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三村尚央『記憶と人文学』/中村昇『ベルクソン=時間と空間の哲学』/ベルクソン『物質と記憶』/沢耕太郎『写真とことば』/ロラン・バルト『明るい部屋』/ソンタグ『写真論』/ベンヤミン『写真小史』/ゼーバルト『アウステルリッツ』
☆mediopos3451 2024.4.29 三村尚央『記憶と人文学』第一章 「写真と記憶、記憶の写真」から すでに本書は吉田健一『時間』とあわせ mediopos2397(2021.6.9)でとりあげているが 今回は写真との関係における「記憶」について ベルクソンをガイドに・・・ 「写真は一体何を写し出しているのか?」 写真が誕生して以来 繰り返されてきている問いである 一葉の写真には 「被写体」「撮影者」「鑑賞者」が 多様な関係で結ばれている たとえば過去
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『ミリンダ王の問い インドとギリシアの対決』/『世界哲学史1』/『世界哲学史8』/納富信留『世界哲学のすすめ』/山川偉也『パルメニデス 』
☆mediopos3450 2024.4.28 『ミリンダ王の問い』という バクトリア周辺のギリシア王のミリンダと 仏教僧ナーガセーナとの対話が残されていて 「ミリンダ・パンハ」(パーリ語)と呼ばれる 仏教の外典となっている ギリシア人が最初にインドに赴いたのは 前五〇〇年アレクサンドロスの遠征によってだが それから二〇〇年近く経った前二世紀半ばに 上記の対話が行われたとされ テクストの原型が成立したのは 前一世紀前半から半ば頃と考えられている ミリンダ王は 「「あ
田中純『イメージの記憶』・『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』/唐木順三『中世の文學』/稲垣足穂『一千一秒物語』/九鬼周造「小唄のレコード」/世阿弥「遊楽修道風見」
☆mediopos3449 2024.4.27 田中純『イメージの記憶』第6章 「無の色気————デヴィッド・ボウイから世阿弥へ」 今回とりあげるのは 章題となっている「無の色気」についてである それは「色即是空 空即是色」の 「空即是色」ゆえの 「無」の香りだともいえるだろうか・・・ 田中純は『デヴィッド・ボウイ————無を歌った男』 というボウイの作品論を上梓しているが その副題の英訳は The Man Who Sang Nothing 「何も歌わなかった男」と
吉岡乾「ゲは言語学のゲ⑩花は他の名でも同じく香れど」(群像)/「歴代の子供の名前ランキング!令和の傾向と昭和・平成との比較」 (テテトコ)/2023年赤ちゃん命名・名前ランキング(アカチャンホンポ)
☆mediopos3448 2024.4.26 子供の名前に 「キラキラネーム」が増えている 「キラキラネーム」とは 「伝統的でない当て字、外国人名、創作物の 登場人物名などを用いた奇抜な名前の総称」 (Wikipedia)のこと 2000年代には「DQNネーム(ドキュンネーム)」と呼ばれ 2010年代以降になると 「キラキラネーム」と呼ばれるようになった 昭和生まれの人間としては ずいぶんと違和感のある名前も多いが 時代とともに名前の傾向は変わっていて おそらく
金森修『ベルクソン 人は過去の奴隷なのだろうか』/平井靖史『世界は時間でできている ベルクソン時間哲学入門』/ベルクソン『時間と自由』『思考と動き』
☆mediopos3446 2024.4.24 わたしたちは「本当は自由」なのに 時間を空間化してしまうことで 「純粋持続」としての時間を生きられなくなっている 時間が空間化されると 時間は計測される「もの」となり わたしたちは「自分に対して外在的に生き」 「ほとんど行動させられている」ようになる しかも過去からくる記憶に縛られ 「いまこの瞬間を見ているようで、 実はいまままで何度も見てきたもののようにそれを見、 いままで何度も聴いてきたもののように、 それを聴いて