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やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば・・・前編

やるだけのことはやって、後のことは心の中で、そっと心配しておれば良いではないか。どうせなるようにしかならないよ。 勝海舟

最近、2歳上の姉と話す機会が多い。
叔母のことだったりするのだが、
姉ってこんなに心配性だったか?と思うことが多々ある。
姉の心配事は、もっぱら実家に住んでいる叔母のこと。

叔母は父の妹だが、
大昔に離婚をして以来、ずっと独り身、子供もいない。
叔母は生まれ育った家にいつからか戻り、
父の姉である伯母と二人で暮らしていた。
ちなみに、「生まれ育った家」は長男である私の父が継いでいたので、
私たち姉妹にとっても「生まれ育った家」である。

余談だが、自分の親の兄・姉の場合=伯父・伯母
弟・妹の場合=叔父・叔母と書き表す

さて、叔母は出戻りだが、伯母は生涯独身で生まれ育った家を出たことがない。
長女である伯母は、おっとりとした世間知らず。
一方の叔母は、5人兄妹(伯母が一番上、女・男・3人女、の順番)の一番下。
甘やかされて育った(他の叔母談)気性の激しい叔母。
この二人の同居は、ほとんど伯母が穏やかだったから成り立っていたらしい。
私にとっての伯母は、世間知らずのわがまま娘にしか見えず、
よくもまあこんな人と一緒に暮らすもんだ、と感心していたくらいだが、
私以外は逆の考えだったようだ。
(伯母は生涯独身で家を出た経験もないので、私の母にしてみれば、
結婚すると「もれなく小姑がついてくる」という最悪な環境だった)

もとい、そんな伯母も寄る年波には勝てず、
あるとき、ちょっとしたことで骨折をしてしまった。

骨折自体は単純骨折だったので、命に別状があるわけでもなかったが、
その後のリハビリを死ぬほど嫌がった。
若いハンサムドクターは大好きだったが、若い女性のPT(理学療法士)は
気に入らないらしく、ちょっと触るだけで、

「イタタタターーーーッ」

と大騒ぎをして、リハビリを受け付けなかった。

リハビリを拒否すれば、当然歩けるようにはならない。
歩けるようにならなければ、日常生活に戻ることもできない。
かといって老健(老人保健施設)なんて絶対に嫌がるのは目に見えている。

というわけで、
父のすぐ下の妹である叔母(ややこしい)がすでに入居している老人ホームへ
入居することになった。
このホームは、いかにも「老人ホーム」然としておらず、高級マンションのような作りと24時間体制の介護・看護が兼ね備えているパラダイスのような施設。
しかし入居にあたっては、どんなに素晴らしい施設であっても、
戦前から住み続けている実家を離れることに不安しかなかったはずで、
それなりに葛藤があったとは思う。そのあたりの苦労話は聞いていない。

しかし本当の問題は、
伯母の入居によって独り暮らしとなる叔母だったのだ。
ということは、まだこのときは知るよしもない。

後編へ続く〜


いただけるなら喜んでいただきます。