427.でもね、失っていくものがまったくわからないまま、時は残酷なまでに過ぎていくんだよ!
(39)負けない心
1.黙っている人って、相手の反応がわからない、
でも、話しすぎても伝わらないんだよ
昔、「男は黙ってサッポロビール」というキャッチフレーズがあったね。
男はあまり人前でペラペラと話すものではない、男はただただ静かに黙っていてこそ男というような意味合いなのかな?
だけどね、黙っていることは美徳ではないと思う。
静かにしていることも得ではない気がする。
だって、一体何のために口があり、何のために言葉があり、何のために話ができるのでしょう?
このようにただ黙っているだけが美徳であると信じている人も多い。無駄口をたたかない、控えめ、謙虚という場合もある。
でも、ただ黙っていて、自分を隠し、自分を表に出さずして自己の表現・自己の分析は不可能だね。
むしろ、黙っていることで自己を失う恐れもあるからさ。
だからといって、誰にでも何でもすべての人に話しかけ、話しすぎる必要はないけれど、信じる人たちには「話すこと」「話し合うこと」に損失などあり得ない。
でも、それでも人は困った時でも話さない人もいる、困った時だけしか話さない人いる。本当は困る前に話し、話し合うことがどれだけ美徳で、どれだけ有利で、どれだけ助かることなのかも黙る人には理解ができないような気がする。
黙っている人は、残念ながら相手の反応がわからない。
自分の意志ですら伝わらなくなってしまう。
黙っている人には「確認」「再確認」ができなくなる。
今の自分の置かれている状況が、たとえ困難な状況であっても、困難だという自覚すらなく、黙る者には自己不在しか残らないんだ。
黙っている人って、恥意識が低い。
だって、誰も笑ったり馬鹿にしたりしないのに、恥意識を持ってしまう。
そしてね、隠す必要のないことまで隠そうとしてしまうんだ。
自分を隠し、自分を偽り、自分をどんなに良く見せているつもりでも、人はそんなことを評価などしないし、信じないのさ。
だから、もっと自然に、もっとありのままに、もっとゆったり、ゆっくり、もっと素直に…。「あるがまま」って、そんなことをいうんだよ。
もっと丸く、もっとゆるやか、あるがままに自分の本当の姿を表に出すことが自分に対する自信を回復する方法だといえる気がしている。
自分に自信を持っている人の共通点ってね、
自分はこう思う!
自分はこう考えている!
自分はこうしようと思っている!
自分はこうしたい!ああしたい!
自分はこう動きたい!
このような考え、言葉、行動をしていることがわかる。
何よりも自分に対して、はっきりしているよね。
言葉ってね、自分の積極性、
言葉って、自分からの発信、
発信があるから受信があって、
最終的に発信した自分に自分が受信する。
このようなキャッチボールが確認、再確認となり、それも自分に自信を持っている人の共通点だ。
そしてね、
「もし自分だったら…」とまるでボクシングでいうシャドーボクシングのように相手を仮想してひとりで戦うかのように、もし、この相手の立場だったら自分はこう考え、自分なら「こうしたい!」「こうする!」と考えることができる。
(常に相手の身になっている、共感するひとたち)
さらに相手の欠点からも長所からも学びとり、自分だったらこう答える、自分ならこう説明する。相手の欠点をただ嫌うのではなく、相手の欠点や長所からも学び。相手の長所をただ見習うだけではなく、自分のものにしてしまうんだよね。
ただ人を分析するのではなく、
自分にあてはめて分析しているのがよくわかる。
2.自己表現術と自己分析
人って、当たり前だけれど、誰でも自分のために生きている。
そして、自分自身のために努力する。
たとえ、誰かが「世のため」「人のため」「誰々のため」「会社のため」といい、信じていたとしても、結局最終的にはすべて自分のためになっているはずだから。
でも、現実は自分のためにも、人のためにも生きることができない、生きていない人たちがとても多くいる。
自分のためにと思っていても自分のためにならず、
人のためだと思っていても人のためにならない。
こんな、誰のためにもならないなんて、これって、かなり悲惨なことだよね。
生きることって、闘い続けることなんだね!
生きているって、実感できるのは、いつまだも闘い続けている時だ、とあるスポーツ選手がコメントしていたことを思い出す。別にそれって、スポーツの世界だけではないでしょう。
生きることに避け続け、逃げ続けてしまい、すると生きているという実感を失う。それでも実感のないまま避け続け、問題から逃げ続けている人たちは数多くいる。
そして、それって、実感がないため自分が避け続け、逃げ続けていることにまったく気づかず、また自分が不利になることに対してさえ気づこうとする努力もできなくなってしまうんだ。
人間性の差って、ここから生じているのかも。
それを、coucouさんはね、「人間力」と呼んでみることにした。
この「人間力」ってね、本来、すべての人たちに平等に与えられているもので、積み重ねの努力のできる人たちは、その人間力が拡大されていくんだよ。
これらが理解できない人たちって、当然、得るものより失うものがより多くなっていくのさ。でもね、失っていくものがまったくわからないまま時は残酷なまでに過ぎていく。
さて、「自己の表現術と自己の分析法」はここまでだけれど、この内容はもしかすると人によっては無意味で、不必要だと思う人もいるかもしれない。
また、必要を感じている人もいるかもしれない。
なんといっても、当たり前のことのようで、当たり前でなく、むずかしい表現のようで、簡単な話で、一体何に役に立つんだとお考えになる人もいるかもしれない。
また、自宅に戻り、そっと目を通してくれて、何かのビジネスや人間関係や取引の時にこの人間心理を役立たそうと考えてくれる人もいるかもしれない。
また、このまま誰の目にも触れず、押入れの中に山積みに仕舞い込んでいるかもしれない。
でもね、これらの書いてあることのすべてはね、coucouさんの膨大な無駄な体験をもとにした現実と事実が含まれているんだよ。
この内容を無意識的に避け受け入れられない人もいれば、意識的に受け入れる人もいると思う。
本当はこの内容を一生懸命に読める人、考える人には、まったく必要のないもので、これを読まない、必要としない人ほど最も必要なものかもしれないと思う。
人生ってね、再確認の連続なんだ。
確認し合うってことはね、生きることを前向きにとらえる最も大切なことなんだ。もし互いが確認し合うことができなければ、間違いなく方向性を誤ってしまう恐れがあるからね。
(coucouさんはね、これが出来なくて随分と失敗を繰り返し、人生を遠回りしてきたんだ。だから、せめて、自分だけの判断ではなくて、確認、再確認って必要だと信じている)
だって、確認できなければ、正しき判断ができなくなる恐れがあるからね。
すると、あえて損を選び続けてしまうんだよ。
このように自分自身を確認、再確認ができなくなってしまっている人があまりにも多すぎると思う。
そこに本当は自分の必要としているものがあるはずなのに、どうしても欲しいと思っているはずなのに、気づかない、見えなくなってしまうんだ。
「理解する」「理解される」、それって、かなりの努力が必要なものなんだよ。黙っていては理解されないし、遠慮ばかりしていても誤解されてしまうし、だからそのために、ほんの少しでいいから努力が必要なんだよ。
それってね、逆に、今まで「理解できない」「理解されない」努力をし続けてしまった結果からかもしれないからさ。
coucopuさんです~
みなさん、ごきげんよう~
coucouさんのノートは長い~
友人たちからも良く言われる~
でも、短くまとめる能力がない~
ノートは短く、長くなるならば細切れにして何回かに分けた方が得だ、って意見があった。
それに一回だけでは損だ、というクリエイターさんたちもいる。
(ノートに損得ってあるの?)
確かに、みんなのノートを見ていると、ツィッターのような短文であったり、説明や意味もわからない文もある。(それも自由~)
確かに、長すぎるのは問題があるかもしれないけれど、必要だと思うものはそれでいいと思うんだよ。
それに、その人の考え方や独自性、個性だと思うんだ。
coucouさんの場合、やっぱり写真とか、詩や俳句、短歌などはクリェイティブな作品なので、どんな短い言葉であってもその背後を考えると相当数の時間をかけていることがわかる。
写真だって、そう。
たった一枚の写真であっても、何枚も、何枚も撮影した中から自分が良いと思ったものを選んでいる。
みんな、結果の完成体だけで判断しているようだけれど、その人なりの考えた、背後の大変さを感じてしまう。
特に、歴史の神さま千世さんなどの歴史に関しての事前調査などを考えるとたった一作品に膨大な時間をかけていることがわかる。
それらを一括りにして、長いとか、短いではなくて、必要としてまとめられているものには長さなんて関係ない気もする。
だって、ノートの世界で教えてもらって、学ぶんだもの~
coucouさんはね、大切な内容は全部プリントして読んでいる。
(パソコンより読みやすいかも、保存を兼ねてね)
やっぱり、クリエイターとしての作品なんだから、その人の表現方法や見せ方は自由だと思う。
ただね、coucouさんのノートを読んでくれる人には大変申し訳なく思っているのです。
(毎回、5,000~8,000文字)
お許しくださいね~
でもね、みんなの作品も大切に読ませてもらっているんだよ~
アゲハ蝶(揚羽蝶)はね、スピリチュアルな意味を持つ生き物とされているんだ。幸運や変化などを象徴し、神の使いといわれることも。
そんなアゲハ蝶は、私たちにどのようなメッセージを伝えてくれているんだろう。
アゲハ蝶(揚羽蝶)ってね、スピリチュアルなメッセージを持つ存在。
アゲハ蝶を見かけたら何か素敵なことが起こるって知っていた?
さて、coucouさんの大好きな、大好きな「ノートに神さま」、
47番目(順不同)の神さまのご紹介~
その人の名はAGeHa(あげは)さん。
coucouさんをいつも、応援してくれてありがとう~
最初に、勝手なご紹介お許しくださいね~
AGeHaさんはね、幸福を知らせてくれるメッセンジャー~
復活と変化の象徴、そしてかみさまの使い~
coucouさんと同じ妄想の達人~
風を感じたら、その風に乗ろう。
光が見えたら、その光に向かって進もう。
これはね、AGeHa(あげは)さんの素敵な言葉だ。
まさに、バタフライ・エフェクト~
たった、一人のAGeHa(あげは)さんが旋風を起こす。
そんな風の時代にふさわしい宇宙神~
ノートに宇宙神がいた~
元気のない人、前を見続けたい人はぜひ、読んでくださいね~
AGeHa(あげは)ー意識と信念で世界を創るさんの言葉より
ライフはアート、地上は楽園、宇宙はパラダイス。ハッピーラッキーに、もっと豊かで幸せで楽しい世界で生きる。妄想は創造。感じたまま、ただただ降りてきたまま書いてます。支離滅裂、許してね。心の中の、これいいよ、いいかもよ、ってことをシェアできたらいいな、って思ってます。
思えば、ずっとずっと、
自由を求めて、自由であり続けようと、
その様に、生きてきた。
多くを魅せる、素敵な存在になろう。
私は、今ここで、改めて、そう決めた。
「信じる」ー「信じない」を、
振り子のように行き来しながら、生き進んでいくのが人生だからです。
その振り子の幅が、どんどん小さくなり、
「信じる」に留まるようになる。
風を感じたら、その風に乗ろう。
光が見えたら、その光に向かって進もう。
私は、私の世界が、
暗く翳ってしまわない様に、気を付けている。
私には、凄い才能があって、
それは、私だけが持っているもので、
それはそれは、素晴らしい、
ベストオブベストな、最上級のセンスに溢れ、
今、まさに、
私は、その花を、咲かせようとしている。
そして、それは、
香り芳しく、華麗に、世界を、幸せで彩るのだ。
こんな風に思って、↑ ↑ ↑ ↑ ↑
自分を信頼し、自信たっぷりで、生きていこう🙌🏻
上手くいっている。
大丈夫だ。
笑っていよう。
立ち止まらない。
目の前のことをやろう!
I Will Follow Him [日本語訳・英詞付き] リトル・ペギー・マーチ
Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru
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