見出し画像

#27 中教審「質の高い教師の確保」特別部会の議論は本質を見落としている

現在、中教審「質の高い教師の確保」特別部会において給特法の在り方が議論されているが、4月4日の教育新聞の報道を読む限り、論点がズレているとしか思えない。

教員の時間外勤務手当、否定的な意見相次ぐ 中教審特別部会(教育新聞)

※リンク先は会員のみ閲覧可

給特法の枠組みを変更して教員の時間外勤務に手当を支給する考え方については、委員から「教員一人一人の時間外勤務が必要かどうか、管理職が毎日毎日、個別具体に見極めることは事実上難しい」「教員の高度専門職としての自律性を損なう」といった理由で、否定的な見解が相次いで表明された。

教育新聞(2024.4.4)

いったい何の議論をしているのかと思う。給特法とは、労働法である。労働法とは、労働者が安全に働き、労働に見合った賃金を保障するための法律である。
給特法の議論でまず問題にされなければいけないのは、給特法の制度下では、教員が長時間労働を余儀なくされるという、構造上の問題である。つまり、労働基準法37条に定められた時間外勤務手当の支払いを適用除外とし、時間外の労働を「自主的・自発的」とする方法では、教員の命と健康を守れなかったのである。
そこで、2019年の給特法の改正では、時間外の労働時間に上限を定めた。しかし、その上限には罰則がなく、その後の勤務実態調査では未だ過労死ラインで働く教員が一定数いることが明らかになっている。罰則のない上限を作ってもダメだったのだ。
そして今回の議論は「上限を作ってもダメだった」からスタートしなければならない。何としても教員の命と健康を守るための枠組みを構築しなければならないという議論のはずである。
そしてその方法は、労働基準法の基本である「時間外勤務手当の支払い」によって管理側に労働時間縮減のインセンティブを与えるという「当たり前」を当てはめていくことが真っ当である。
委員の発言は驚愕に値する。

戸ヶ﨑勤委員(埼玉県戸田市教育長)は教育長の立場から「学校管理職が教師の個別具体の職務について見届けていくことは、そもそも不可能に近い。時間外勤務の命令を個々に発することは当然なじまない」と指摘。

教育新聞(2024.4.4)

何を言っているのだろう。「時間外勤務の命令を個々に発する」など企業ではどこでもやっていることだ。例えば、職員は基本的に定時退勤とする。残業の必要な職員が内容と時間を申告をし、管理職がそれを許可するかしないかの判断をすればいいだけのことだ。「教師の個別具体の職務について見届けていくことは、そもそも不可能に近い」と言ってしまったら管理職の資格はない。
おそらく、本当にそれをやったら終業間近に管理職の机の前に職員の行列ができる。一人一人が申告する業務に「残業OK」「帰りなさい」「何時まで」などの判断を下していく。それが困難なのは分かる。しかし不可能ではない。管理職がやるべきはまず行列ができないように、業務の大幅な縮減を行うことだ。マスト業務とベター業務、優先順位を見極めて業務を精選するのだ。保護者や地域から反発もあるだろう。子どもたちの学力が低下するような事態も起きるかもしれない。だとしても、教員の命と健康を危険にさらすことはあってはならないのだ。それは働く上での最低限のルールだ。

秋田喜代美委員(学習院大学教授)は「管理職が時間外勤務手当という形で勤務時間の内外を管理することは、教員の高度専門職としての自律性を損なう。それとともに、管理職の業務負担をさらに増やす。だから、時間外勤務手当は適切ではない。その代わりに、教職調整額の在り方を考えるべきだ」と指摘した。

教育新聞(2024.4.4)

これも驚くべき発言である。「教員の高度専門職としての自律性」というのは、命や健康を危険にさらしてまでも大切にされなければならないのだろうか。何度も言うが、今は労働法の議論をしているのだ。教員が「高度専門職」であると定めた法律はない。秋田委員は「教員には自律性をもった高度専門職であってほしい」という〝願い〟をもっているのだろう。そういう感情的な論が、これまでどれだけ教員を追い詰めてきたことか。
また、「管理職の業務負担をさらに増やす。」と言うが、校長の在校等時間は教員より短い(2022教員勤務実態調査)。平均値ではあるが、労務管理をせずにお先に帰る校長の姿が浮き彫りになる。負担は増えて当然である。

労働法や公務員法が専門の川田琢之委員(筑波大学教授)は、教職調整額のような特例措置が法制度として適切かどうかについて、「教員が高度専門職として専門性を発揮するような形で、自由度を持った働き方をする制度という観点から、こうした特例は十分説得的だと言える」と述べ、労働法制として適切との見解を示した。

教育新聞(2024.4.4)

川田委員の発言は「教職調整額のような特例措置が法制度として適切かどうか」という点に限れば間違いではないのだろう。高度な職業能力を持つ労働者を対象に労基法の労働時間の制限を撤廃する「高度プロフェッショナル制度」という特例がすでにあるため「十分説得的」かもしれない。ただ特定高度専門職の認定要件は年収1075万円以上であり、教員を「高度専門職」と位置づけるにはかなり無理がある。先の秋田委員は「教職調整額の在り方を考えるべき」と述べたが、年収300〜400万円ほどの初任者に一体何%の調整額をつければ1000万円程度になるのか。また川田委員は「自由度を持った働き方」というが、トイレに行く自由さえ奪われる仕事のどこに「自由度」があるというのか。教員の勤務の実態を無視し、制度として適切かどうかに特化したのだろう。川田委員が労働法の専門家として、教員が長時間労働に追い込まれる問題に触れないのは極めて誠実性に欠ける(教育新聞が取り上げなかっただけかもしれないが)。

一方、公務員制度に詳しい西村美香委員(成蹊大学教授)は「給与の改善は、本来的業務についてはその量や質に配慮して給料表で支払う、一時的あるいは追加で行う職務については手当等で処分するという、職務を基準としたシンプルな仕組みが大原則であるべきだ。時間を基準に支払う時間外勤務手当は、長時間労働を助長する危険もあり、単位時間当たりの業務の質の違いを無視した不公平も生じかねない」と述べ、教員の給与改善も職務を基準としたシンプルな仕組みで進められるべきだと説明した。

教育新聞(2024.4.4)

これは何を言っているのか分からない。
「職務を基準としたシンプルな仕組みが大原則であるべきだ」と言うが、なぜ教員だけ「シンプル」が「大原則」なのか?これは議事録が出たら確かめたい。また、「時間を基準に支払う時間外勤務手当は、長時間労働を助長する危険もあり」と言うが、どこにそんな事例があるのか?
「単位時間当たりの業務の質の違いを無視した不公平も生じかねない」と言うが、それは当たり前だろう。どこの企業でも官公庁でも起こっていることだ。そしてその不公平をできるだけ均すのが管理職の仕事だ。

本当はもっとツッコミどころ満載なのだが、これくらいにしておこう。教育新聞の記事を読んだだけの情報であるため、委員の真意を十分に汲み取っていない部分もあろうかと思う。議事録が出たら確認する。

今回の中教審が〝出来レース〟であることは十分承知している。
しかし、何度も言うようにこれは労働法の議論のはずである。
労働基準法37条で定められた時間外勤務手当の支給を適用除外したために、何人もの教員が過労死に至ったのだ。
もちろん、37条を適用すれば、学校現場に相当な混乱を及ぼすことは理解できる。多くの公務員の働き方を見れば、一定のサービス残業が発生するだろうことも予想できる。しかし、それは37条を適用除外することの理由にはならない。
しかも、「管理職が大変だ」「教員の働き方に自由度や自律性がなくなる」「高度専門職だから」というような、ぼやっとした理由で、37条適用除外とすることの重大さを委員は分かっているのだろうか。
今回の審議の議事録は日本の教育史に残る「デジタルタトゥー」となるだろう。委員のみなさんにその覚悟はあるのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?