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4/28 洞窟の中の一筋のひかり

毎朝文章を書くようになってからちょうど一ヶ月が経った。この頃は目覚めるのが早いのもあって、朝起きてから即書くという習慣がとても心地よく体に馴染むようになってきた。買ったばかりの頃は不安だった毛筆が、墨をたくさん吸ってよくしなるようになり頼もしい相棒になったときのように、書いていくことと呼吸することが徐々に同じペースになっていった感覚。長い間書くことも読むこともできなくなっていたので、自分の四肢を取り戻しつつあるような感覚は嬉しいと同時に不思議な痛覚を押されているような気持ちがする。痛くもないが触られるとざらざらとしていて、猫が舌で舐めてくるような感覚に近いのかもしれない。違和感ではあるけれど決して不快ではなく、自分の中にあって埋もれている質感を再確認する作業。こうやって書きながら暮らしていければいいなと思う。たとえまた読んだり書いたりできない時が来たとしても、諦めないでまたかけるようになるための訓練をしておきたい。こういう訓練を続けることで、生き返ることができる付箋になるのではないかと思った。書きかけの文も読みかけの本も、☑️を付けてどこまで読んだかわかるようにしておけば、次に出会った時にそこからスタートすることができる。迷ってもそこに戻ることができるセーブスポットを洞窟の中に作る作業をずっとしている。それはどこに繋がっているかまだよくわからないけれど、滝の流れるような音がする静かな洞窟。水滴が溢れる振動が伝わるところ。いつもそこにいるのだけれど、深い眠りについている間は気づけない場所。一筋の光だけで無限の彩光を反射するところ。
江ノ島で開催されているミラーボーラーのイベントはまさにそんなような場所だった。至る所に仕掛けがされていて、電気から放たれる光とミラーボールや透明な反射材の反射光が美しく、夜の帳に現れた桃源郷だった。山上まで歩いて歩いていくと伝わってくる振動と光。この庭はこのために作られているのかもしれない、と思わせてくれる。この庭だけずっと春で、この庭だけずっと夜で、この庭だけずっときらきら光るままでいたらいいのに。
この庭だけが本物で、外の世界はまぼろしなのかもしれない。ここから出ることもできるし、でないでずっと踊り続けることもぼーっとなにもしないでいることもできる。いつかそうなったらいいなと思いながら山の中の洞窟にずっといた。


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