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茜空は「憑依型」なのか?(2023/10/23 - トーク番組『アイふた』の何気ないやりとりを聞いてふと思ったこと)

(※以下の文中、すべて敬称略で失礼します)

「茜空って名前は、マネジャーさんにいただいた名前なんですね。だから、意味が込められているというか、画数なんかも考えてつけていただいたので、気にいっています。五十音順でタレント名が並んだときに、早く目につくなんていうことも考えてくれたみたいで…」

(あ、そうなんだ)

「あ、でも、ukkaのほかのメンバーは、自分で決めたという人が多かったみたいですね」

グループを離れてひとり、人前にソロの活動で出る機会は久しぶり。
緊張まじりの時に時折見せる、ともすると、ただニコニコ笑っているだけのようにも見える表情を浮かべながら、トークが進んでいくはざまの初出エピソード。

ニコニコしながらトークを進める20歳の表情を見ながら、ふと、8年か9年も前に、12歳の少女がその二文字から受けた第一印象って一体どんなだったろうと思いを馳せてみた。

「アカネゾラじゃないのよ、アカネソラって読むんだってさ」

2023年10月23日。
ニッポン放送アナウンサー吉田尚記が、企画から司会をつとめ、長年手弁当で続けている、アイドル数人をゲストに特にテーマを定めずに「アイドルに負担をかけないことをモットーとする」トークイベント、通称”アイふた”に、茜空が出演することになった。
旧『渋谷LOFT9 アイドル倶楽部』から数えて、通算45回め、ukkaメンバーは既に全員が一度は出演しており、茜空は、その中で最後の登場となった。

ukkaと吉田尚記とは、長年、いろいろな関わりがあった。
2年前、結城りな・葵るりが加入したときの公開オーディションでは、吉田司会の仮想ラジオ番組に、ukkaメンバーと候補者が出演して、トークをどれだけ展開できるかというプログラムが盛り込まれたこともある。
(この日の出演者、千浜もあなも候補者の一人として、このオーディションに参加していた)

ごく個人的な印象だが、ラジオ番組やイベントの司会で、吉田は、リスナーに対して出演者を強く印象づけるようなワンフレーズを添えるのがうまい。
生放送の限られた尺の中で、ゲスト出演者の印象をリスナーに残すこと、その一方で吉田自身が黒子に徹するという職人芸は、接するたびに「うまいなあ」と思う。

この日、吉田のフィルターを通した茜空の印象は、「いつ見ても笑顔を浮かべる、とにかく明るい子」というものだった。
茜空は、この日登壇した4人のアイドルの中では、最年長だった。
アイドル歴丸8年あまり、20歳。
茜空は、吉田の司会進行のペースに乗っかって、いつも以上にニコニコ・ニヤニヤしながら、その場を平和な空気に染めていく。

茜空の自己紹介が続く。
公式プロフィールに触れたあと、今日のために事前に用意した「ちょい足しプロフィール」に話が及んだ。

 ライブ中の私と 特典会の私

「周りのスタッフさんに、ライブ中(の表情)は、憑依型っていうように言われるんですよ」

「楽曲の世界観に入り込んだりとか、ライブ中はふだんとは全く違う顔を見せたりするのが、けっこう自分的にも得意とするというか誇っているというか、そういう部分なんですけど」
「物語に入り込んでいくのが好きというか、本とか読んでる時も、その登場人物の気持ちになるとか、その登場人物になりきって本を読むとかも好きだったり」

「逆に特典会だとこのままの私です、この喋ってるわたしそのもの、みたいな感じ」

「ライブ中に見せる顔と、特典会のときに見せる顔が違うところが、わたしのいいところかな、と思ってます」

うんうん、なるほどと頷いて聞きつつ、ふと気になった「憑依型」という単語。

憑依(ひょうい)[名](スル)
1 頼りにすること。よりどころにすること。
2 霊などがのりうつること。

デジタル大辞泉(小学館)

憑依型といえば。

大竹しのぶが、シャンソン歌手エディット・ピアフを演じる舞台『ピアフ』。
何度か再演されたこの舞台を見るたび、時代も人種も年齢も違う大竹しのぶが、自分でエディット・ピアフに「なりに行っている」わけではないということを感じる。
そして、終演後いつも、舞台に大竹しのぶ本人が一切「いなかった」ことに気づかされる。

おそらく、憑依型と評される役者(演者)は、役を自分で動かす意思もなく、勝手に役が動くものなのだろう。

茜空のステージに魅了される理由。
ごくごく個人的に、それは「そこに茜空が強烈にいること」を感じさせてくれるところにあると思う。

全身全霊で、茜空でいてくれること。
あえて逆説的なことを言い方をすると、楽曲の物語に寄り添って歌い踊る女の子に、別物が憑いて異物になった茜空を感じたことはない。
茜空度がゼロから100(あるいはそれをはるかに超えた値)の間で振れていることはあっても、茜空度がマイナスになってる姿を見たことがない。

きっと、自分は「異世界に乗っ取られた憑依」ではない、「世界観を体現」する姿に、”いま””そこにいる彼女”を感じているのだと思う。

冒頭の話に戻る。

吉田の
「茜空という名前に意味を込めて、名づけてくれたマネジャーには、『どういう意味が込められているんですか?』と聞いたんですか?」
という問いかけに対して、茜空は、
「いや、ぜんぜん」
と答えた。

想定した答えからはぐらかされた吉田は、やや大げさにも見える苦笑を浮かべていた。

12歳の少女が、好奇心とともに足を踏み入れた、芸能という道。
ただ「茜空」とだけ札に書かれた、何も入っていない真新しいロッカーを目の前にして、何を思ったのだろう。
はじめから意味なんて求めようとはしなかったのか。

2015年8月、TIFスマイルガーデン。
桜エビ〜ずのお披露目となるステージ。
舞台袖で、今から飛び出していく方向へ向けて、「キッ」と一瞥の睨みを効かせた刹那。

その後の何年もの時間は、もしかしたら、その空間に一つ一つ、自分の魂を「茜空」という名前を冠して吹き込んでいく軌跡だったのかもしれない。

ukkaのステージを見るたび、いまそこに「茜空がいる」ことを強烈に意識させられること。
それは一面に広がるマジックアワーの時間帯の記憶に近いのかもしれない。

いまを盛りと咲き匂う桜に見惚れるとき、そびえ立つ勇壮な建物を見上げるとき、背後の空に目がいくことはない。
でも、背後に控えながら、その空は、景色の重要な一部をなしている。
曇天にわかにかき乱れる時、夕暮れの訪れとともに雲の向こうが茜色に染まる時、人は頭を上げて、目を向けざるをえない。

空が見せる様々な表情に、常に惹きつけられている。
一見控えめに全てを支えながら。
生々流転を繰り返しながら、いつも茜空は「そこにいる」。

Don’t miss it.
ぼやぼやしていると日が暮れてしまう。

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