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【創作大賞2024】リビング・ブレイン 1話

あらすじ

西暦2050年。科学と医療技術が今よりはるかに進んだ未来社会。白い大都会メトロポリス・ホワイトに暮らすある家族の物語

1話「ある夜の出来事(前編)」


金属バットの握りを持つ手が汗ですべってひどく気持ちが悪い。後から念入りに石鹸で手を洗っておこう。

目の前の現実から目を背けたくてそんなことを頭の片隅で考えながら、小松佑はバットをしっかり握りなおした。

「……ごめん、ごめん父さん……」

声には出さずに口の中だけで呟く。狙いを自分から少しずつ離れていこうと這いずっている父親の上半身に定める。

廊下の暖色の照明に照らされた外出用の真っ白なシャツはところどころ裂け、何度も殴られて漏れ出した鮮やかなピンク色の液体で汚れている。

袖口とシャツの破れたところからのぞいているのは本物と見分けのつかない人工の皮膚と筋肉、それから複雑な配線まみれの頑丈そうな金属製の骨格だった。

(逃がしちゃダメだ……早く機能停止させないと)

最近短く切ったばかりの髪が乱れるのもかまわずに佑は構えたバットを振り上げかけ、穿いている白いズボンの後ろのポケットに入っている緊急時に使う鉄串に似た器具のことを思い出す。

そうだ、たしか真木さんが「これを使うのは本当に自分の身が危なくなった時だけ」と言っていたが、この際かまうもんか。

そう考えたら体が自然に動いた。構えたバットで父親の頭部をさらに殴る。もう殴りすぎてべこべこに歪んできている。これだけ殴っても壊せないのだから、かなり頑丈なんだろう。別の方法を考えるか……?

(いや、時間がない。もうすぐ母さんが帰ってくる)

佑は自分の左の手首にはめている銀色の腕時計の文字盤をちらっと見る。さっき噛まれた手の甲の傷口からまだ血が出ていていて痛い。

(どこかに開けるところとか、スイッチとかないのか)

なお逃げようともがく父親の上半身を上から体重をかけて動かないように押さえつける。

頭部に生えた白髪の混じった七三分けに整えられた黒髪がぐちゃぐちゃに乱れ、他と同じようにピンク色の液体が出ていた。その下の人工皮膚も裂けて中の金属部分が照明で鈍く光っている。

(あ、これは……)

とめどなく流れる液体を払いながら指先で探っていると、へこみというか妙に引っかかる部分があった。佑は急いでそこをぐっと強く押してみる。

何が手のひらの下で開く気配がした。片手の握りこぶし大の穴が開き、中に薄い赤紫色で無数の皺のあるものが見える。佑はすかさずズボンのポケットから器具を取り出して突き立てる。途端にびくりと背中をくの字にのけ反らせるようにして父親の体が大きく痙攣し、動きを止めた。



「いやー……これはずいぶん苦労したみたいだね。一人で大丈夫だったかな、怪我とかしてないかい?」

佑があの後、震えがまだおさまらない手で携帯から電話をかけると父の友人でRUJ(ロッサム・ユニバーサル・ジャパン)に勤めている真木友彦はすぐに家まで来てくれた。年齢は50代後半、とても神経質そうな印象の痩せた人だった。

ほとんど滅多打ちに近い状態で完全に機能停止している父親と廊下を汚しているピンク色のペンキをぶちまけたような生体部品維持用疑似血液……通称ピンクブラッドの痕を真木が目で追う。そういえば下半身がない。

「え、と、佑くんだったかな?お父さんの下半分がないみたいなんだけど。どこだい?」
「あ……それなんですけど、もみ合った時にその、階段から落ちてしまって。まだあると思います」
「じゃあ、さっさと片付けてしまおう。お母さんがまだ帰って来てなくて本当によかった」

真木はそう言うと着ているカーキ色のジャケットの胸ポケットからゴルフボールほどの大きさの黒い球を取り出して床に向かって落とした。球が床に当たると同時にあっという間にふくらみ、人1人が入れそうな長方形の箱になる。

真木はまず足下にある上半身を両手で抱えあげ、箱に入れる。続いてピンクブラッドの痕あとをたどって階段下から下半身を探してくると同じように箱にしまった。

「これでよし。あとはウチで原因を調べてみるよ。ああそうだった、君の手のケガも治さないと。ほら出して」

そう言われて佑が左手を出すと、今度はジャケットの裾ポケットから500円玉サイズの白いシールを取り出して手の甲に貼ってくれた。

「……すみません、ぼく、僕、父さんをこ、殺すつもりなんて」
「大丈夫、佑くんは……悪くない」

動揺して言葉につまる佑の肩を真木が励ますようにたたく。遠くで玄関のドアを開ける音がした。

「お母さんが帰ってきたみたいだね佑くん。僕はこのままそっとお暇いとまするよ、後から連絡するから」

真木は佑の父を収めた黒い箱をボールの形に戻してジャケットにしまうと、そう言い残して足早に裏口に向かっていった。

1人残された佑は重い足を引きずってリビングルームに向かう。頭の中にはまだ、先ほどの父親が廊下を這って逃げていた光景が焼きついていて消えない。

「ただいま〜。佑、いないの?」

母親の小松亜紀が佑の名を呼びながら探している気配がする。佑はリビングのドアを開けて中に入った。

ショートカットにした黒髪の先にゆるく巻きをかけた亜紀が疲れた様子でリビングの自分の席に座っている。佑を見つけると笑顔になって手を振った。

「おかえり……母さん。今日は早かったね」
「そう?ああそうだ、お父さん呼んできてくれない?お祝いのケーキ買ってきたから」
「お祝いって何の?」
「ほら、今日でお父さんが家に戻ってきてちょうど1週間経ったから」

佑は亜紀のその言葉に思考が停止しそうになる。父はさっき真木さんが回収していってしまったのだ。ここは……適当にごまかすしかない。

「そうだったっけ、じゃあ呼んでくるね。ちょっと待ってて」
「急がなくてもいいからね」

佑は首を縦に振ると、リビングルームから廊下に飛び出した。階段をかけ上がり、父親の部屋まで行って中に入り鍵をかける。ズボンから携帯を急いで取り出すと真木に電話をかけた。

「まっ……ま、真木さん今すぐ父の修理って出来ますか」
『えっ佑くん?急にどうしたんだい』

佑は真木に早口で事情を説明するが、焦るあまり口が上手く回らない。

『うーん……状況は分かった。けど今から徹夜で修理してもどれくらいかかるか検討つかないな、なにせ肝心のリビングブレインが君が打ちこんだ器具で強制的に停止してるからね」
「そ、そこをなんとか。母さんに本当のことを言ったら僕たぶん……殺されます」

佑の携帯を持つ手が再び震えはじめる。すると電話ごしの真木がこう言った。

『じゃあ……今から僕がお母さんに電話で連絡しようか。もちろんお父さんのことは誤魔化すけれどね。佑くんは適当に合わせてくれればいいよ』
「……わ、わかりました。理由はどうしますか?」

佑が尋ねると真木はしばらく考えてから『急な仕事が入ってRUJに行ってるから、しばらく帰って来れない……とかはどうかな』と提案してきた。

「それなら大丈夫……だと思います。すみませんこんな時間に」
『いいや別に構わないよ。君のお父さんとは一緒に働いていた仲だからね、また何か困ったことがあったらいつでも連絡しておいで』

佑は真木に何度も礼を言って通話を切った。父の部屋を出てリビングに向かう。佑がドアを開けると甘い香りが鼻をくすぐる。

テーブルに引かれたミント色のクロスと亜紀が作った手作りの料理の皿がいくつか、クロスの中央には一回り大きな皿に置かれた色とりどりのケーキが乗っている。

「ごめん母さん、遅くなって」
「……ああ佑、今お父さんのお友達の真木さんから連絡があってね。お父さん仕事でRUJに泊まりこむからしばらく帰って来れないって。残念ね、せっかく準備したのに」

暗い青色のスーツに真っ白なエプロン姿の亜紀の残念そうな顔を見て佑は心が痛んだが、真木と一緒に用意した嘘をつきとおすために本当のことを言いそうになるのをぐっと我慢した。

「…………仕方ないよ、父さんのことだし。それより夕食食べよう、冷めちゃうよ」
「そうね。じゃあいただきましょうか」

2人で手を合わせて夕食を食べ始める。父親が抜けた食卓はどこか寂しげで、佑はうつむきながらただ食べることに集中した。そうでもしないと乗り切れそうにない。

「どう、それ美味しい?」
「うん。とっても」

亜紀が佑の皿に分けられたミント入りポテトサラダとツナとみじん切りの玉ねぎをあえて挟んだサンドイッチを手にしたフォークで示す。どちらも父親の好きな料理だった。

「……これ、父さん大好きだもんね。写真撮っていいかな、後からLETTERS(レターズ)で送りたいから」

亜紀に了承をとると佑は自分の携帯でカメラを起動し、皿に乗ったサンドイッチを数枚撮った。

「ある夜の出来事(後編)」


『……父さん、ごめん……』

振りかぶられた金属バットが後頭部に何度も何度も直撃する。振り返らなくても誰がやっているのか機械の部分が感知するのではっきり分かってしまう。

息子の佑が泣きながら自分を殴っているのだ。少し前に階段から落ちた時の衝撃で、背骨のほぼ真ん中のあたりから下半身が破損した上に二分割されてしまった。人間ならまず不可能な状態でもこれだけ動けるのは自分の体だけが機械のおかげ……だろう。

(……化け物は私、か)

小松透は心の中で自らを嘲笑った。こんな上半身だけの体で一体どこに行こうというのだ。そのうちずしりと肩と胸のあたりに体重が加わり、息子の指先が人工毛と肌と筋肉に隠された後頭部の制御用パネルを探しあてて開く感触があった。

(……そうだそのまま、私を停止させてくれ……)

透の願いが届いたのか、金属針が刺さる感覚と同時に脳内に冷えた液体がゆるやかに広がってゆく。おそらく機体に循環するピンクブラッドを一時的に凍結させるもののはずだ。

(後は……真木の判断に任せるか)

透は急速に冷えてゆく意識の中で目を閉じた。



小松宅からRUJの自室に戻った真木は黒い箱ブラックボックスをボールから展開させて普段ロボットの点検用として使っているの台の上に置く。棺のような箱のフタを開くと激しく損傷した透の体を検分する。

(ボディーは新調するしかないな……。見たところ脳は無事そうだが、念のため内部に傷がないか調べるか)

真木は着ているジャケットから携帯電話を取り出すと同じ製作チームの瀬名真一にかけた。

「瀬名くん、僕の部屋に今すぐ来れるかな。例のピンクブラッドを使った特例個体がかなり損傷していて急を要するんだが……」
『分かりました、すぐに行きます』

状況を理解した瀬名が電話ごしに即答する。真木は通話を切り、ブラックボックスを床に下ろして台の上に破損した透の上半身、下半身を横たえる。頭部だけ人工皮膚その他諸々を剥がし、先に工具を使って取り外しておく。生体部品が内蔵されているため、後から別で検査へ回すからだ。

「失礼します、真木博士」

自室のドアが2回ノックされ、息をきらせた瀬名が入ってきた。真木が振り返り出迎える。

「ああ、夜遅く呼び出してすまないね瀬名くん。今ざっと調べたんだが念のため……中の生体部品に傷がないか調べてほしくてね」

真木から頭部を手渡された瀬名はその重量に思わず床へ取り落としそうになった。着ていた白衣の裾で慌ててキャッチする。

「あっ……はい。了解です、ちょっと待っててください」

瀬名はそのまま頭部を抱えて廊下に飛び出してゆき、1時間ほど経ってから戻ってきた。今度は走って来たのか額に汗をかいている。

「どうだった」
「は、はい……えっとMRIとかいろいろ調べたんですけど生体部品は異常なしでした。後頭部に小指くらいの小さい穴があるんですがそれは?」
「……ああ。緊急停止用の器具を刺しこんだ痕だね、後から修復するから問題ないよ」

真木は破損した透の体を乗せた台の側にパイプ椅子を出して腰掛けていた。手にはドライバーを持っていて部品を解体していた様子だ。瀬名は抱えていた頭部を別の机にそうっと置き、そちらに近づく。

「あの……前から気になっていたので聞いてもいいですか真木博士、なんで彼だけが特例個体って呼ばれるんですか?」
「まだ君には言ってなかったかな。彼……つまりそこに入っている脳の持ち主なんだが実は……僕の友人でね。数週間前に交通事故で亡くなったけれど、その……ご家族からの強い希望があってね」
「ああ……そうでしたか。でも病院側がよく提供してくれましたね」

瀬名の意見に真木はうなずく。少し言いにくそうに表情を曇らせながら話を続ける。

「もちろん……法に触れる行為なのは分かってる。彼が運びこまれた病院の院長とも随分話し合った……彼の家族も協力してくれたから実現できたんだ。彼がウチの他のロボットと違って特別な理由はそれだ」

真木が一気に話し終わると瀬名は大きく頷いた。

「そう……ですよね。僕だって自分の家族がある日突然死んでしまったら、もしかすると同じように思うかもしれません。じゃあ……なおさらちゃんと修理しないとですね」
「頼むよ、瀬名くん。一緒に頑張ろう」

真木も瀬名も目の端に涙を浮かべて肩を抱き合った。



その夜。夕食を食べ終えた佑は2階の自分の部屋に戻った後、何もする気が起きなくてベッドに寝転がって天井を見つめていた。亜紀にはああ言ったが、LETTERSで送った夕食の写真を透が見てくれないのはわかりきっていた。

目を閉じてみるもののあの汗にまみれた金属バットの感触と上半身だけの透の姿が頭の中にフラッシュバックしてまったく眠れない。

(……なにか、気をまぎらわせるものは)

少しでも緊張をほぐそうと佑は部屋の中を見回す。勉強机の横に並べた本棚の上に埃まみれの布を被った小鳥型ロボットが目にとまる。

佑はベッドから起き上がって布を外し、小鳥型ロボットのボディーについた埃を濡れたティッシュで拭う。少し拭くと外国の海の色のような青い金属の羽根が見えてきた。

(しばらく起動してないからな……動くといいんだけど)

ボディーを一通り拭いた後、佑は尾羽のあたりを探って小さな電源ボタンを押す。小鳥型ロボットが目を覚まし、澄んだ可愛らしい声で鳴いた。

久々に起動した小鳥型ロボットはぱたぱたと佑の部屋の中を探索するように飛び回り、最終的に佑の肩から手の甲に止まった。

じっと手元の携帯を覗きこむように首を傾げる。すると携帯のホーム画面に「Alice.(アリス)のアップデートが可能です、更新しますか?」という空色のテキストウィンドウが表示された。

(ああ、そっか。今日までずっと更新できてなかったもんな)

佑は手の甲に小鳥型ロボット・Alice.を乗せたまま、ためらわずに更新ボタンを押した。Alice.が首を動かすのをやめ、硬直する。画面には「アップデート実行中……」と表示されている。佑は手の甲のAlice.を落とさないようにしてベッドに腰を下ろす。

(そういえばこれ、父さんが去年の僕の誕生日にくれたんだった……すっかり忘れてたな)

しばらくして佑の携帯が通知音を鳴らす。Alice.のアップデートが終了したようだ。ホーム画面には再びウィンドウが開いていて「更新完了。続けて LETTERSと連携しますか?」と表示されている。佑はふと、今日の夕食の時に自分が撮った写真のことを思い出す。

(もしかして、送れるかも)

佑はすぐに行動に移した。Alice.がLETTERSと連携すると携帯から写真を探しだしてデータを送り、行き先をRUJの小松透の元に指定する。窓を開けて外を見る。雨は降っておらず、夜空に無数の星が見えていた。

佑は手の甲に乗せたAlice.の青い金属フレームに覆われた頭を撫でてから、空へと放った。

(父さんに届けて……頼むよ)

佑は夜空を飛んでゆくAlice.の姿を見送りながらそう願った。

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