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3.うん、生きてもいいですか?生き続けてもいいのですか?

あの時の自分

子どもが何人かの友だちにいじめられていたので、私はすぐさま注意をしました。おそらく小学三年生か四年生ぐらいの子どもたちです。「うるせいなぁ!」、そういいながら去っていきましたが、私は驚いていました。小学生に「うるせいなぁ!」なんていわれたのは初めての事だったからです。

私がいじめられた子どもの汚れたズボンをはたいてあげたら、その子は「ありがとう・・」といいました。そして別れ際、「ボク、負けないよ!大丈夫だよ!ありがと、おじさん」といってその場を去っていきました。
後ろ姿が見えなくなるまで、明るい笑顔で手をふり続けてくれました。私はその後ろ姿を見続けながら涙が止まりませんでした。

私は自分の子どもの頃を想い出しました。
あの時、誰も私を助けてくれる人がいなかったことを・・。
いま、私はあの時の自分を助けたのでしょうか・・。

生きる「いのち」。生き続ける「いのち」。
「いのち」ありがとう。

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新しい「いのち」

新しい生命が誕生しました。
その小さな顔は若い夫婦に似ていますが、その夫婦のお父さんやお母さんにも似ています。おじいちゃんやおばあちゃんにも似ています。
新しい命が微笑みます。
その微笑みは、まわりのすべての人たちを明るい光で包みます。その光は誰にでも見えるものです。
新しい「いのち」が大きな声を出して泣きだしました。
まわりにいる若いお父さんもお母さんも、おばちゃんも、おじいちゃんも、曾おじいちゃん、曾おばあちゃんも、一緒に泣きだしました。それは、人生で一番素晴らしい喜びの涙です。涙は嬉しくても止めどもなく流れるものです。
また、ひとつ支え合う「いのち」が生まれました。
人生ってあなたが思うほど悪いものじゃあない、の歌が聞こえます。

                                                                                                                 

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死のうかとおもう

死のうかと おもう
その考えが
ひょいと のくと
じつに
もったいない こころが
そこのところにすわってた
                     詩 八木重吉

すべての物事って、「NO(否定)」すると離れていきますね。
否定すると、何もかもが否定となってしまうようです。

人は誰でも、辛いことや嫌なことが起こると、人は否定しまいます。
自らを否定すると、相手をも否定してしまいます。そして、何も見えなくなります。たとえ周りに良いことが起こっても、それさえも否定してしまうのです。

すると人生は真っ暗闇になります。

私の場合、子供の頃から自分を否定することによって自分を守(逃避)ってきました。それ以外に自分の人格を保つ方法がありませんでした。そのために「NO(否定)」の期間が長かった気がしています。


街を歩いているとき、子どもを大きな声で怒鳴る親がいました。
「あなたはどうして、いつも駄目なの・・」と我が子を否定します。
多くの人の面前で子どもを殴る親もいます。

体育の時間に先生は、足の遅い子を「駄目だ、駄目だ・・」と怒ります。
学習塾の先生は、「何度言ったらわかるのか・・」とのみ込みの悪い子に言います。

友達同士で「あいつは付き合いが悪い・・、空気が読めない・・」と笑います。会社の上司が部下を怒ります。「お前には高い給料を払っているのだから・・」と。

病院では、医師が看護師に「何度言ったらわかるのか・・」と怒ります。どうして、みんなそんなに怒るのでしょう?どうして、大声を出すのですか?もう少し、もう少し優しく上げても運命が変わるわけないのですからね。

もう少し、優しくなりましょう。

競争社会では、順位や役職、地位、名声などが優先されるのですね。
ある政治家が「二番ではいけないのですか?」と言って顰蹙を買いましたが、本当に一番が偉いのでしょうか・・・。


世の中は、否定、否定、否定・・「NO」、「NO」、「NO」・・。

いつの間にか、「ありがとう」という言葉は挨拶用語になってしまいました。どうして「良かったね」「頑張ったね」「こうしたらどう」「ああしてみたら」「ありがとう」「助かったよ」「ご苦労様」「大変だったね」「大丈夫だよ」という労(ねぎらい)いの言葉で伝えないのでしょう。

どうして人を褒めないのでしょう。

どうして「YES(ありがとう)」と心から言えないのでしょう。
子ども大人も、生きるのが苦痛の時代になりました。
「NO(否定)」だらけの世の中だからでしょうか。

私たちは呼吸ができますね。
私たちは考えることができますね。
私たちは言葉が話せますね。
私たちは食べることができますね。
私たちは創造することができますね。
私たちには想う心がありますね。

私たちは生きていますね。
私たち誰もがYESと言えますね。

YESは感謝の言葉。
YESは感動の言葉。
YESは真心の言葉。
YESは祝福の言葉。

YESの心を持つと、NOが去っていきます。
YESの心は世界を平和にします。
YESの心は愛を与えます。

YESの心は人々を救います。
YESの心が私を助けてくれました。
YESの心はあなたたちを助けてくれます。

YESは人生の〈ありがとう〉という愛言葉です。

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coucouです。ごきげんよう!わずかでも見てくれる人、嬉しい!ありがとう!私は子どもの頃から、すべてのことを否定(NО)して生きてきました。私は自分をも否定することで、自分を崩壊させてしまうことを保ち続けてきました。このような自分、このような自分の存在は人のためにもならず、生きているだけで大好きな父や母までも苦しめてしまう、そんなことおかしい、と思っていました。でも、それでも生きなければ、生き続けなければ、さらに人を傷つけてしまうのでしようか?私は何の答えのないまま大人になりました。大人になってからの私は悲しみや苦しみ、怒りを文を書くことによって自分を保ち続けています。

うん、生きていてもいいのですね。


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