見出し画像

出口顯『声と文字の人類学』

☆mediopos3459  2024.5.7

文字が登場したのは
今から五〜六千年前といわれているが
それまでの人類は無文字時代だった

そのことから
常識であるかのように
はじめに声があり
その後に文字が生まれ
そのことで文明が発展したのだ
という
「声から文字へ」という考え方が生まれた

つまり「文字が人間の認識に変容をもたらし、
論理的思考と科学の発展につながったり、
視覚を特権化するという」
「声より文字に利点がある」という考え方である

その視点は
文字を持つこと(リテラシー、書承性)と
コミュニケーションを声だけに頼ること
(オーラリティ、口承性)とを
截然と分けてしまうものだが

実際には無文字社会でも
西洋の歴史においても
一方的に文字を受け入れるというだけではなく
「文字より声が重視される」という例もあるように
「声」と「文字」は一方通行ではとらえられない

「口承性」と「書承性」との境界面においては
「声」と「文字」はさまざまに交錯しているのである

はじめに文字があり
その文字が声をつくりだす
『平家物語』のような文学があり
バリ島には文字の受肉化が声である
という考え方もあるように
「文字と声」は「めまぐるしく入れ替わ」りもする

また文字を書くことにおいては
皮膚の表面に模様を描いたりするように
文字とシャーマニズムが結びついていたり
漢字や仮名を書いて覚える日本人のように
文字が手の記憶と結びついていたりもする

そのように文字と声の関係は
少なくとも「声から文字へ」というような
一方向に向かう単純な視点でとらえることはできない

しかも「文字」といっても
表音文字と表意文字の差異はいうまでもなく
世界にはアルファベット・漢字・かな
ハングル・アラビア文字といった多様な文字があり
表記のありようはもちろんのこと
それらの使われ方や歴史
背景にあるコンテクスト
そして「文字」と「声」の関係などが
複雑に関係しあっている

わたしたちは日常的に
言葉を使い文字を読み書きしているが
それらを自動化し鵜呑みにてしまうことで
見えなくなっていることがある

言葉を使うということはどういうことなのか
文字を使うということはどういうことなのか
そうした問いを深めることで
言葉を通して見える世界を
豊かに捉え直すことができるのではないだろうか

■出口顯『声と文字の人類学』(NHKブックス 2024/3)

**(「はじめに」より)

*「「文字」といっても、アルファベット、漢字、かな、ハングル、アラビア文字など、その種類は多様である。しかしこれまで私たちは、メッセージの発信と受信・解読という点で文字の間に本質的な違いはないと、暗黙のうちに考えてきた。それは文字をあたかも貨幣のように受け止めているということでもある。貨幣は、文化的コンテクストや既存の生産と交換の関係にかかわりなく、社会や文化に変革をもたらす本質的な力を備えていると、社会学者たちによって理解されてきたが、文字もまたそのようなものとして捉えられてきたのである。しかし、果たしてそうだろうか。」

*「文字の登場は今から五、六千年前といわれている。アルファベットのような表音文字や漢字のような表意文字が出現しただけでなく、文字を何に書くか、また何を使って書くかにおいても人類が大きな変化を体験してきた。そしてそれらのことについて、私たちは意外に多くのことを知らない、あるいは忘れている。」

*「およそ七百万年前にまで溯ることのできる人類の歴史は、文字の歴史より遙かに長い。人類は無文字時代が長かったのであり、ヨーロッパが植民地化する以前の(つまりつい最近の)アフリカや南アメリカの先住民社会の多くは、固有の文字を持っていなかったのである。では彼らはどのように、伝達や伝承を行ってきたのだろうか。そして、文字の登場は神話や昔話のような口頭伝承の世界をどのように変えたのか、あるいは変えなかったのか。文字を持たなかった社会はどこでも同じように文字を受け入れたのだろうか。文字によるコミュニケーションと口頭によるコミュニケーション、つまり文字と声はどのように関わっているのだろうか、両者のインターフェイス(境界面)では何が生じているのだろうか。

 これらの問題を考えながら、私たちの日常で当たり前となっている、文字を読み書きするとはどういうことなのかを改めて見つめ直すことが、本書の目的である。」

*「第Ⅰ部では文字の効用をめぐる緒論を検討する。」

*「第一章・第二章で、活版印刷が人間の感覚を大きく変容したと論じた英文学者のマーシャル・マクルーハン、そしてマクルーハンの盟友ともいうべきウォルター・オングの主張を紹介する。彼らの見解は、はじめに声があったのちに文字が生まれ、文明が発展した。という(「声から文字へ」とみる)シンプルで常識的な前提に基づいている。こうした、文字が人間の認識に変容をもたらし、論理的思考と科学の発展につながったり、視覚を特権化するという(「声より文字に利点がある」とみる)見解は、文字を持つこと(リテラシー、書承性)と、コミュニケーションを声だけに頼ること(オーラリティ、口承性)との間に、大きな分割線を引くものである。

 第三章ではこの見解を批判し、文字の出現に対して社会がどのように対応したか、その多様性を、西洋の歴史や無文字社会の例を紹介して、ただ一方的に文字を受け入れるだけではなかったことを明らかにする(「文字より声が重視される」例)。また、読まれないために書かれる文字があるのと同様に、傾聴されないかれども発せられる声があることにも触れる。」

*「昔話などの伝統的な知識を口から耳へ音声のみを介して伝えるコミュニケーションの形式を、とくに民俗学で口頭伝承という。これに対して、リテラシーすなわち文字を読み書きできる能力、ならびに伝えたい事柄を文字に書き記すコミュニケーションの形式をまとめて、本書では書承と呼ぶ。文字を読み書きできる能力だけでは人間の認識能力や感覚に影響を与えることはできず、伝えようという意志ならびに実践が重要な意味を持つからである。」

*「文字には声を抑圧しようとする力(権力)がある。第Ⅱ部では文字をめぐる権力作用を論じる。」

*「第四章では、グディやマクルーハンを踏まえて文字に対する音声の復権を唱えた山口昌男を採り上げ、楔形文字にも言及して、その議論の前提に音声中心主義が潜んでいることを批判する。「文字は声の再現にすぎず、声より劣ったものである」という考えが西洋には根強くあることを、プラトンの『パイドロス』におけるソクラテスの発言で確認し、音声中心主義を批判したフランスの思想家ジャック・デリダの考えも紹介する。」

*「第五章では、文字と権力を論じたレヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』の有名な一節を再考することから始め、『パイドロス』でソクラテスが語る古代ギリシアの墓碑銘を採り上げる。古代ギリシアの墓碑銘は「われは告げる」という、文字が主体として語る事例であるが、そこでは文字がそれを読む者の声を従属させていた。また、近代の図書館では声が抑圧されており、「文字を読むことが声を従属させ抑圧する」とう、文字の声に対する権力作用をみていく。」

*「第Ⅲ部では、文字と声の交錯する様子、あるいは書承性と口承性の境界面で何が生じているかを考える。」

*「第六章では柳田国男の口承文藝論を手がかりにして、声を創り出す文学を日本の『平家物語』やフランスの事例をもとに検討する。さらに、文字が声を創り出すのであれば、はじまりにあるのは声ではなく文字であり、文字の受肉化が声であるというバリ島の考え方も紹介し、文字と声がめまぐるしく入れ替わるさまを追う。」

*「第七章では、第六章で示した文字とシャーマニズムの結びつきを、フランスの農村とペルーのピーロ人の事例をもとにさらに検討する。ピーロで最初に文字を読めた男の物語では、文字が自ら語りかけてきた。これはシャーマニズムを背景としている。さらに、人間の皮膚の表面に模様を描くというピーロの慣習は文字を書くことと結びついており、そこから書くことにおける触覚の重要性と感覚の変容を論じる。これは小泉八雲の「耳なし芳一」や蓮實重彦の『反=日本語論』につながり、そこで再び音声中心主義と出会うことになる。漢字や仮名を書いて覚える習慣を身につけている日本人にとって、言葉は手の記憶と結びついていることを指摘する。」

*「第八章では、ボルヘスの掌編小説「砂の本」を紹介し、開くたびに内容が異なるような書物の例としてバリ島の貝葉(ロンタール)や有名な『金枝篇』を挙げた後、現代のネット空間で、音声コミュニケーションさながらに書き込みが瞬時の内に変容するさまは、「砂の本」の究極の形であること(「文字が声化する」逆転現象)をみていく。このように、文字と声の関係は決して単純ではないことを、私たちはSNS時代に改めて考え直す必要がある。」

*「終章では、イギリスの人類学者ティム・インゴルドの「手書き」の擁護を紹介し、コミュニケーションの発達という観点からすれば一段階前の、直筆の手紙によるコミュニケーションに、親密な他者との交流を深める姿勢がまだ残っていることを紹介したい。」

《目次》

はじめに
図表出典一覧
第Ⅰ部 文字の効用をめぐる有力な議論
 第1章 「文字は認識を変える」か?
 第2章 「活字は視覚を特権化する」か?
 第3章 なぜ文字が「届けられない」か?  
第Ⅱ部 声に権力を行使する文字
 第4章 音声中心主義を見抜く 
 第5章 文字が読む人の声を奪う
第Ⅲ部 書承と口承の境界面
 第6章 文字が新たな声を生み出す
 第7章 文字は皮膚に記憶されている
 第8章 「砂の本」を追いかけて
 終章 打ち言葉と手書きの擁護
おわりに

□出口顯

島根大学名誉教授。1957年島根県生れ。筑波大学比較文化学類卒業、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程退学、のち博士(文学)。島根大学法文学部教授を長く務めた。専門は構造主義をはじめとする文化人類学理論の研究、アメリカ大陸先住民の神話分析の理論の研究など。著書に『臓器は「商品」か』(2001年、講談社現代新書)、『神話論理の思考』(2011年、みすず書房)、『ほんとうの構造主義』(2013年、 NHKブックス)など。

NHKブックス『声と文字の人類学』がNHK出版から3月25日に発売されました。著者は構造主義をはじめとする文化人類学理論の研究などを専門とする出口顯さん。声に出して話し、文字を読むという日常的な営みについて、人文学の領域を横断しながら論じます。

人類の長い歴史の中で、文字の存在はどんな意味を持ったのでしょうか?
 「そこから文明が生まれた」
 「音声を残せるようになった」
 このような従来の西洋中心主義的な常識を脱し、本書では、古今東西の文字使用が意外な事例に満ちていることを示します。人類史が見落としてきた「声」と「文字」の歴史は、読み書き能力への信仰を揺るがす深い問いを投げかけてきます。

・音声のほうが文字より信頼される古代ギリシアと中世英国
・文字を超人的な力の源泉として利用する南米の先住民社会
・語り物の成り立ちをめぐる柳田國男の論
など、多くの実例を図版資料も交えて紹介。人類史の多彩な側面を味わえる、知的冒険に満ちた読み物です。

「文字イコール文明」というイメージを覆す

「文字による伝達が生まれると文明が生まれる」と見る人類史が見落としてきた事例は多い。本書は、古代ギリシャから中世英国、近代日本、現代バリまで、「声より先に文字がある」「文字記録が信頼されない」例を集め、字を書くことと「口伝え」との境界面を探ることを通じて文明の常識を問いなおす。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?