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964.人生って「いい子」で生きてもいいし、「悪い子」で生きたってかまわないんだよ。

In life, it's okay to live your life as a "good girl," or it doesn't matter if you live your life as a "bad girl."

【お馬鹿なcoucouさんの逆さま論144】


©NPО japan copyright association Hiroaki

1.10番目の100の愛の言葉.10rd 100 love words.


たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

動けなくなっても、
Even if I can't move,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.


たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

何もかも忘れたとしても、
Even if I forget everything,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.


たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

何も聞こえなくなったとしても、
Even if I can't hear anything,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.

たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

何も見えなくなったとしても、
Even if I can't see anything,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.

たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

愛することができなくなっても、
Even if I can't love you,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.


たとえば、
for example,

あなたが、年老いて、
when you are old,

私も年老いて、
I'm old too,

触れ合うことさえできなくなっても、
Even if we can't even touch each other,

私の愛は変わらない。
My love remains the same.


だけど、
However,

たとえば、
for example,

あなたが私より、
you more than me

先にこの世を去ってしまうことよりも、
Rather than leaving this world first,




私があなたを見送りながら、
While I see you off,

私が悲しむことを選びたい。
I want to choose to be sad.

あなたを、もうこれ以上、
I want you no more

悲しませたくないからね。
Because I don't want to make you sad.

それでも私の愛は変わらない。
However, my love remains the same.


きっと、最後まで、
Surely, until the end,

手を離さないと思う。
I don't think I'll let go.

Ⓒお馬鹿なcoucouさんの逆さま論
ⒸStupid coucou's upside-down theory
10番目の100の愛の言葉.

10rd 100 love words.


©NPО japan copyright association Hiroaki

2.「いやな子」で生きてもいいんじゃあないIsn't it okay to live as a "nasty child"?


子どもときから、「いい子」になりますように~
愛される「いい子」になりますように~

そして、子どものときから「いい子」になるレールを敷かれる。
そして、その「いい子」のレールから外れると、「悪い子」「いやな子」という烙印を押されてしまう。

「いい子」って素晴らしい?

みんなから褒めたたえられ、愛されるのが「いい子」たち。
だから「悪い子」「いやな子」はすぐさま排除されてしまう。

「いい子」は優等生、「悪い子」「いやな子」は劣等生と言うレッテルまで記念にいただく。

だけどね、「いい子」で生きるって大変なこと。
いばらの道、まるで苦行のよう...。

「いい子」の使命は、人に認められること。
気に入られること、愛されること、そして、完璧を望まれること。

だけど、無理だよね、永遠の「いい子」なんて不可能なんだもの。
だけど、みんな「いい子」を目指すレールから降りることができない。
だって、怖いことなんだもの。

そして、「いい子」って壊れていく...。

「いい子」のままに生きている人は、自分が嫌い、自分にとっては「いやな子」となる。たとえ、外ずらが「いい子」であったとしても、内面は自分にとって「いやな子」として心が歪んでくる...。

「いい子」が悪いんじゃあないんだよ。「いい子」演じていること、いい子として自分を偽っていることが自分らしさを失っていくんだ。

でもね、人生って「いい子」で生きてもいいし、「悪い子」で生きたってかまわないんだよ。それが自分にとって正直で素直ならそれで十分なことなんだから。
「いい子」も「悪い子」も、みんな自分の都合で決めつけている。そう、人の都合のレールの上なんだからね。レールはね、自分で敷き詰めるもの。道は自分で作るもの。それが本当の「いい子」なのかもね。

でもね、「いい子」たち、たまには「悪い子」もいいんじゃあない~
「悪い子」になったっていいんだよ~

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.このひとのために生きたいんだ。I want to live for this person.

以前、「あなたの為に」「あんたの為なんだから」という呪いの言葉でお馬鹿なcoucouさんの青春時代が終わった話をしたよね。
coucouさんって、人との付き合いも下手くそだし、コミュニケーション能力もない、コンプレックスのかたまりだった。
だから、「あなたの為に」なんていわれると、つい嬉しくなって頑張り続け、頑張りすぎた...。豚も褒めれば木に登るタイプだったからね、みんな使いやすかったように思える。

だから、それ以降、絶対に人には「あなたの為に」とか、「あなたの為になる」なんて言葉を吐かない、吐いたことがない。

だけどね、長い間、そうやって生きているうちにね、「人のために生きたい...」「好きなひとのために生きたい」「愛する人のために生きたい」って言うようになった。それも遅咲きの60歳代。今までは、「自分のため」に生きて来たという錯覚もあり、結果、自分のためにも、人のためにもならなかった。
だけど、「好きな人のために生きたい」という気持ちが自然と、だんだんと湧いてきたんだ。でもね、その人には絶対に「あなたのため」だなんて言わないよ。そんな恩着せるほどのことなんてできないんだもの。

でもね、「人のために生きる」「好きな人のために生きる」「愛する人のために生きる」って、とっても幸せを感じるようになったんだ。一方通行の片思いだって、それでもかまわない。生きている実感や喜び、幸せ感が増えてくるんだ。何よりも楽しい~何よりも幸せいっぱい~これって、おかしいかなあ?

だってね、結果は、全部、自分の喜びや生きがいに変わるんだもの。だから、こんな逆さまもみんなにおすすめなんだよ。

誰だって、好きな人がいるはず。いなければ好きな人を探せばいいし、相手から好きになってもらえなかったとしても、相手が嫌にならない限り好きになればいいんだもの。
大嫌いな奥さん、夫さん、嫌いな子どもたち。
その子どもたちも嫌いなら、お友だち。男性同士、女性同士、年上の人、年下の人、誰だっていいよね。

coucouさんはね、猫さんたちも大好きだから、
この子たちのためにも生きている。

動物だって、人間だって同じ命なんだもの。
もしかすると、お互いが「この人のために」なんて思い合ったらこれ以上の幸せってないかも知れないね。

どう?好きな人のために生きて見ない?もっとね~

©NPО japan copyright association Hiroaki
©NPО japan copyright association 

coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

つづく、続き、ツヅク。
映画やドラマって必ず「つづく」で終わる。

だから不完全燃焼に陥るときもあるし、来週まで待てない~
ああ~一体どうなるのだろう?と悩みながら考え込む...。

でもね、これって楽しいことだよね。

お馬鹿なcoucouさんはね最終回とか、完結編って嫌いなんだ。
だってね、それで終わっちゃうんだもの。

だから、完全な終わり方ではなくて、現実は終わりだとしても、なんとなく続きそうな終わり方って大好きなんだ。

だって、楽しい夢の続きを見るみたいなんだもの。

でも、もしかすると「明日ってない」かもしれないけれど、「また、あした」って言葉も大好き~

だからお馬鹿なcoucouさんのnoteのラストは、
「またあした~」って続きをお知らせし続けている。

なんかね「終わり」よりも「続く」って言葉は前向きな言葉に感じるんだもの。彼女とお別れするとき、「またね」って続き言葉だよね。

さよならって終わりみたいなんだもの、寂しいよね。

映画評論家の淀川長治さんがテレビ映画のロードショー番組で、いつも「さいなら、さいなら」といって手を振り続けるラストシーンがあるけれど、淀川さんはたまらなく嬉しそうに「さいなら、さいなら、さいなら」と言い続けた後に必ず、「また来週に会いましようね...」という。
子どもながら映画が終わった後の寂しさが紛らわされていた気がする。

ああ、明日があるんだ~
ああ、来週があるんだ~と思う。

だから、お馬鹿なcoucouさんは、父や母とのお別れは、サヨナラでもありがとうでもない、「またね」「また、逢おうね」っていい続けた...。


ここまで読んでくれて、ありがとう~
毎日、毎日、読んでくれるなんてなんてうれしいんだろう~それにポツン、ポツンと毎回、coucouさんの恥ずかしい初期のnoteを読んでスキを押してくれている人たち、ありがとう~ほとんどの人に読まれていなかったnote1年目~2年目。でもわずかなみんなのスキに支えられて3年目になった。
だからね、このお馬鹿なcoucouさんのnoteが、逆さま論がお役に立って欲しいなあ、と思いながらcoucouさんの勝手な本音をぶちまけている。

ありがとう~

じゃあ、またあしたね~


文字数4,819文字


【和訳】Some Type of Love / Charlie Puth



coucouさんのアーカイブス(過去作品)だよ、みてね~

coucouさんのお気に入りnoteの素敵なクリエイターさんたち~

coucouさんのホームページだよ~みんな、みてね~

Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


©NPО japan copyright association 


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