note連続1000日目の感想。
この記事を読んであなたが得られるかも知れない利益:noteの謎が解けた。「100日続けようが1000日続けようが、そんなことになんて意味なんてない、自己満足に過ぎない」、と思っていたがどうやら違うようだ。千日の区切りにnoteが語りかけてきたものとは。
note心霊論
「きょうでnote1000日連続で書いたよ、皆さんのおかげです」、なんていうありきたりのことは書いてはいけないと思っています。
「自己満足に過ぎない、なんだか勝手に1000日連続書くことが偉いなどと思い込み、意味のないことをしてきた、目標達成などと自画自賛しやがって、勝手にやってろ」、そんな自虐の思いもありました。
しかし、今さっき、急に何かが僕に語りかけてきたのです。
また「ムー」の読み過ぎだと、皆さんが笑ってらっしゃるけれど、その存在はこんな解説をよこしたのです。
それは「noteは、実は心霊空間なのだ」、というものです。
noteの神が降臨(笑)
これ半分、いやほとんどガチなんですけれど、皆様はぜひ笑ってやってください。
とりあえず、さっき僕の耳元で囁いた存在がいるので、話を聞いてあげましょう。
急に「あなたがた」が「おまえたち」になったり、最後「じゃ」の語尾が多用されたり、はご愛嬌としてみてあげましょう(笑)。
テレビ取材でわかったnoteの異次元空間パワー
先日テレビ取材があったことは、すでに皆様にお伝えしました。
取材の中で、このnoteの話が出たんですよ。
テレビカメラはたしかに、僕がnoteを書いているところを収めました。
もしかすると、その内容がテレビで紹介されるかもしれません。
いや、おそらくそうなるでしょう。
もしそうなれば、さっき出てきたサムシング・グレートだとか、心霊空間とかいう仮説、「note書くとはその空間にエネルギーを注入していることで、それはやがて顕在化する」なんていうもあながち、トンデモではないような気がするんですよ。
つまり先日のテレビ取材の一件は、1000日の間連続して、発信というこころのエネルギーを、人類の意識と繋がっている異空間に投げたものが、返ってきた現象、ということです。
皆様のおかげで1000日続いた拙いnoteですが、続けることはこのnoteという異空間に何か刻印し続けたことになり、それは何らかのリウォード(心理学・経営学用語で報酬)をもたらした、のかもしれません。
これはnote以外にもあてはまる、普遍的な法則ではないか、そう思っているのです。
点滴岩を穿つ(てんてきいわをうがつ)という言葉があります。
軒下から落ちる僅かな水滴でも、長い間、同じ所に落ち続けると、ついには固い石にも穴をあけてしまうことから、小さな少しずつのことでも継続すれば大きな成果を挙げることが出来るという喩え、です。(https://qr1.jp/RtCND3より)
こつこつとnote空間を叩きつけていると、つまり何かを書き続けていると、やはり何か目に見えることが起こってくるのかな、と。
継続は、SNSなど気が散るツールに囲まれている現代において、実は非常に難しくなっている習慣であり、だからこそ価値があるのか、などと、今、思ってきました。
noteに限らず、継続を心がけてみます。
また戯言を言ってしまいましたが、1000日続いたのは、皆様が日頃ご愛読いただき、スキやコメントを下さり励ましてくださったおかげ以外のなにものでもありません。
本当にありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。
野呂 一郎
清和大学教授
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