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ゆるゆると脱力しながら生きてゆく  『あっという間』南伸坊


『あっという間』


そういえばこの間、むかし違法薬物で捕まったアイドルが深夜のテレビに出ていた。
まあそんな事もありましたかね、みたいな平然とした顔で。
あまりにも平然と、普通に出ているのでむしろ滑稽というか感心してしまう程だった。
となりにはこれまた三流の昔アイドルがいて、あたりまえの顔をして座ってる、笑っている。
阿呆に見える。
きっと阿呆なのだろう。

意図はわからない。
時間も時間だしみたいな企図もあったのだろう。どうせ深夜の番組だし。
神経はわからない。
常識や羞恥心は地中に埋まっている。
わざわざ掘り返す人間なんていやしない。いや、いる。ごく一部の人間だ。
僕はナンシー関がとても懐かしく感じることがある。
唯一無二だし不世出だった。
この偉大なるコラムニストおよび消しゴム版画家を僕は懐かしがる。
ナンシーの二番煎じは彼女のあとにうようよ出てきた。
椎名林檎のあとにりんごもどき、宇多田ヒカルのあとに宇多田もどきが出てきたように。
切り拓いてきた人間のあとに、似非が平然と歩いてくる図は過去に何度も見た。
よくある事なのだろう、きっと。
道が出来ているんだから、あとからくる者は平然とあたりまえに歩いてくることは出来るだろう。なんて歩きやすい道なんだと云わんばかりに。

休みの日の早朝、AMラジオを聴いてれば、何ヵ月かにいっぺん、南伸坊の朗読コラムが聴くことが出来る。
これが滅法おもしろいのだ。
ひょうひょうとした語り。笑いを狙っていないように見えて、実は虎視眈々と笑わしにかかっている。または笑ってくれれば儲けもの、みたいな態度で臨んでいる。
私はまんまと笑ってしまう。
そのくだらなさ、しょうもなさ、どうでもよさに。それは紛れもない『芸』だった。
というわけで南伸坊のエッセイを図書館から借りてきた。
ラジオほどではないが、やはりそのひょうひょうさは活字でも健在である。
そして各エピソードに奥様の出てくる頻度が頗る多い。これはラジオの朗読の方と一番違うところだと思う。
”ツマ”と彼は云う。
奥様のことを、”ツマ”と。
カタカナで。
”ツマ”の方も南伸坊に負けず劣らず良い味を出している。
まるでよいコンビである。
夫唱婦随とはこのような事を云うんだろう。

何はともあれ。
わりとどうでも良いようなことが、案外大切なことってある。
ベランダに集まる雀にあげるエサも、植物に話しかける言葉も、何気ない日常が人間には大切だ。
そこに詩を見るか。創作の源泉を見るか。
それは個人個人によって違う。

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