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老誘導員のプライド

昨年の夏あたりから、よく見かけるとても気になるひとがいる。

いつか話しかけようと思っていて、なかなか声をかけることができないでいた。

それは美人の店員さんとかではない。

外壁の補修工事をしているマンションの入口に、そのひとはいつも立っている。

真夏の暑い日も寒さ厳しいときも。

その人とは、高齢で小柄な交通誘導員のおじいさんだ。

『おじさん』ではない。
誰が見ても明らかな『おじいさん』

腰が曲がっているのか、猫背なのかは分からないが、背中を丸めた姿勢でいつもそこに立っている。

毎日紫外線に晒されているせいか、お年寄りには似気ない日焼けした黒い肌。

また小柄なので、いつも着ている制服はブカブカだ。さらに大きな制帽が顔の半分を覆い隠している。

その容姿からしても、交通誘導員として働く年齢や身体ではないような気がする。

寒暑厳しいときは余計なことだが、大丈夫だろうかと心配になってしまうのだ。

高齢にも関わらず、働く原動力はいったい何なのだろう。

そしてある日のこと。僕は決行した。
車を近くの駐車場に停めて、その『おじいさん』に近寄り普段よりも大きな声で話しかけた。

「こんにちは!今日は寒いですね。おひとりの現場で大変ですね」

すると少し微笑みながら
「今日はほんとに寒いですよね。」と返した。

そのあと自己紹介をし、僕は家から持参した栄養ドリンクを取り出して、「これを飲んで頑張って下さい」と手渡した。

「いいのですか?ありがとうございます」と言って、その場で飲もうと開けようとしたが、キャップが固くて開かない。
それをみて代わりに開けてあげた。

そして手袋を外して、小さな瓶の栄養ドリンクを手に取り、小さな口でチビチビと少しずつ飲む様子を、僕はそばでじっと見つめていた。

飲み終えると失礼なことを承知で聞いてみた。

「失礼ですが、おいくつになるのですか?」

「今年80になりました」

80歳くらいだろうとは予想はしていたが
「80歳にはとても見えませんよ。お若く見えますね」とお世辞を言った。

この地域で交通誘導員をする人は、高齢の人が多いと以前から感じていたが、80歳になるような人は今まで見たことがなかった。

そしてさらに厚かましく
「80歳でこのお仕事は大変ではないですか?会社で一番の年長者でしょうね」と尋ねると

「会社には私よりも年長者の人が一人います。うちの社長です。まだ現役で82歳ですよ」といって笑った。

驚いた。82歳の社長でまだ現役とは。

そして、「その歳で仕事はつらくないのですか?」とさらに尋ねると

「働かなくては食べていけないのですよ。私の不徳で別れた女房に全財産を取られてしまいまして、、」と少し照れくさそうに答えた。

僕は「大変だったのですね」としか返せず、それ以上はなにも聞けなかった。

詳しい事情は知らないが、今の状況は自分が招いた結果といえばそれまでだが、とても気の毒に思えた。

世の中にはいろいろと大変な事情を抱えて生きている人が大勢いる。

その歳で交通誘導員として、働くことは大変なことだ。この先何年もできることではないだろう。

僕がその歳なら、とても出来ないことだと思う。
その人のことを思えば
「今日は仕事がきつかった」
などと言ってはいられないとも思った。

暫くしてから、長話は仕事に支障をきたすのではと思ったのだが、このマンションのあたりは人通りが少なく、業者が出入りする朝と夕方以外はあまり交通誘導をする必要のない閑暇な場所だ。

そう思ったとき、同じ高齢の社長が、その人のことを思って、この現場へ毎日派遣をしているのだと思った。

社長とは面識もないが、できた人なのだろう。
その人の事情を知っていて、雇用しているではないのだろうか。
昔からの付き合いなのか。そんなことを勝手に想像していた。


そして最後に余計なこととも思ったが
「元気なうちはいいですが、無理しないで下さい。生活保護という手段だってありますよ。生きるための当然の権利なのですから行使した方がいいと思いますよ。
またなにか困ったことがあったら、いつでもここに連絡して下さいね」
と名刺を渡してその場をあとにした。

きっとその人は元気なうちは働いて、人様の迷惑にはなりたくない。という崇高なプライドがあるのだろう。

人には少なからず誰でもプライドがあると思う。

そのプライドには、必要なプライドと、ひとり良がりで他人に迷惑をかけるような必要ではないプライドがある。

歳を重ねてくると、だんだんと頑固になってくる。
家族間のやりとりの中でも、最近それを強く感じるのだ。

周りのことをあまり聞かなくなったり、自身の経験から間違っていないと非を認めなかったり。

ときに変なプライドが素直な気持ちを邪魔する。
そういう瑣末なプライドなど必要ないのだろう。

またどんな状況におかれても、崇高なプライドは持ち続けていたいものだ。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇


その老誘導員は寒空の下、今日も交通誘導をしている。

僕はその姿に勇気づけられもし、そして大丈夫かと気にもなってしまうのだ。


−了−

最後までお読み下さり、ありがとうございました。

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