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エースをねらえ!に出会ってから

1970年代に放映されたテニスのスポコン・アニメ。
“コートでは〜だれでもひとり、ひとりきり〜🎵“の
主題歌が流れると私はTV画面にくぎ付けとなった。

毎週の放送がとても楽しみで岡ひろみ(主人公)のように
高校では絶対テニス部に入るぞ!
と夢こがれたものだった。

でもテニスを習い出したのは大人になってから。
はずがしながら永遠のテニス初級者である。

それでもテニスへの挑戦は諦めきれず残りの人生を
通じてレベルアップを図りたいと思っているアラカン女子の話に
少しお付き合いいただきたい。

#レベルアップしたいこと

テニスブーム

エースをねらえ!が人気となった1970年代は日本は経済成長の真っ只中。
団塊ジュニア世代とも呼ばれたこの時代、
人口が初めて1億人を超えたのもこの頃だった。

駆け足で世界に追いつき、追いこそうとしている日本の健闘ぶりは相当なものだったと思う。

そんな喧騒が漂う時代に私たち少年少女はスポコン・アニメに夢中となった。
エースをねらえ!は空前のテニスブームを巻き起こした。

どんなストーリー?

主人公の岡ひろみはお蝶夫人に憧れ、名門県立西高校に入学、
テニス部に入部した。就任したばかりの宗方コーチに才能を見出された
ひろみは新入り部員でありながらも先輩部員を差し置いて選手に抜擢される。
部内からは“新入りのくせに”と妬みからいじめを受けるようになる。

Renote.net

それでも歯を食いしばって負けずに頑張り続けるひろみの姿は
子供の目にも感動的だった。
そして世界に進出するテニス選手へと成長してくひろみ。
宗方コーチとの師弟としての信頼、男子部の藤堂くんへの淡い恋心・・

まさに青春そのものである。そして大杉久美子さんが歌う主題歌が
素晴らしかった。名曲と言っても大袈裟ではないほど。
あの曲がかかると今でも気持ちがキュンとしてしまう。


私のテニスデビュー

テニス部への憧れはあったものの、当時の私は別の部活動を選んでしまい
テニスラケットを初めて握ったのはおそらく30歳ごろ。

勤めていたのが銀座で、近くにあったプランタンデパートの屋上にテニスコートがあった。そこでの教室でのトライアルに参加してそのまま入会したのだが、
夏のデパート屋上コートはとにかく日差しが強くて暑かった。
場所柄、生徒はほとんど仕事帰りのOLさんたち。
最初のテニスレッスンは数ヶ月であっけなく終わった。転職で勤務先が変わってしまったからである。

次に参加したレッスンは30代半ばころ。結婚して最初に住んだアメリカの家の近くにテニスコートがあった。住人は安くレッスンを受けることができた。
平日の昼間レッスンを受ける大人はごく少数で、グループ・レッスン価格でほぼ個人レッスン状態だったのはラッキーだった。でもこの時点ではテニスはもういいかな、と思い始めていた。初心者の枠からなかなか抜け出すことができなかったからである。

再度テニスのレッスンを再開したのは2018年。2回目のレッスンを受けた
時期から15年ぐらい間が空いてしまった。
きっかけは引っ越しをしたばかりで知り合いもいないし、じゃあもう一度テニスをやってみようかな、ぐらいの気持ちだったと思う。

忍耐強く教えてくれる先生とたまたま同レベルの初心者がいたおかげで、
続けていくうちに、もっと上手になりたいと思うようになった。
そして週1回のレッスンから週2回へ変えたことも大いに役立ったと思う。
今でも週2のテニスコート通いは続いている。ただ内容はレッスンから
ポイント・プレイへと変わった。ちょっとした進歩である。
参加している他のメンバーとダブルスを組みながら
ポイントを加算するプレイ方法だ。

年配のプレイヤーはコートではあまり走らない代わりにボレーを上手に
しながらポイントをとる。
若くて経験の浅いプレイヤーはコートの中をスプリンターのように駆け回る。
まさにエースをねらえ!の主題歌、“サーブ、スマッシュ、ボレー♪“だ。

私のテニスとの関わりあい方はどうも私の人生そのもののように最近思えてきた。一見、計画性がない・・。たまたま身近にあったから始めてみた。

何度かの始まりを通してのテニスだが、今回はこのままレベルアップを図り続けたい。初心者から初級者へ進化した(と自分では思っている)
次はアラカンの間にぜひ中級者への進化を目標に。

テニスラケットも30歳に購入した時のものから最新のラケットに変えた。
これもまさにレベルアップだ。そして最新のものは軽い!

今でも少し時折思う。夢焦がれて憧れていた15歳の頃にテニスを始めていたらどのようになっていたのだろう。今よりは上手であるのは確かだ。
多分その程度の違いかな。
残念ながら岡ひろみにはなっていない(笑)

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