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現代詩手帖 2024年5月号 特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く

☆mediopos3454  2024.5.2

『現代詩手帖 2024年5月号』の特集は
「パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く」

現在ガザは
イスラエルによる大量虐殺下にある

この特集では
パレスチナという経験を共有する
来歴も世代も異なった12名の詩人の声が
詩とプロフィールそして解題のかたちで
わたしたちに届けられている

最初に紹介されているのは
ガザを代表する詩人のひとり
若い作家たちの精神的支柱
「We are not numbers(わたしたちは数ではない)」の
共同設立者であるリフアト・アルアライール

リフアトは十二月七日
イスラエル軍の爆撃の標的となり殺害される

リフアトは生前
「物語がわたしたちをつくるのです」といい
「歴史を書き換える大量虐殺に抗するため」
「「詩」という方法」で抵抗した

紹介されている詩
「わたしが死ななければならないのなら」は
こう結ばれている

  もし、わたしが死ななければならないのなら
  希望となれ
  尾の長い 物語となれ

リフアトの教え子のひとり
アリア・カッサーブは
現在も虐殺下のガザで執筆を続けている

紹介されている詩「人間−動物の日記」は
二〇二三年十月九日イスラエルの国防大臣ガラントが
ガザの人びとを指して「我々は、人間−動物と戦っているのだ」といった
「人間−動物」という言葉を受けて執筆されたものだ

詩は亡きリフアトに語りかけるこの言葉で終わる

  よく聴いて。
  この人間−動物は生き、あなたを永遠に生かす。

特集では
『ガザとは何か』の著者でもある
岡真理へのインタビューも掲載されている

岡氏はこう語る
「彼に鼓舞された若者たちが書くことを通して、
ペンで戦う戦士になっていく。
また、彼らが書くパレスチナ人の物語を通して、
それを読む世界の者たちが「人間」となり、
人間としてパレスチナにつながり、
連帯し、行動し、世界を変える。」

その言葉の力をおそれリフアトは殺された・・・

おそろしいことに
ガザだけではなく
世界は見える戦争見えない戦争のまっただなかだ
日本でも見えない戦争は粛々と
陰惨なまでに進行中である

ガザに目を向け
その「物語」を学び伝えることと同時に
わたしたちにとってはこの日本で
いままさに起こっていることに気づき
その「物語」を伝えることが重要だろう

すでにここ数年の日本での超過死亡者数は
おそらく意図的になされたであろう薬害により
かつての原爆での死者数の数倍にものぼり
ウクライナ戦争やガザ地区での死者数と比べてさえ
比較にならないほどとなっている

みんなのためにという同調の言葉さえも添えられ
子供から老人までがみずから率先してそうなるよう
病人と死者に変えられ
そうして減少する人間のかわりに
移民への積極的な優遇施策が行われている

土地も水も外国に売り渡され
外国には恐ろしいほど多額の援助がおこなわれているが
まるでガザ地区の廃墟のようになっている被災地も
その被災者もほとんど放置され援助も乏しいまま
政治家のほとんどもそこから意図的に目を背けている
政府主導によるマスメディアもそれに追随するばかり

ひとがひとであること
国が国であることが
キレイゴトのようなヒューマニズムとは
無縁であるかのように崩壊しつつある惨状だが
それに気づく者がどれだけいるか疑問でさえある

しかもわたしたち日本では
日本が日本人によって大量虐殺されているのである
外からの破壊ではなく自滅のような破壊である

逆説的に考えるとすると
そんな惨状のなかでしか
目覚めることができなくなっているほどに
「教育」されてしまっているということだろう

しかし「抵抗の声」は
ここにきて少しずつ大きくなってきているが
マスメディアさえいまだほとんど沈黙している

こうした現況が
大勢として公に語られるまでには
まだずいぶんと時間がかかるだろうが

それまではリフアトの遺言的な詩のように
ひとりひとりが
「尾の長い 物語」となっていく必要があるのだろう

■現代詩手帖 2024年5月号
 特集 パレスチナ詩アンソロジー 抵抗の声を聴く
 (思潮社 2024/5)

**(「Note」より)

*「イスラエルによるパレスチナへの侵攻がいまなお続くなか、アンソロジーを軸とした特集を組んだ。来歴も世代も異なるが、パレスチナという経験を共有する12名の詩人の声からは、現在形の意志が聴こえてくる。それは、岡真理氏がインタビューで語る、文学の伝える「人間の物語」に他ならない。それぞれの物語にどのようにして応えることができるのか、私たちは問われるだろう。歴史的な暴力に抗うべく具体的な運動を行う訳者の方々を中心に成り立ったこの特集が、応答の一つの起点となることを願っている。」

**(「パレスチナの現代詩人たち アンソロジー」
   〜リフアト・アルアライール「わたしが死ななければならないのなら」より)

*「一九七九年生まれ。詩人・作家・活動家。ガザ・イスラーム大学で世界文学と文芸創作を教えた。ガザを代表する詩人のひとりであり、若い作家たちの精神的支柱だった。We are not numbers(わたしたちは数ではない)の共同設立者。ガザのつぎの世界のための公共圏をつくることに尽力した。パレスチナの土地で、世代をこえて受け継がれる物語の可能性を信じた。二〇二三年、イスラエル軍の爆撃の標的となり、殺害された。」

*「わたしが死ななければならないのなら

  わたしが 死ななければならないのなら
  あなたは 生きなくてはならない
  わたしの物語を語り
  わたしの持ちものを売り
  ひと切れの布と
  糸をすこし買って、

  (つくってほしい 白く尾の長いものを)

  ガザのどこかで ひとりのこどもが
  天をみつめかえす
  炎のなかに 消えていった父を待ち————
  だれにも別れを告げなかった
  じぶんの肉体にも
  じぶん自身にも————

  こどもはみる あなたがつくったわたしの凧が、
  空を泳ぐのを
  そこに 天使が 一瞬 いる
  こどもは思う 愛されている。と

  もし、わたしが死ななければならないのなら
  希望となれ
  尾の長い 物語となれ
           (松下新土+増渕愛子訳)」

・解題
*「「物語がわたしたちをつくるのです」と、リフアトさんは、生前おっしゃった。つぎの世代へ、またつぎの世代へと、その土地のうえで生きる人びとのあいだを、語り継がれていく物語というものがある。豊かな物語は、身近な人や、家族や、その土地を長く見てきた者から、こどもたちに伝わってゆく。
 人間がなしうるもっとも根源的な暴力のひとつは、脈々と語り継がれてきた、豊かな物語の川を、力によって奪い、まっすぐにしてしまうことではなかったか。
 イスラエルがパレスチナに対して行っているのは、その土地の「物語」を奪い、みずからのものとする暴力である。だからこそ、侵略者は歴史を語る老人たちを恐れる。新しい歴史を生きる赤ん坊を恐れる。
 この詩を読み、パレスチナで何が起きてきたのかを知った、すべてのひとは、滅ぼすことのできない生命の物語を託されたのである。
 歴史を書き換える大量虐殺に抗するために、リフアトさんが選んだのは、「詩」という方法だった。「詩」は、雲と風の動くから、生命の源となるものをとりだす行為だ。どこか遠くで、この詩を受け取った方の中に、あたらしい物語が宿り、パレスチナが語り継がれてゆくことを深く願う。」(松下)

**(「パレスチナの現代詩人たち アンソロジー」
   〜アリア・カッサーブ「人間−動物の日記」より)

*「二〇〇一年生まれ。作家、翻訳家。ガザ・イスラーム大学で文学と英語を学ぶ。女性としての痛みや、生と死を深く眼差す作品を書く。リフアト・アルアライールの後継者のひとり。現在も、虐殺下のガザで執筆を続ける。「十一才のときに、〝書くこと〟がわたしをみつけてくれました」。」

*「人間−動物の日記

  人間−動物でいるのは過酷。皮肉をいおうとしているわけじゃない、わたしたhcいは、たしかにそう扱われているから。

「 十月七日。空爆がはじまった、わたしはパレスチナのために死ぬといいと思った。
  わたしたちの家が、この体のうえに崩れ、殉教者として死ねばわたしの罪も消えるのだかた。わたしは自分自身を、『生きること』から救い出したかった。自死したかった。

  薬物療法と対話療法にはあまり効果がなかった。生への希求は、心の内かた生まれてこなくてはならない。わたしは心の奥へと潜り、生から離れるよりも————生の意味を見つけようとした。

  でも、リフアトが殺されて、その感じ方は変わった。
  二〇二三年の十二月七日。リフアト先生はわたしの道標であり、もうひとりのおとうさんだった。
  どうして、彼の最期の言葉を裏切ることができる?
  『あなたは、生きなければならない。』」

「 あなたはいまどこにいますか?
  わたしたちはまたあなたの声を聴けますか?

  アルベール・カミュがいった。〈生の理由と称されるものは、同時に、みごとな死の理由でもある〉と。
  あなたは去った。あなたの遺した静寂は、わたしを回復させ、おなじだけ痛む。
  けれどもわたしは学んだ。あなたの死をどう見るかが、わたしのうつを癒やす、たったひとつの方法だと。

  毎日、あなたを感じる。心のなかで。
  あなたは日に日に、おおきく、育ってゆく。
  あなたの言葉が、わたしのなかで、反響する。
  あなたは殺されてはいません、リフアト。
  あなたは、わたしのする身振りのすべてに宿り、生きつづける。

  よく聴いて。
  この人間−動物は生き、あなたを永遠に生かす。
           (松下新土片山亜紀訳)」

・解題
*「彼女が作品を書きはじめる、そのはじまりの点は、本人にとってひじょうに「死」がちかい場所だ。彼女は死に近づき、それを見つめ、生きるために言葉を探す。
 アリアは、たいへん繊細で、愛情深い作家である。
 二〇二三年十月九日、イスラエルの国防大臣ガラントは、ガザの人びとを指し、「我々は、人間−動物と戦っているのだ」といった。アリアの「人間−動物の日記」は、こうした言葉をうけて、まさに大量虐殺のさなかで執筆された。
 「人間−動物の日記」の中で、彼女は、じぶん自身を「この人間−動物(This human-animal)」と呼ぶ。侮蔑の言葉として、虐殺を正当化する文脈で発された「人間−動物」という言葉を、アリアはむしろ、全身で受けとめる。彼女は、「人間−動物として」言葉をとり戻そうとする。そして最期には、「人間であること」の意味も、「動物であること」の意味も、どちらもを問いなおし、回復させてしまう。「批判的動物研究(CAS)」が指摘するように、動物の解放と、あらゆる主権を剥奪された存在の解放は、深く交差している。
 アリアは、殺害されたガザの著名な詩人、リフアト・アルアライールさんのもっとも親しい教え子のひとりだった。リフアトさんが殺されたあと、教え子を代表して、「アルジャーラ」に追悼文を書いたのは彼女だった。」

「アリアが今後、この世界にとって、非常に重要な書き手になることは間違いないだろう。彼女じゃ現在も、家族とともに、イスラエルによる大量虐殺下のガザ中部にいる。そして彼女じゃ、周りの助けになろうと、翻訳と、「書くこと」を続けている。
 「外の世界」に、声を届けるために。」

**(岡真理 インタビュー「「人間の物語」を伝える責務」(2024.3.17)より)

*「リフアト・アルアライールは「物語」ということを強調したわけです。数字に還元されてしか語られないパレスチナ人の生と死を、人間一人ひとりの物語として表し、伝え届けることが何よりも必要だと。彼の携帯電話には、「お前の居場所は分かっている」という匿名の強迫メールが何度も送られて、十二月、ついに殺されてしまうわけですが、自らの死を予感するなかで、彼は以前書いた「If I must die」という詩を自身のツイッターのプロフィール欄に貼りました。遺言として。

 その詩の最後で、彼は、自分の死を、希望を伝えるものにしてくれ、物語にしてくれと書いたんです。この詩は私も訳してみたのですが、youをどう訳すか。この詩をアライールの遺志として受け取った彼の学生たち一人ひとりにとってyouはまさに自分自身のこと、「きみ」という単数だと思います。でも、一歩引いて見たとき、youが指すのはガザの若者たちなので、私は「君たち」と訳しました。いま君たちが体験しているこのすべてを人間の物語として世界に伝えるんだということですよね。
 
 文学は読んだ人間を変えます。いま。撃ち込まれているミサイルを止めることはできないけれど、でも生きている者たちを変える。カナファーニーの場合であれば、彼の作品を読んだパレスチナ人が「パレスチナ人」という一個の政治的主体に変わって、武器を持って戦う。それがイスラエルにとっては脅威だった。だから殺した。アライールの場合は、彼に鼓舞された若者たちが書くことを通して、ペンで戦う戦士になっていく。また、彼らが書くパレスチナ人の物語を通して、それを読む世界の者たちが「人間」となり、人間としてパレスチナにつながり、連帯し、行動し、世界を変える。その力をイスラエルも知っているから、アライールもまたターゲットにされ、殺されたんです。

 文学は詩であれ小説であれ、ヒューマニティの問題だし、論文や研究と違って魂に直接訴えかけるものです。人間がいま、このような生と死を強いられているというその現実を、その声が届かない人たちの魂に届けるのは、演劇や映画も含めて、文学をおいてほかありません。」

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