「普通に生きたい」と願ってもいいよね、ていう話
どうも、つい先日noterの新垣さとる様に、以前投稿した不思議なお話特集を、おすすめ記事として紹介していただいたHanaki.です。(歓喜)
ここまでしっかりと紹介していただいたことがなく、正直オドオドしてしまいました。(照)
新垣さとるさまみたいな音声配信憧れるなぁ。(フニャフニャ声のため自信なし)
内容もなんだか話しかけられてるような優しくて分かりやすい文章で、勉強させていただいてます。
本当にありがとうございました。
他にも今年に入ってから少しずつですがコメントをいただいたりするようになり、届けたいと思っていても、届けられる側に立つとやっぱり嬉しいな、なんて思っちゃいます。(モジモジ)
そうやって感じられただけでも、noteをはじめてよかったな、なんて思っています。
みなさま、改めて本当にありがとうございます。(再)
相棒も珍しく照れています。
さてさて、今日は、幼少期の私の奇行についてのお話をしたくて。
奇妙な行動で『奇行』。(多分)
何度か話していますが、私は良くも悪くもあまり周りの目を気にするタイプではないと思っています。
ですが、幼少期の私は周りの目しか気にしていない子どもでした。
目立つことは当たり前に大キライ。
とにかく浮くことがいやだったんです。
その感情が強いがゆえに結構へんな行動してたな、なんて思うんです。
マルボーロ食べたい自分VS恥ずかしい自分
マルボーロっていうお菓子、、あるじゃないですか?(唐突)
地域によってはたまごボーロと呼ばれるみたいですが、一般的には赤ちゃんも食べられるお菓子、という位置だったと思います。
私は小学生になってもこのマルボーロが大好きで、よく母も買ってくれていました。
その頃の私は『マルボーロ=赤ちゃんのお菓子』として認識していました。
とある日の午後、母と一緒にスーパーへ行き、当たり前のようにマルボーロをカゴにポイッと入れたんです。
そこで私の中のセンサーが反応します。
小学生なのにマルボーロって、おかしいと思われるんじゃないか。と。(なんでどうして)
このまま、母と一緒にレジにいったら私がマルボーロを食べることがバレてしまう。
レジから離れたところで母を待つか?
いや過保護な母なので隣から離れることは許されない。
ということはやっぱりマルボーロと母と一緒にレジに行かなければならないのか。
マルボーロは赤ちゃんのお菓子なのに、店員さんに変な子と思われてしまう。。
諦めるか??
そんな私が思いついた打開策は残念ながら諦める、ではなく、
家に赤ん坊である『妹』がいる設定でやりとおす。でした。
あ、私末っ子です。
マルボーロは食べたいぞと思った私は、我ながらナイスなアイデアだと思ったんです。
事前に母にはこの設定のことを伝え、根回しだってバッチリ。
※母は、またごっこ遊びしとるな程度に流された。(悲)
レジに行き、ピッピッとカゴにある商品たちがひとつひとつスキャンされていきます。
それを目で追いながら、いよいよ最後のマルボーロに店員さんの手がのびたとき、私は腹から声を出しました。
私:「ミカ(妹)、家で泣いてないかなあぁ~~?」(白々)
これで「店員さんにこのマルボーロは家にいる赤ちゃんである妹のミカのものであり、小学生である私のものではないと思わせる」作戦は完了です。(長いな)
ちなみに、母からは相変わらず特に返答はなし。(支払いに夢中)
そんなことはどうてもよくて、私にとっては大満足な結果で、無事に帰りの車の中でマルボーロをむさぼることができたのでした。
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正直この行動に何か意味があったのかはわかりません。(わかってる、ほぼ無意味)
でも自分としてはそれで満足だったんです。
ほんと我ながら、自意識過剰乙なプライド高杉君ですよね。
自分でもそう思います。
周りはそんなに見ていない。とも思われるでしょう。
えぇえぇ、そうだと思います。
だけど、敢えて当時の私に代わって言わせてください。
そんな意見は不毛だと。
当時の私からしたら『周りはそこまで見ていないよ』という意見は不毛なんです。
気になるものは、気になるんです。(圧)
普通に生きたいという相談者
実はこのエピソードを思い出したとあるきっかけがありまして。
それはお笑い芸人霜降り明星の粗品さんのとある切り抜き動画なんです。
動画は粗品さんのライブに来ている観客が手を挙げ、粗品さんに当たった人が喋る、みたいなものでした。
色んな観客とのやりとりが続き、最後!と手を挙げた観客の1人を当てる粗品さん。
その方は緊張なのか興奮なのか何を聞かれても「えっとあっと」とうまく答えられず、粗品さんにイジられまくってました。
それに加え話したいことはたくさんあるようで、粗品さんの話を遮っては「俺がしゃべってんねーーん!」と突っ込まれて会場は爆笑包まれていました。
なんというかうまくかみ合って会話ができない2人、というのが逆に面白い状況だったんです。
そして、最後に。
何か悩みあるか?と聞かれると、モゴモゴ言いながらも出てきたお悩みは、
「もっと普通にちゃんと生きたいです。」
でした。
突然の真面目?な相談に、粗品さんも重いな。。とつぶやき少し笑いがおきたものの、
おそらくその場にいた粗品さん含めた観客もそれを動画で見ている私も、何かグッとくるものがあったと思います。
重いわと言いながらも再度彼に「なんて?」と聞くと「もっとちゃんと普通に喋れて生きれたらなぁって。。」と言い終わるのを待たずに「お前まてぇ!」と遮ります。
「お前のその個性的なしゃべり方で、こんだけの人間が沸いたんやないかい!」と叫ぶ粗品さん。
普通じゃないと思ってるかもしれないけど普通じゃなくていいし、俺から見たら普通やし、お前のお陰でこんだけ盛り上がったんや。大丈夫や、お前は達者や!と声をかけていました。
最後にこいつに拍手したってくれ!とその場にいた観客全員がその方に盛大な拍手をしてその動画は終わりました。
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これを見て私は純粋に、あぁそうやって気にしながら頑張っている方もいるんだなぁと思ったんです。
「周りは自分が思うほど気にしていない」というのはもちろん、マインドとしては大切な考えかもしれません。
だけど、それを本人も分かっているからこそ、そんな悩みが言えない方もいるんだろうな、と思うんです。
私は、そうやって頑張って吐き出した彼に対して「きっとがんばってきたんだな」というなんとも言えない気持ちになりました。
ほんと、悩みを打ち明けたその勇気は、まさに拍手ものです。
そうやってちょっとした悩みを伝える勇気を持った方が増えて、それをみんなでギュッと抱きしめられる世の中になれたらいいなぁなんて思っちゃいました。
みなさんはこのお悩み、どう思いますか?
この真剣なお悩みとお前のしょうもない幼少期のエピソードは繋がらぬ、と思いますよね。(認めます)
だけど、『普通に生きたい』と願っている彼が少しでも自分の理想に近づきながら生きていけたらいいな、と思ったHanaki.でした。
母の奇行
さてさて、ほんとに幼い頃の恥ずかしい体験って何でこんなにも覚えてるのかしらと思います。
これは奇行とはちょっと違うというかある意味母の奇行と思っているものがありまして。
私は幼少期を父の仕事の都合で海外で過ごし幼稚園だけインターに通っていたんです。
そこの幼稚園では『帽子大会』というイースターで行われる、私にとって地獄なイベントがあったんです。
手作りで帽子をいかにおしゃれ?にできるかを競うイベントで、言い換えると、両親のクリエイト力がはかられるイベント。
そして、なぜかとてつもなく張り切る私の母。
はじめにできあがったのが、麦わら帽子に母の好きなマーガレット(偽花)をぶっさしまくった帽子でした。
まぁまぁこれくらいなら、ギリ子供らしい可愛らしいお帽子。(イヤだったけど)
その時のイベントでは、平穏に過ごせました。
だけど次の年のイベントで母のやる気が落ちたのかめんどくさくなったのか、バカでかいウサギの風船を1個とりつけた帽子を渡されたんです。
しかもウサギもふざけてるというか、かわいくないというか。。
これをかぶっていけと??
帽子よりウサギのが大きいじゃないか。
もはや頭からウサギを生やしてる子にしか見えない。
死ぬほど恥ずかしかったです。
ただでさえ、目立ちたくないのに。
そして、一応は大会。
優勝者というものがいるんです。
あっ察しましたか?
そう、優勝者発表で、まさかのHanaki.!!!と前に呼ばれてしまいました。(絶望)
鼻高々な母を余所に「イヤだ!イヤだ!!」と前に行くのを全力で拒否をしたのも虚しく、無理やり風船帽子をかぶせられ、
ウサギの風船を頭からヒラヒラさせながら、下を向いたまま全員の前で賞状をもらいました。
この後も賞状というものをもらえるタイプではなかった私ですが、これほど不名誉だと思った賞状はありません。(主催者ごめん)
だけどまぁ、ああいう洗礼?のお陰で、今は図太く生きられてるなとも思ったのでした。
最後にギリギリ許せた?頭がお花畑の私でお別れ。(風船帽子の写真がないのが今となっては悔やまれる)
ていうか帽子大会ってナニ??
本日もありがとうございました。
Hanaki.
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