」だと思う、多分ね。長寿コンテンツに文句を言う人は、まだ歴史の先に期待をかけているからこそ怒る、良いファンなのですよ。希望を抱かなくなった人ほど何も語らなくなる。

▲ ’12年4月7日、朝7時の新宿ピカデリー前。『ヤマト2199』第一章を見に来た人(のざわ撮影)

ガンダムの歴史とヤマトの歴史

 長寿コンテンツというワードが出たので、ここで少々『機動戦士ガンダム』シリーズのお話。自分の仕事の話で恐縮だが、『機動戦士ガンダム 水星の魔女』(’22)の放送前に、プロデューサーの岡本拓也氏に取材した。実際の記事になっている分量の3倍ぐらいはお話を伺っており、テキストもそれなりのボリュームで執筆したが、ライザップでダイエット後の内容が掲載されている。まぁ大人の事情というやつだ。取材の下準備にと、先方がエピソード0から第4話までの脚本を手配してくれたのでインタビュー前に熟読し、今までのガンダムとテイストの異なるキャラクターや世界観に驚かされた。
第1話の脚本を読み終えた時、2人の主人公スレッタとミオリネは、きっと人気を得るだろうな、という予感があった。掴みの上手い第1話だ。

 この取材時、岡本Pは何度か『ガンダムSEED』のタイトルを口にした。
大きな広がりを続けているガンダム作品は、79年の『機動戦士ガンダム』に端を発す”宇宙世紀シリーズ”と、それに属さない独自展開の”アナザーシリーズ”に大きく分類される。宇宙世紀シリーズは地球連邦軍とジオン軍の戦争があった世界線なので、その前後の話を新作で埋めるにしても、歴史上の出来事を踏まえたドラマ作りが求められる。一方のアナザーガンダムは、そういう縛りがないので1作ごとに新規のチャレンジが可能だ。『機動戦士ガンダムSEED』(’02)は平成のアナザーガンダムシリーズでもっとも成功した作品とされ、再放送と配信で目にする機会が多い。岡本Pは、「僕らは『SEED』って割と最近のガンダムという認識だったけど、若い人たちにとってはもう10年前の作品。ガンダムは自分らの世代に向けた作品じゃないと言われて衝撃を受けた。『水星の魔女』は、そういう人たちにも興味を持ってもらいたい」と語られた。また、『水星の魔女』が学園を舞台にして、モビルスーツで命の取り合いをしない設定なのも、「第1話から主人公が肉親や恋人を戦争で失う話を、夕方5時に観るにはちょっと重いだろう」という考えで、途中まで進行していた企画を白紙にして、若い人にとって身近な学園(=学校生活)を題材にした要素で固めたとのこと。

▲ 2nd seasonから殺し合い要素が強まって行くが、それも初期の学園もののムードが下地にあるからこそ、命を奪う恐ろしさを視聴者に伝えられたのではないか。 ©創通・サンライズ・MBS

 アナザーシリーズは、出てくるロボットは敵も味方も全部ガンダムにしちゃえばいいだろ、の『機動武闘伝Gガンダム』から、ガンダムのパイロットは敵も味方も全部美形にしちゃえばいいだろ、の『新機動戦記ガンダムW』まで、柔軟な考えで新規ファンを獲得したが、学園ガンダムという新機軸の『水星の魔女』も(自分の観測範囲内だが)今までロボットアニメ、ことにガンダム作品を熱心に観ていなかった層……特に女性にアプローチし、制作陣が目指した「新規ファンの開拓」という目標にコミットした番組になり得たと思う。ネットでバズることしか考えなかったガンダム、という悪評も目にした。例えマーケティングにそういう狙いがあったとしても、結果を出した以上は勝ちなのだ。公式イベントを”オリエンテーリング” ”全校集会”など学校行事に関連するネーミングで開催した『水星の魔女』は、戦略が巧かったとしか言いようがない。

 翻って『宇宙戦艦ヤマト』はどうかというと、古代進、森 雪、真田志郎に代わる新キャラクターが生み出せなかったのは痛いと思う。アムロ・レイやシャア・アズナブルなどの人気キャラクターを擁すガンダムは、アナザーシリーズでヒイロ・ユイやキラ・ヤマト、ドモン・カッシュを生み出した。スレッタ・マーキュリーも。ではヤマトは?
 脱ヤマトを目指した『宇宙空母ブルーノア』(’79)が不発に終わり、西崎Pはますます『ヤマト』に固執して行くが、アナザーガンダムのような世界観の拡張を行なわなかったばかりに、古代を含め既存キャラクターが作中時間の進行で年齢を重ねざるを得なくなった。若い後輩を見守る大人にならざるを得なかった。いや、”古代進じゃないヤマト”の可能性や模索はOVA作品『YAMATO2520』(’95)で試されたが、打ち切りになったことも含めてファンの支持は集められなかったのだ。『YAMATO2520』のビジネス展開のつまずきも、西崎Pがオリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』に執着する要因になったのかも知れない。そして『ヤマト2199』から始まるリメイクシリーズもそのわだちを踏んでいる。『水星の魔女』のプロデューサーが語ったように、今まで作品に興味を持ってなかった人に見てもらいたい、という制作姿勢はあるだろうか。リメイク版ヤマトは『~2199』から同じ世界観とキャラクターの設定を引っ張り、そこに新しいキャラを絡ませてる関係で御新規さんが入りづらい。『ガンダムSEED』や『水星の魔女』のような、既存ファンに頼らないアプローチの、全く新しいヤマトワールドを開発すれば、そこから別の歴史の芽もあったろうが、いま付いているファン層の高齢化に伴って緩やかにコンテンツは閉じて行くだろう、というのが私なりの考え。制作側がそれで良いと思っているなら別に構わない。前に述べたように、自分は今のヤマトに、10年前ほどの熱を感じなくなったので先のことはどうでもよいのだ。でも「勿体ないな」とは思う。『ヤマト2199』の熱いブームを、ムーブメントに大きく拡げられなかったことは。
 もっともヤマトの主人公は人間でなくヤマトという艦そのもので、代替が効かないという視点で見れば、ブルーノアも、シド・ミード版ヤマトも、光子帆船スターライトもウケなかったのは仕方ない。ヤマトと似て異なるものに対し、観客(と視聴者)がノーを突きつけたのだから。それでも『宇宙戦艦ヤマト』(’74)と、たった5年しか離れていないガンダムの成功を見ると、ヤマトはなぜ上手くいかなかったのかと思わずにいられないのだ。現在進行形で新作『ヤマトよ永遠に REBEL3199』が発表されているので「オワコン」だとは思わないけど、「閉じコン」(閉じたコンテンツ)だとは感じます。

©東北新社/著作総監修 西﨑彰司
©西﨑義展/宇宙戦艦ヤマト2202製作委員会
©西﨑義展/宇宙戦艦ヤマト2205製作委員会


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