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J.Y.Parkコンサート、ソウル公演の帰り道に。

韓国語でInstagramに書き残したものを
日本語翻訳しています

2023年12月30日。今年も歌手J.Y.Park(パク•ジニョン)のコンサートを観に行った。深く感動し、家に帰る地下鉄の中で心の中に浮かんだことを文章に残したくなった。

私が日本で韓国語を学び始めた2010年、韓国語の先生のお母さんの勧めでJ.Y.Parkが出演した音楽番組『ユ•ヒヨルのスケッチブック』を観た。J.Y.Parkの作詞作曲に対する考えがとても深く、印象的だった。その後見せてくれた舞台では誰よりも懸命に踊りながら歌い上げる姿がとても素敵だった。この人は完璧なエンターテイナーなんだな。いつかコンサートに行ってみたい。その時、そんな夢が生まれた。

2011年の秋、日本で韓国ドラマ『ドリームハイ』のファンミーティングが開かれた。久しぶりに俳優のペ・ヨンジュンが来日するということで大騒ぎだったのだが、運良く私も参加することができた。翻訳機を使いながら書いた手紙を知人がJ.Y.Parkに手渡してくれて、良い思い出になった。

2012年6月。J.Y.Parkが通っていた延世大学にある語学堂で韓国語の勉強を始めた。その年、J.Y.Parkが主演した映画が公開され舞台挨拶を観に行った。その時、ファンたちが自然に彼の元へ駆け寄っていったので驚いたのだが、私も勇気を出して学校のノートを取り出し、サインしてもらった。「名前は何ですか?」と聞いてくださり、最後に握手をした。韓国語で会話できる日がこんなにはやく来るなんて。胸が熱くなった。

その年の12月31日。初めてJ.Y.Parkのコンサートを観に行った。今考えてみると、それはこの先二度と観ることができない19禁の公演…とても大人っぽくセクシーな舞台で、それまで一度も観たことがない世界だった。留学生なのでお金を節約しようと一番安いチケットを買ったのだが、それを後悔するほど完璧なコンサートで、次は必ずVIP席を買って観に来なくちゃと心に決めたのだった。

時は流れて2019年12月。久しぶりにJ.Y.Parkのコンサートへ行くことができた。数年前に想像もしていなかった国際結婚をし、韓国で結婚移民者になった私は、2018年に息子を出産した。子どもができてからは自分の時間が全くなく、一人で自由にどこも行けなくなったので、その年のコンサートは本当に特別な贈り物のような時間だった。VIP席から見上げた歌手は、変わらず懸命にダンスを踊り、感情をこめて歌を歌っていて、その後に突然始まったコロナ時代を耐え抜く力を与えてくれた。

2022年12月。コロナのためずっとなかったコンサートがついに開かれた。私は3年ぶりにまた一人で観に行った。コンサートの終わりに私が一番好きな『대낮에 이별(真昼の別れ)』を歌ってくれたので、涙が出そうになった。私がこの歌を初めて聞いたのは大きな別れを経験した時だったので、この歌を耳にするたびに昔の記憶がよみがえってくるのだ。でも、その別れのおかげで新しい人生が始まったのだし、不思議な縁で韓国までたどり着いたのだから、感謝の気持ちで一杯だった。

そして今年、2023年12月30日。朝から雪がたくさん降り積もった日に一人でコンサートを観に行った。80年代の初めに生まれたものの、80年代に流行していた韓国の歌はほとんど知らず、楽しめるか少し心配していたのだが、80年代のリズム感はやはり韓国•日本ともに同じだったので、子どもの頃を思い出しながら楽しんだ。今年は年上の方たちがたくさん来ている印象を受けたのだが、私よりはるかに大きな声を出し、楽しそうに踊る姿を見て元気をもらった。

コンサート会場にはJ.Y.Parkの子どもたちも来ているようだった。私も年の近い子どもを育てている母親なので、家で父親と待っている息子のことを思った。いつかJ.Y.Parkのコンサートに息子と一緒に行きたいという夢も生まれた。音楽の力について、そして日本から韓国に来た母親の歴史について、J.Y.Parkの歌を一緒に歌いながら話せる日が来たら嬉しい。

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