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「コンビニに寄りましょうか」が言えるかが、出世のカギという話。

この記事を読んで高校生のキミが得られるかもしれない利益:気配りのすすめ。一言よけいなことを言うことの功徳。

余計な一言がいえるか

今日、国際経営の講義が終わったら、学生が「電気消しましょうか」と言ってきたんです。

そんなことを言ってくれる感心な学生はまれなので、「やってくれるの?」と言ったところ、「もちろんです」と返してきました。

僕はこんなことを言ったんですよ。

「一言多い、それが大事だよ。日本人はひとこともしゃべらない。S君みたいな、自分から声をかけてくる人間はまれだよ。

それはでもよけいな一言じゃない、普通の人がいえない一言なんだ。
自分からサービスを提供します、というね。」

するとSくんはこんなことを話してくれました。

「先生の言葉で、僕の高校時代の野球部の監督を思い出しました。

その監督は、『気配りの言葉をいえるか、言えないか、それが人の価値を決めるんだぞ』」と口酸っぱく言っていたと、いうのです。

S君が卒業して、その監督を車で迎えに行ったことがあったそうなんです。
その時にまたこんなことを言われた、というのです。

「おまえなあ、『コンビニに寄りましょうか』の一言がなぜ言えんのか。気配りのその余計な一言が大事なんだぞ』とたしなめられた、というのですね。

https://qr1.jp/VmNwKY

S君の自主的な人に奉仕しようとする姿勢は、そういう教えから来ているのか、と感心したとともに、いい先生を持った彼をうらやましく思いました。

気配りのすすめ

その昔、「気配りのすすめ」という本がベストセラーになったことがあります。

元NHKアナウンサーの鈴木健二氏が書いた本で、当時流行語にもなったのでした。

しかし、一部の僕のようなへそ曲がりは「何が気配りだよ、ゴマすって出世しようなんて根性がさもしいぜ」などとかわいげのないことを言って、反発していたのです。

しかし、歳をとって学生と接するようになると、例えばIT音痴の僕がDVDの再生に手こずっていると「誰もオレの窮状を見かねて、ヘルプに来てくれない。気が利かねえよな。こんな時に黙って助けてくれれば、成績もAを上げるのに」なんて思うわけです。

でもSくんは、授業の終わりでしたけれど、僕を助けようと手を差し伸べてくれたわけです。

スマホが親切をさせなくする

スマホっていうのは、現代人の無関心を増長させていると思うんですね。

今の人は、暇さえあればスマホの画面を覗いています。

だから、目の前の人が困っていても、目に入りません。

それどころか、自分に危機が迫っていても、気がつきません。

俗に言うスマホ歩き。

前から来る人が見えない、いや、それを見て気をつけようとする意識すらなくなっています。

昔はスマホがなかったので、眼の前の困った人や、トラブルに対して手を差し伸べられたのではないでしょうか。

「コンビニ寄りましょうか?」僕もそんな一言が言えるおとなになりたいと思った次第です。

学生にいろいろ教わっています。

野呂 一郎
清和大学教授

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