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きのこの山とたけのこの里の戦争に中立国はいらない

 たけのこの里ときのこの山、どちらが好きだろうか。あれは突き詰めれば、クッキーとクラッカー、どちらが好きかというシンプルな問題なんだと思う。チョコの含有率がどうとか、そういった込み合った話はもはやどうだっていい。明確な差があるのは結局のところ、小麦粉をどう調理するか。それでしかない。因みに全国ビスケット協会によると、『クラッカーはイーストや酵素で発酵させた塩味のビスケット。他にも、クッキーは糖分や脂肪分が多い手焼き風の甘いビスケット』らしい。ご参考までに。

 私は一貫してたけのこ派である。たけのこは美味いしきのこには魅力を感じない。だから、アソートを買った際にはキノコは大体誰かにあげてしまう。それくらいにはたけのこ派である。アソートはもう買わないことにする。
  多分、クラッカー自体がそこまで好きではないのだと思う。おなかすき盛りの高校生の時でさえ、目の前にあったとしてもクラッカーは食べなかった。あまり食べる気にならないあの感じは、大人になった今でも変わらない。
 勿論クラッカーにもいい所はある。あれはジャムやチョコ等、甘いものだけでなく、スモークサーモンやチーズみたいな、甘くないものにも合う。ただ、その高い汎用性を得る為に、単体での美味しさを捨てなければならなかったのかもしれない。その点クッキーは脂肪分と糖分を強化し、甘いものに一点張りした最高の焼き菓子だ。そこにチョコなんてかけてしまえば鬼に金棒、彼らの相性はすさまじく、有象無象の菓子をバッタバッタとなぎ倒し、コンビニ菓子最強の名をほしいままにしている。やはりたけのこの里の方が美味い。一方、誰とでも仲良くやれる八方美人は、各々の関係値が浅くなって当然である。クラッカーには是非とも、「俺にはこいつしかいない」と言えるようなパートナーに巡り合ってほしいものだ。

 ところで、「どっちも美味しいでいいじゃん」などとのたまう人間とは付き合わない方がいい。どっちも美味しい事など誰だってわかっている。皆、その上で決めているのだ。
 自分の立場も決められず、誰かと敵対することを恐れ、自ら土俵から去る臆病者は蔑まれるべくして蔑まれるものである。彼らはよく、「よくそんなことで熱くなれるな、下らない」とも言ってくるが、よくそんなことにも熱くなれないなと思う。何事にも本気で、少年のようなピカピカの目をして生きていきたいものだ。彼は高校の学園祭でもきっと、同じことを言ってきたのだろう。劇の照明役や、お化け屋敷の受付として、宝物のような思い出が作られていくのをただ見ていただけの思い出は、彼らの中で今どのような存在となっているか、是非問いてみたいものである。

 以上が私の「たけのこの里きのこの山どっち論争」の答えである。味覚には個人差があるため、他人に強要するつもりはない。
 次に考えたいのが、こしあんと粒あん、どっちが好きか。
 私の答えは「どっちも美味しいから場合によるじゃん」。これに尽きる。赤福のような滑らかさを楽しむ場合は勿論こしあんじゃないと嫌だし、豆大福のように歯ごたえある食感が美味しいお菓子は粒あんのほうが良く合う。これは本当に場合というか、合わせるものによるのだ。この主張は、先ほど私がこき下ろした「どっちも美味しいでいいじゃん」論者とは一線を画していることは言うまでもないだろう。だって、たけのこの里ときのこの山はそれぞれが独立しているお菓子であって、普遍的なものであるわけで、別に合わせるものが変わるわけじゃないし、それに比べてあんこはその合わせるものによって適材適所というか、各々にふさわしい食感があって、ぜんぜん違うから、だから学園祭でずっと主人公に照明を当てていた私の過去を消してはくれないだろうか。

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