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インドに行きたい

2024年4月から2年間、国内のMBAに通う予定です。このnoteも主にはそれについて書いていこうかなと思ってぼちぼち準備をしている段階なのですが、2年後、MBAを終えたらどうしよって考えた時に、インドに行きたいと思っています。

ちなみに、インドでスタートアップとかそういう意識高い系の話ではなく、インドで放浪したい。その時の自分と相談ですが、本音としてはインドで浮浪者になりたいとさえ思っています。

そもそもなぜインドなのかというと、昨年の夏くらいから仏教に魅了されているというのが1つ明確な理由としてあります。

日本に伝わって久しい仏教って、いろんな宗派があって、それぞれで座禅をしてみたり修行してみたりなんやらとありますが、私は個人的にお釈迦様の教えに、ただ感心しているというだけですね。なので、特に仏教について云々というより、ゴータマ・シッダールタの人生に共鳴してやまないという具合です。

一旦、そもそもの仏教ってなんなのかという話をしておきます。

仏教というのは、そもそもはゴータマ・シッダールタという、ただの人間の教えです。神様とか出てこないんですよね、これもまた好きなところです。

ゴータマさんはお金持ちの家に生まれて何不自由なく暮らしていました。

ある日、街に出かけると、歯が抜けて腰の曲がった老人を目にしました。別の日には、痩せ衰えた老人を目にし、そのまた別の日には死者を見かけました。(四門出遊をザクっと書いてます)

ゴータマさんは自分もいつか彼らのように老いて、死にゆくものだという事実に衝撃を受け、ショックが大きすぎるあまりに立ち直れず、出家をします。修行をして、それらの恐怖から免れようと思い立ったわけです。

さまざまな修行の末、ゴータマさんは、有名な「諸行無常」に辿り着きます。つまり、「世の中のすべては移り変わるもので、何ひとつ確かなものはない。富や名声、健康や愛する人の命も永遠に続かない」ということです。

諸行無常であったり、四苦八苦は一般的に有名です。

四苦八苦というのは、生老病死(生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ)それに八苦とは愛別離苦・怨憎会苦  ・求不得苦 ・五陰盛苦 です。ザクっと言ってしまうと、愛する人との別れの苦しみとか、思い通りにならない苦しみとか、生きる上での苦しみ全てです。

こうした全ての苦しみは、煩悩から生まれるものです、と。何を手に入れようとも永遠ではないし、いつか失うもので、ということです。

ちなみにお釈迦様とか仏陀というのは、ゴータマさんのことです。ゴータマさんが悟りを得た後に仏陀となりました。

※細かい話が気になる人は文献でも読んでみてください。

執着という人間らしい観念

自分の人生を見ても、この28年くらい、執着にまみれた人生を送ってきたなとしばしば思います。

そして、昨年の夏頃から、その執着と徐々に別れていく努力をしてきました。修行ですね、努力というか。で、最終的に、やはり死にたくない。生きていたい。病気になりたくない。どれだけ自分を律し、執着から離れた暮らしをしようとも、自分という存在がある限り、執着はなくならないものだな、人間ってかわいいな、と。

これが今の心境です。

で、執着についてしばらく考えてみた時に、こんな話をしたいと思います。

例えば、元世界チャンピオンの80歳のボクサーが若いやつには負けないと20代の現役チャンピオンに挑んで、誰が見ても痛々しいという感想しか出ないと思うんです。

ただ、元チャンピオンが、戦いで勝つことだけにとらわれず、例えばコーチとしてとか、解説者として現役であるならば、多少なりとも評価される機会もあると思うんですね。

つまり、人は人生のどこかで得た快感とか、成功体験みたいなものを引きずって、その時の感覚から抜け出せずに、今の自分にとって心地よくて、更には価値を発揮できるところではない場所で頑張ってしまっていることって多々あると思うんです。

自分が鬱々とした半生を送っていた原因っていうのは、おそらくそういうことで、私がもし元チャンピオンなのだとしたら、世界戦は若者に任せて、世界戦で勝てる選手を育てるとか、そういう方向に向かっていかないとな、という、あくまで比喩的で抽象的な話ではありますが、腹落ちした瞬間に、自分と「自分」が28年間で初めて、出会ってくれたような感覚がしたんですね。

自分と「自分」って難しいんですけど、まあなんか、ふとした瞬間に自分が生きてるなと感じる「自分」が自分の中にいる感覚です。

それから、あらゆる苦しみとか不安とか、悩みとか、人生からは拭い去れないものだという境地に達して、いよいよ四苦八苦という言葉の本質的な意味を体感的に理解出来るようになっていたんです。

つまり、悩み苦しみ、鬱々として、それでも生きたその先で、ある種、自分を生かすためにたどり着いた結論というのは、仏教の始まりと同じだったということなんです。自分がお釈迦さまと同じレベルの人間だとか、そういう話ではなくて、何の信仰もなく生きてきた人間であっても、真面目に人生を生きていた結果、そこにたどり着くあたりが、やはり仏教というのは素晴らしい教えだな、と。つまりは、人生とは四苦八苦、諸行無常ということです。

お釈迦様が悟ったと言われている菩提樹に行きたい。そこでひたすら瞑想をして、人間である自分と、生きている自分と、ある意味では宇宙を感じたい。

だから特に何もせず浮浪して、生きていることを最大限に感じて、それを楽しみたい。だからインドに行きたい。


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