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岩谷舟真・正木郁太郎・村本由紀子『多元的無知/不人気な規範の維持メカニズム』

☆mediopos3364  2024.2.2

本書『多元的無知/不人気な規範の維持メカニズム』は
東京大学における社会心理学・実験心理学・経営行動科学の
研究成果としてまとめられている

内容としては常識的で特に意外性はないものの
起こりががちな現象プロセスのメカニズムを
意識化しておくことは必要だろうと思われる

「多元的無知」という用語は聞きなれないが
集団のなかにいればおそらく多くの人が経験している

「集団の多くの成員が、
自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず、
他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると
信じている状況」である

多元的というのは
ひとりひとりの個人それぞれにおいてということであり
無知というのは
ほかの人たちの考えを知らずにいるということだろう

「空気の研究」(山本七平)にも近しいと感じるが
「多元的」であること
そして「無知」という誤解の側面からの視点となっている

集団における「多元的無知」という状況が生じると
実際には「不人気な規範」であるにもかかわらず
それが維持されていくことになる

それは「多数派への同調」と深く関係しているが
その現象を「「多数派に影響される受動的な個人」の
心理過程としてではなく、
社会的・集合的な現象として理解する」場合として
『はだかの王様』の例がひかれている

ほんとうはだれもが「王様は裸だ」と思っているのだが
「自分だけがほかの人びととは違うらしいと思い込み、
それを知られたくない(・・・)がために同調する」

それはひとりひとりが意図した行動ではなく
「他者に影響され、受動的に振る舞」った結果
「そのような個人の行動が、今度は別の他者から観察され、
新たな同調行動を生む」ことになっていくような
「自他のインタラクティブなプロセスを通じて、
社会現象としての広がりを見せることになる。」

そのプロセスには
「自己とは異なる他者の選好を推測する段階」があり
その「推測から他者の反応を予測する段階」
さらに「その予測に基づいて
実際に規範に従って行動を採用する段階」がある

そうした考え方に基づき
実験室での実験からはじまって
社会調査・ビジネスの現場での調査が行われている
その結果についても
とくに常識に反したものはなさそうだが・・・

こうした「多元的無知」が起こるのは
まわりの人たちの「選好」を気にして生きていて
とくに集団のなかでのじぶんが
否定的な評価を受けないようにしたい
そう強く思っているからこその現象だろう
受動的な意味ではあるが「承認欲求」のひとつ

たとえ「みんなはほんとうは求めていない」ことを
知っているとしても
集団のなかで「創発」されるそうした「規範」に
積極的に抵抗することはむずかしいのは確かである
いわば「触らぬ神に祟りなし」的な態度がとられやすい

この研究においては
意図的なかたちでなんらかの「規範」を
集団に受け入れさせるという視点はなく
受動的な自他のインタラクティブなプロセスによって
生まれてしまう同調行動が問題にされているが

そうした「多元的無知」は
意図的に規範を受け入れさせるときに
利用されやすい「承認欲求」の傾向だと思われる

マスメディアや政府広報そして学校教育などにおいても
ある種のメッセージは容易に
そうした「多元的無知」を増幅させる
さらにいえばそれが積極的に使われる

「みんなはほんとうは求めていない」にもかかわらず
「みんなはそうしている」というメッセージで誘導し
「同調」せざるをえない状況をつくるのである

「同調」しないばあい
「承認」を得られなくなるために
そして往々にして処罰さえ伴うことで
多くが「同調」のための行動をとることになる

よく目にする悲しい光景である

■岩谷舟真・正木郁太郎・村本由紀子
 『多元的無知/不人気な規範の維持メカニズム』
 (東京大学出版会 2023/12)

*(「序章 多元的無知とは」より)

「多元的無知とは、「集団の多くの成員が、自らは集団規範を受け入れていないにもかかわらず、他の成員のほとんどがその規範を受け入れていると信じている状況」として定義されてきた。」

「集団の各々のメンバーが他者の考えを互いに読み誤っている状況が多元的無知である。」

「多元的無知は古くから論じられてきた概念だが、現代の私たちの周囲にも、多元的無知と指摘できるような状況は依然として存在する。例えば、ある職場の従業員たちが、個人的には誰も残業したいとは思っていないにもかかわらず、「自分以外の同僚はみな好んで残業している」と推測している状況を考えてみよう。このとき、そのような推測は「誤り」にほかならない。しかし大半の従業員がそのように考えて嫌々ながら自分も残業に加わった場合、結果的に、業務上の必要性を越えた無駄な「付き合い残業」を行う規範が形成されてしまう。こうした身近な例に見られる通り、多元的無知という現象は社会生活の様々な場面で生じ、集団成員の行動を規定している。近年では、コロナ禍の前後で新たに生まれた「出社に関する暗黙の規範」に悩まされている人もいるかもしれないが、仮に大多数の社員が出社を希望していないのにもかかわらず。「同僚は出社することを希望している」と予測して、みな渋々出社しているのであれば、その出社に関する規範もまた、多元的無知状態で維持されていると言える。」

*(「序章 多元的無知とは」〜「1 多数派への同調」より)

「多元的無知という現象を理解する上で外せない社会心理学の古典的概念の1つに「同調(conformity)」がある。同調とは、個人が、自己の信念と集団規範あるいは集団成員の多数派が示す標準との不一致を認識し、集団成員からの暗黙の圧力を感知して、その規範や標準に合致するよう態度や行動を変化させることである。」

*(「序章 多元的無知とは」〜「2 社会現象としての同調————多元的無知」より)

「同調という現象を、「多数派に影響される受動的な個人」の心理過程としてではなく、社会的・集合的な現象として理解するには、アンデルセン童話の『はだかの王様』の例に基づく考察がわかりやすい。」

「童話の中で、(子どもを除く)登場人物たちはみな、王様は裸だとは言い出しにくい空気を感じていたに相違ない。しかしこの空気は、最初からこの城下に明確に存在していたわけではなく、当の登場人物たちによっていつの間にか創り出された暗黙の規範である。山岸(1992)は、社会現象としての同調には、個々人が同調しやすいか否かという個人特性によっては説明しきれない、集団特有の創発的特性が介在していると指摘する。家来や観衆の誰もが、個人的には王様が裸だと思いつつも、周囲が王様の衣装を褒めている様子を観察して、自分だけがほかの人びととは違うらしいと思い込み、それを知られたくない(愚か者だと思われたくない)がために同調する。周囲の他者に同調した個々人は、自らの同調行動が社会現象の一部を構成することを意図したわけではもちろんなく、他者に影響され、受動的に振る舞ったに過ぎない。しかし、そのような個人の行動が、今度は別の他者から観察され、新たな同調行動を生む。同調は、このような自他のインタラクティブなプロセスを通じて、社会現象としての広がりを見せることになる。」

*(「序章 多元的無知とは」〜「3 多元的無知に関するこれまでの実証研究例」より)

「多元的無知に関する調査研究は、文化心理学の文脈においても見出される。この領域の近年の研究では、同じ時代、地域、集団に属する人々の心理・行動傾向の類似性を説明するのは個々人に内面化された価値や信念ではなく、それらの価値や信念が周囲の他者に共有されているという考え、つまり「共有信念の知覚(perceived consensus)」であることが指摘されている。」

*(「序章 多元的無知とは」〜「4 本書の主眼————多元的無知研究の新たな転回を目指して」より)

「橋本(2014)は、多元的無知という現象の総体を理解する上では、自己とは異なる他者の選好を推測する段階にとどまらず、そのような推測から他者の反応を予測する段階、さらにはその予測に基づいて実際に規範に従って行動を採用する段階をも視野に入れた、ダイナミックなプロセスの検討が重要であると論じている。」

*(「第Ⅰ部 多元的無知を生み出す認知メカニズム」〜「第Ⅰ部のまとめ」より)

「第Ⅰ部では主に実験室実験を通じて個人の社会的認知の観点から、多元的無知状態や不人気な規範の生起・維持メカニズムを検討した。」

「研究1では。集団の最小単位と言える2者関係における意思決定を検討し、1人の個人の行動が1者で共有された行動へと展開されるプロセスを検討した。結果、「(同じ集団に属する)他者の行動は他者自身の選好に基づいた行動である」と推測した際に、人はしばしば、推測された他者の選好に合わせる形で自らの選好とは反した行動をとることがわかった。(・・・)このプロセスは、規範のない状況から、多元的無知の規範が生起するまでの萌芽的段階であると言える。」

「続く研究2では、3者以上の集団に焦点を当て、人々がすでに存在する規範に従うに至るメカニズムを検討した。結果、複数の他者が同じ行動をとっている様子を観察した個人が、「他者は選好と一致しない行動をとっている(とらざるを得ない)」と推測するほど、その行動をとることが望ましいという強い集団規範の存在を感じ、それに従って自らも(選好と異なる)追随行動をとることが示された。」

*(「第Ⅱ部 多元的無知状態が生じやすい社会環境の検討」〜「第Ⅱ部のまとめ」より)

「第Ⅱ部では社会調査を通じて、関係流動性や居住地流動性といった要素に注目しながら。多元的無知状態が維持されやすい社会環境を検討した。」

「研究3では関係流動性の観点から、多元的無知状態が維持されやすい社会環境を検討した。結果、関係流動性を低く認知する人に限り、規範逸脱に伴う評判低下を予測するほど、規範に従うことがわかった。」

「研究4では、居住地流動性の高い社会の中でも、多くの新たな知人を得る能力としての関係構築力の高い人と低い人とでは、規範樹種に至るメカニズムが異なっていることを解明した。居住地流動性の高い社会において、関係構築力が高い人は規範樹種に伴う評判上昇を予測するほど規範に従う一方、関係構築力の低い人ではそのような関係は見られなかった。このことは同じ流動性の環境の中でも、それを活用して対人関係を構築できる人とそうでない人とがおり、両者の間で行動戦略が異なっていることを示唆している。」

*(「第Ⅲ部 ビジネスの現場を対象とした応用的研究」〜「第Ⅲ部のまとめ」より)

「第Ⅲ部ではビジネスの現場を対象に調査を行い、多元的無知状態の生起メカニズムおよび多元的無知状態が個々の集団メンバーに与える影響について検討を行った。」

「第Ⅱ部では新しく他者と関わったり異なる集団に移動したりする機会が社会にどれだけ多くあるかに着目したが、研究5ではその機会を個々人がどの程度活用できるかに着目した。具体的には転職行動(異なる会社への移動)に着目し、転職と関連する要因を検討した。結果、所属組織の職場風土が自身にとって望ましくない場合(具体的には包摂性の低い職場である場合)には、パフォーマンスの高い人ほど選曲的に転職を図る可能性が示唆された。」

「続く研究6では、特定の会社の全従業員を対象に調査を行い。「ダイバーシティ信念」をめぐって職場内に多元的無知が生じているか否か、多元的無知の程度に職場ごとに違いはあるかを検討した。さらに、多元的無知が生じている職場の場合、そのことが個々の従業員に対してどのような心理的影響を与えているのかについても検討した。結果、当該企業では、各従業員が「同僚のダイバーシティ信念は自分よりもネガティブである」と誤って推測するという形での多元的無知が生じていた。また、職場単位でみると、そのような誤推測の程度はダイバーシティの低い職場(過去に異業種を経験した従業員の比率が低い職場)ほど大きいことがわかった。さらに、同僚のダイバーシティ信念を実際よりもネガティブに予測する人ほど関係葛藤を抱いているということも示された。これらの結果は、実際の現場においても多元的無知状態が生じており、それが従業員の心理に影響をおよぼしていることを示唆する結果である。」

【主要目次】

序章 多元的無知とは

第Ⅰ部 多元的無知を生み出す認知メカニズム
第1章 多元的無知はどのように生起するのか(研究1)
第2章 多元的無知状態が維持されるメカニズム(研究2)

第Ⅱ部 多元的無知状態が生じやすい社会環境の検討
第3章 関係流動性の高さと多元的無知の関係(研究3)
第4章 居住地流動性の高さと多元的無知の関係(研究4)

第Ⅲ部 ビジネスの現場を対象とした応用的研究
第5章 個人のパフォーマンス(職務能力)と転職行動との関連(研究5)
第6章 職場における多元的無知とその帰結(研究6)――職場間比較の視点

第Ⅳ部 不人気な規範が解消されるには
第7章 本書のまとめ――多元的無知を引き起こす認知・環境要因と個人差
第8章 本書の社会的・文化的・実践的意義と展望

○著者プロフィール
岩谷舟真(いわたに・しゅうま):東京大学大学院人文社会研究科助教
正木郁太郎(まさき・いくたろう):東京女子大学現代教養学部講師
村本由紀子(むらもと・ゆきこ):東京大学大学院人文社会系研究科教授

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