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見え方日記20200422

3週間ぶりに電車に乗った。指定された病院に行って健康診断を受けるためだった。その日はよく晴れて、青空だった。花壇の花は色とりどりだった。

地図を手にして駅から3分、迷わずに時間前に着いた。病院は空いていて、静かだった。健診で来たことを告げて、問診票を記入。大きな病気に白内障は入るのかどうか。毎週通院しているのは、あれはなんて書けばいいんだろうか、診断書出してもらった時の病名を書けばいいか。たまに悪くなる副鼻腔炎は書かなくていいか、アトピーは書いておくかな。

検査用の服に着替えて、淡々と検査は進んでいく。血圧は一度測りなおしたけど、130/85、ちょっと安心する。採血の時に血管をみつけるのに時間がかかることが多かったけど、以前の会社の健診センターの看護師さんが右腕に取りやすい血管があることを教えてくれたので、それ以来先に伝えるようにしている。そうすると、だいたいちょっと触って「あー、これだね」と言われて一発で成功するようになった。

視力検査は、のぞき込むタイプだった。右目になったとたんにざわっと見えにくくなったので、焦った。あれ、右のほうがいいはずじゃないのか。0.5だったかな。あの、白内障の手術を1月にしました。あ、右です。あ、左も20年以上前にやってます。

ちょっとショックだなーと思いながら、健診は続き、予防接種もやって、そして、診察券をもらって帰った。健診代は会社負担で、結果を郵送してもらう切手代84円だけ払って病院を出た。

10時半くらいだったかな。朝ごはんを食べていなかったのでどこかで食べようと思い、街を散策することにした。暑いくらいに晴れている4月下旬。おなかすいたなとか思いながら、どんどん歩いていたら住宅街のほうへはいって行ってしまった。タンポポの綿毛とか、学校とかを見ながら進んでいたら迷子になって結局1時間半くらい歩いて駅前に戻り、ケーキ屋さんの喫茶コーナーでピザトーストランチを頼んだ。ピザトーストを食べながら、覆いのかかったピアノを眺める。左斜め前に座っているおじさんはアイスコーヒーが入っていたであろうグラスを前にのんびりしているように見えた。夕方に、定期通院の予約があったので、時間調整をせねばならない。なるべくゆっくり食べよう。アップルパイはとてもオーソドックスで、クリームなどの添え物もなし。たくさん数えられそうなパイの層の縁があって、底の生地はやっぱりフォークで切るのは難しくて、カチンと音がした。

時間調整をするために遠回りの電車に乗って本を読む。本読みには老眼鏡をかける。右目を手術する前に作ったもので、左だけが極端に度が入っているメガネ。まあ、読書する分には問題ない。けど、おばあちゃんぽいんだよな。しかも、鼻の下のほうにずらしてかけて周囲を見たりするから余計おばあちゃんぽいんだよな。と思いながら、乗り換えをする。歩くときにはちゃんとメガネを外さないと危ない。

遠回りをしたから、学生時代使った駅で一度降りることになった。改札は出ないけど、なんとなく周辺を観察する。ちょうど卒業してから20年だ、ずいぶん変わっていることだろう。私鉄→JR→私鉄だったので、定期券は2枚に分けていたんだっけ、3枚持っていた可能性もあるな。90年代はSuicaはなかったことが今わかった。きっと磁気定期2枚だったんじゃないかな。その時住んでいた町が、今私の本籍になっている。育った町でもないし、とびとびで通算6~7年しか住んでない街に、一人戸籍になっている。当時は両親と弟と住んでいたわけだけど、今は彼らも別の町に引っ越していて、本当に縁のない土地に戸籍。番地を忘れそうになる。左目の手術をした時には、その家に住んでいたのだな。

左目の白内障が発覚したのは皮膚症状がひどくなって、顔をたたく癖がひどかったころ。皮膚科のお医者さんに、目も悪くなってるかもしれないから検査するように勧められて、検査したのだった。右目を隠した瞬間に、世界はすりガラスの向こう側になった。検査ボードの模様なんて全然見えないのだ。それまで全く気付かなかったことに驚いた。だんだんと悪くなっていくものはわからないものです。2週間の入院。春休みに手術をしたので、学業には影響なかった。

まず、皮膚症状を治すのに1週間。べとべとべとの亜鉛華軟膏をリント布に塗って体中に貼り付ける。顔もパックのように貼り付けて、頭全体を網包帯で包む。入院中に学友に書いた手紙の中で、パイナップルみたいだと言ってその顔のイラストを描いたけど、あれは滑稽な姿だっただろうね。パジャマは上下縫い合わせてつなぎにする。さらに、手袋も縫い付けてあって、自分がひっかいてしまうことを防ぐ。ありがたいね。全身べとべとなので、風呂の前にはオリーブ油でぬぐい取る必要があって、それはそれは面倒だった。だいたい治ったところで、目の手術。以前も書いたけど、一番怖かったのはまつげを切るとき。不快だったのは目を洗う時。痛かったのは点滴の針が入らなくて手の甲に刺したこと。手術をしてから世界がクリアになった。そして、右目もちょっと濁りがあるから、そのうちなると思うよという宣告をもらって帰る。

20年以上の時が過ぎ、右目の手術の時はは日帰りも可能だった。ただし、翌日も経過観察で病院に行かないといけなかったので、面倒なのと、朝ラッシュの電車に2回も乗りたくなかったのとで、1泊入院を選択した。

両方ともピント調整のきかない目になった私は、今、手元用メガネは必要。遠くは?ということで、メガネ処方をしてもらうことになる。

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