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父の形見

 がんで闘病していた父が亡くなった。がんと分かってからコロナ禍となり、会いに行きたくても行けない、いかんともしがたい3年間が過ぎた。

 母から時おり LINE で送られてくる写真は、次第に父の辛そうな姿をぼくに見せることになった。そして、その写真の数も少なくなっていった。父が、写真を撮られることを嫌がるようになったからだ。

 「いつ何があってもおかしくない状態です。」と主治医から言われていると聞いていたから、心の準備はしていたつもりだったが、実際に父の最期に立会い、死の旅路へ送り出すというのは、想像を越えて堪えるものだった。一年半以上経ったいまでも、思い出すと辛いし、父に会えない寂しさは消えない。

 ぼくの手元には、オメガの腕時計が父の形見としてある。自分のために贅沢をしなかった父へ、姉とぼくがお金を出し合って贈ったものだ。酒の席ではいつも楽しく、きれいな飲み方をする父だったが、その時計を酒席では決して着けなかった。とても大切にしていたから、失くすことを恐れたのだという。

 父の四十九日法要が終わって、少し落ち着いてから、ぼくはその時計をメンテナンスのオーバーホールに出し、再び手元に戻ってきてから、仕事場に着けていくようになった。それまでは、Apple Watch や Garmin のスポーツウォッチがあれば、もう腕時計は要らないと思っていた。しかし、その時計が生活の一部になってからは、腕時計が特別な存在になった。

 父の形見の機械式時計は、ぼくの大切なものの一つになった。そしてそれが、機械式時計について勉強するきっかけになった。どうもそれは奥深く魅力的な世界らしい。父はそれ以上時計を必要としなかった。でもいまぼくはその世界に惹かれてならない。

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