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5/1 まぬけ犬の押し吠え

毎月一日に寺社仏閣にお参りに行くことを推奨している人の投稿をよく目にした。朝から雨で頭がぼーっとするままに文章を書いているとそのまま眠ってしまいそうになる心地よい疲労に支配される。疲れるというよりよく使った頭がスポンジで水を勢いよく吸い込んだ後にたゆんたゆんになったような感覚。雨だから余計そんな風に感じる。登山用に買った靴はGORE-TEXと書いてはいないけれど雨水も全然染み込んでこないから気にしないでどこまでも歩いていけそうになる。どこまでも歩いて行ったらいつか行き止まりにたどり着くのだろうか、行き止まりの先はどこに続くのだろう。雨の中濡れても平気な靴とレインコートをきてずんずん進む。どこにでも行けるしどこからでも帰ってこられる強さ。雨が似合う場所に住んでいた。

母は昔犬を飼っていた。正確に言えば母の姉が買ってきたなんの躾もされていないポメラニアンがある日突然家にやってきて、母の買った口紅をぼりぼり食べて家中でフンをしていた。母はその犬を駄犬と認定し、うるさく可愛くない犬として邪険にしたが、犬は母を大変好いていた。仕事から帰るたびに発狂し、口紅を食べ続け、廊下中にフンをして回っていたらしい。私の記憶では、その犬は会うたびに記憶がリセットされており、毎回新鮮に警戒しながら激吠えしてきた。子供にも容赦ない犬だった。祖母は祖母でその犬に愛着があるらしく、家の中を守ってくれていたと懐かしげに言うが、母はあくまで駄犬として記憶しているため「そうかなあ」と訝しげだった。よく吠えるという意味では確かに家を守ってくれてはいたのかもしれないが、母にとってみてはまとわりついてくるしフンの後片付けは誰もしないという負債の記憶しかないようだ。黒いからクロと名付けられたそのポメラニアンは、小さい命をまっとうしたやかましい犬だった。

やかましいと言えば、日本に来た友人は口を揃えて「カラスはどうしてあんなに大きな声で鳴くの?」と驚いていた。自分の国にも烏はいるけれど、朝からあんなに大きな声で鳴いたりしないし、そもそも森にいるからそんなに姿を現さないと言われる。烏ってそうか本当は森にいるのに変わりに町に出稼ぎしにきてるからあんなに大きな声で意義を申し立てているのか、と気づいた。この地に住んでいない人の着想はいつも私に新しく新鮮な発見を与えてくれる。烏だって死活問題だ。本当はこんな電線だらけの空ではなくて、ちゃんと木や森で鬱蒼とした空に舞いたいはずだ。叔母に捨てられたクロだって、飼い主が恋しくてあんなにギャンギャンと泣いていたのかもしれないと思うと少し気の毒だ。

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