Rina Ellingham

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最近の記事

5/17 ビカクシダの隠れた山

鬼門とは北方面にある出入口をさすと思っていたが、本当は北東のことらしい。知らないことは調べると答えが出てくるので、本当に便利な世の中になっているなと思う。逆に、インターネットの前はこういうことを人から教えてもらったり、辞書で調べたりすることが一般的だったのだろうと思うと途方もない。辞書といえば、私の通っていた自称進学校では紙の辞書が推奨されていて、電子辞書は禁止されているようなものだった。紙の辞書はとにかく重くて、家と学校で使うのに持ち歩いていてはかなり不便だし、かといって両

    • 5/16 たまごやきの誘惑

      最初は軽いと思っていた荷物をだんだん重いと感じるようになる旅はいい疲れを携えた旅だと思う。毎回次はキャリーケースにしようと思いながら気に入ったエナメルのバッグを選んでしまう。高校受験が終わった記念に武蔵小山の商店街で買ってもらったバッグ。 絶対に叶わないと言われた願いが一度叶ってしまったことがある。あの時お願いしたことの反動で去年1年間動けなくなってしまったので、あまり大きな願い事は禁物だ。電車に揺られすぎてずいぶん遠くまでやってきた。まだまだ帰らないでもいいけれど、家の植

      • 5/13 つちをこねる

        夢でラッパーのkohhが出てきた。それだけで結構好きになる要素があるけれど、なぜか大学の授業で土器をつくるための粘土を捏ねていた。その後何故か居酒屋にいて、私はミルキーなお酒を頼んだ後に記憶が一切なくなり目が覚めたら高校の授業をサボっている風景になっていた。kohhが粘土を捏ねてる風景が見られるなら授業サボらなくなるだろうなと思いながら目が覚めた。kohhのこと全然知らないのに目が覚めたら好きになってた。これから移動中に音楽聴くと思う。夢の中で土器のための粘土は壁にくっついて

        • 5/11 オーロラの彼方に

          オーロラが世界各地で飛び交っているからか、不思議な夢をみた。 中学の時の同級生たちと、西野カナの地方公演ライブに行っていた。しかも会場はガラガラで人も少なく、なぜか他の友人たちもいた。私は西野カナの音楽をちゃんと聞いたことがない。けれどもそこでは彼女は会場内を歩き回りながらファンと交流しつつ歌を歌っていた。歌は上手だった。西野カナ全盛期のとき私はまだ大学生だった。だからそこに中学の時の同級生が出てくるのはおかしいのだが、夢だから別に気にしなくていい。ちなみに友人のうち一人は苗

        5/17 ビカクシダの隠れた山

          5/10 マホガニーの机

          久しぶりに日付を超えてから眠ったのでまだ眠たい。布団に戻れるという圧倒的な自信を携えて机に向かっている。今私はダイニングテーブルを占拠して仕事机のようにしている。本当は食事をするはずのスペースで仕事をしているのは少し変な気持ちだれど、マホガニーかなにかでできた頑丈な木の机で仕事をするのは心地がいい。だからしばらくは変えないでこのスタイルでいくのだと思う。最近迎えた観葉植物の背が高くなりすぎてるのか、下の方がだんだん黄色く枯れてしまっている。日が当たるところにおいても、日陰にお

          5/10 マホガニーの机

          5/9

          自由に文章を書くには朝5時に起きるのが最適なのにまだ電車の中にいるからまた文章が書けない。明日は絶対に9時に寝るぞ。

          5/8 スカジャンの見た夢

          仕事をしながら休み休みやっていたらたくさん昼寝をしていた。羊毛の上にゴロリと寝転がるのは気持ちがいい。朝どうしても食べたくて、コンビニに大きなUFOをかいにいった。どうしてもというほど特別な足ではないのだけれど、大きなバケツに入ったそれにざあざあとお湯を注ぐと気持ちが良くなった。朝から食べるにはボリュームがすごいけれど。無理して食べるというより、誰かとシェアすることを想定しているのかもしれない。 昨日はお母さんと民藝を見に世田谷美術館にいった。用賀駅を出ると直ぐに看板がある

          5/8 スカジャンの見た夢

          5/7 湯治と欲

          何も書けないまま1日が終わってしまった。そういう日はたいてい雨で、しっとりした午前中を過ごしている。何をしているかというと、ほとんど何にもしていない。たくさん歌いすぎて疲れ果てていることもあるし、日に何度も湯に浸かりぼんやりとしている。好きな時にお湯を沸かして浸かれるというのは自由の特権だと思うのだが、これは再三書いていることなので少々短めに書く。まず土曜日の午前中に湯を沸かす。沸いたタイミングでお茶をいれて、それとともにお湯に向かう。読みたい本があれば尚よしで、眺めの良い窓

          5/7 湯治と欲

          5/5 うしおと虎

          今日は5/6で、その日が祝日であることを私は知らなかった。5/5の子供の日が日曜日にあたるので、その次の日の月曜日が振替で祝日になるらしい。 気がついたらもう3日も山の中で過ごしていた。山の中は快適で何一つ不自由がなく、それでいて自分たちでは気温一つ操作することができずに大変愉快な日々が続いた。やはり二拠点で山と港に暮らすのは間違っていない方向性かもしれないと確信を得た。山がいいのは、川があるところ。山がいいのは、滝もあるところ。ただ延々と滝壺に水が落ちる音が響く。水はそこに

          5/5 うしおと虎

          5/2 向が丘遊覧船

          シンデレラを見てると泣いてしまう。別に心が疲れてたりする訳ではないのだけれど、特に妖精がシンデレラの古いドレスを綺麗に仕立て上げるシーンは大変胸にグッとくるものがある。カボチャの馬車も普段仲良くしてきた動物たちが変身していくシーンも、家族総出でシンデレラの門出を見送るよう。素敵な出会いにふさわしい送り出しをされ、一夜限りの舞踏会に出掛けていく。幼少期みたディズニー映画の中で一番好きだったのがシンデレラだった。魔法の装身具の中で一際輝いていたのはやはりガラスの靴だった。ガラスで

          5/2 向が丘遊覧船

          5/1 まぬけ犬の押し吠え

          毎月一日に寺社仏閣にお参りに行くことを推奨している人の投稿をよく目にした。朝から雨で頭がぼーっとするままに文章を書いているとそのまま眠ってしまいそうになる心地よい疲労に支配される。疲れるというよりよく使った頭がスポンジで水を勢いよく吸い込んだ後にたゆんたゆんになったような感覚。雨だから余計そんな風に感じる。登山用に買った靴はGORE-TEXと書いてはいないけれど雨水も全然染み込んでこないから気にしないでどこまでも歩いていけそうになる。どこまでも歩いて行ったらいつか行き止まりに

          5/1 まぬけ犬の押し吠え

          4/30 雄弁な白桃

          4月最後の日が30日であることにちょっとしたおかしさを感じる。だって4/1はエイプリルフールだし、全てが虚構に満ちたエンタメ性を携えて始まりそうかと思えば新月の日に皆既日蝕がアメリカであって、まだ何をしようか考えながら過ごしているうちに「はい、30日ですよ」とひょっこり顔を出してくるなんてあまりにも都合が良すぎる。こんな風にしてどんどん時間が過ぎていくから、やりたいと思ったことはその時にやらないと本当にまずい。だってもう4月。まだ今年になったばかりなのに。時間が過ぎるのが早い

          4/30 雄弁な白桃

          4/29 雨が降るから

          一人で歩くのも好きだが、友人と街歩きをすると新しい発見があったりする。一人ではいかないような観光向けの店やいつもは人混みで避けている通りなどを歩くと、普段見ていた道とは違う色が見えてくる。自分のペースと友人のペースが混ざって独特のリズムを生み出すところも面白い。南京から来た友人は今日旅立つので、昨日が1日観光できる最後の日となった。彼女はこの日横浜に行きたいというので、この日は電車に乗ってみなとみらいにいった。「みなとみらいってどういう意味?」と聞かれて「The Future

          4/29 雨が降るから

          4/28 洞窟の中の一筋のひかり

          毎朝文章を書くようになってからちょうど一ヶ月が経った。この頃は目覚めるのが早いのもあって、朝起きてから即書くという習慣がとても心地よく体に馴染むようになってきた。買ったばかりの頃は不安だった毛筆が、墨をたくさん吸ってよくしなるようになり頼もしい相棒になったときのように、書いていくことと呼吸することが徐々に同じペースになっていった感覚。長い間書くことも読むこともできなくなっていたので、自分の四肢を取り戻しつつあるような感覚は嬉しいと同時に不思議な痛覚を押されているような気持ちが

          4/28 洞窟の中の一筋のひかり

          4/26 草餅のおみくじ

          神社に行ってもおみくじを引かない時もあるけれど、占いがすきな人と歩いていると大抵100円でやりたいと言うので、一緒に引くことになる。 その時考えていることに対して的を射るような言葉が降ってくる。昨日は「些細なことに囚われるな、前を向いて歩いていけ」というような内容が書かれていてしまったと思った。私が考えていることは枝葉末節のような取るに足らない思い悩みだったのかもしれない。そうであって欲しいという願いと、宇宙的観測からみたらそれはそうだよな、というふたつの安心感が得られる。

          4/26 草餅のおみくじ

          4/25 猛龍の竹

          信じられないくらい太陽が強さを表して、満月から一夜経ただけで南の島に来たような日差しだった。持っている服と履きたい靴と手元にある肉体がすべてがちぐはぐなまま日が暮れていく。足元にある土と草だけが現実と自分を融解させ得る可能性をもったまま、精神性だけがどこまでも浮遊して一本の糸を伝うと辛うじて回遊できそうな。この季節だけが本物であるように、この季節だけが延々と続くことを祈りながら羊毛を着た仲間たちに変わらぬ愛を届ける。日が昇ると目が覚めるのは、今の鼓動が地球の自転とちょうど重な

          4/25 猛龍の竹