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多様性とは。。

#多様性を考える

今年5月に行ったクロアチアへの旅行。久々に“外国”に来た! と感じるものがあった。ここ20年間の旅行は日本への帰国、アメリカでの旅行がほとんど。
たとえ長時間飛行機に乗って訪れても国内旅行、という感がある。

それに比べるとクロアチアは言葉が全くわからない。見るもの、聞くもの全てが新鮮。久しぶりに外国に来たなあ、と妙に感動してしまった。

最近は北米人にとって、退職後のリタイア地として人気が出ているクロアチア。
安全、物価も西洋諸国と比較すると安価、気候も温暖で過ごしやすい、
というのが大きな理由のようだ。
私たちも数年、住んでみたいね、と話していたものだった。
そのタイミングで興味深いコラムを見つけた。

Street of San Francisco 

サンフランシスコに住んでいる中国系アメリカ人の女性。クロアチアへの旅行で大ファンとなり長期的に住んでみたい、と考えるようになった。
これには近年のサンフランシスコの住環境悪化も大きく影響している。
まず賃料高騰が半端ではない、それに加え街はホームレスで溢れかえり、犬と
散歩に行く時でも安心して外を歩けなくなった。唯一、留まっている理由が仕事と家族が近くにいること。
まだ若い彼女はノマド・ビザ*を取得しクロアチアで長期滞在をしようと
考えるようになった。

*一定の条件を満たすデジタルノマドやリモートワーカーが、特定の国で長期滞在や仕事をするためのビザ

https://nomad-visas.com/country/croatia/

まず3ヶ月の滞在を試みた。
しかし実際、住民として住み始めると彼女の考えは異なってきた。
まず観光地であるため、外食が思っていたより高い。
犬と一緒に散歩をしていると、中国語か日本語で話しかけられる。
観光客に見られるのだ。
サンフランシスコではそんなことはなかった。
いろんな人種の人たちが住んでいたから。
コラムの最後に彼女はおそらく3ヶ月後には東南アジア方面に移動していると思う、と締めくくられていた。

日本もクロアチアのようなところがあるな、と思った。
都会は違うかもしれない。でも地方都市ではまだまだ多様性には慣れていない。

これから記すことはあくまでも個人の体験談であって何かを批判するつもりではないことを最初にお断りしておきたい。

私の娘はパパ似である。パパは白人だ。
まだ彼女が幼稚園ぐらいのころ、札幌の地下鉄に一緒に乗っていた。
隣に座っていた中年の男性がじっと彼女の顔をみている。
非常に嫌な感じがした。娘も嫌な顔をしていた。
なんでしょう?と言って逆ギレされても怖いし、その場は静かに席を移動した。

昨年の夏の出来事。娘が利用したデパートのトイレに忘れ物があった。
彼女の後にいた人が “これ、忘れていませんか?“と声をかける。
振り返った娘を見て、慌ててカタコトの英語に変わった。
娘は嫌な想いをした、と教えてくれた。
そして日本語で“私のではありませんよ”と答えた、と。
おそらく、相手の女性は嫌な思いをさせるつもりはなかった、と思う。
でも外見で違う対応をとられたこと。差別ではないが、区別をされたことで
嫌な気分になってしまった。

彼女には自分は日本人である、という想いがある。だから区別対応をされると
疎外感を感じるのだと思う。

日本の交差点

日本やクロアチアのような単民族国家。アメリカのような多民族国家。

サンフランシスコの女性もクロアチアでの体験は私の娘が覚えたような感情を抱いたのであろうか。



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