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noteコメントの善と悪~悪(2)「短絡的で皮相的な理解」で投稿を批判する。

■今まで本気じゃなかったんだと絶望しちゃった。

と藤田ニコルさんは、
自民党の岸田さんの
「若い世代から
『ようやく政府が本気になった』と
思ってもらえる」
という少子化対策についての
説明に対して感想を述べた

(先日の『サンデージャポン』)。

私は、岸田政権は、
政策(新しさのない“新しい資本主義”等)の面でも
(内閣のみで決める)政権運営の面でも、
安倍政権以下のひどさだと思っているが、
この発言ばかりは
「今までの少子化対策は本気じゃなかった」と
言っているのではない、
と「擁護」する。

もちろん誤解を招く言い方で、
伝え方は本当に下手なのだが、
「これまでも本気で改善しようとやってきたが
『今回は本気だ』と思ってもらえるような
発想で取り組む」
という意気込みを示したものだ。

もちろん、これまでの政策の是非は別にして。

■noteでも目立つ短絡的で皮相的な批判

noteで他の方のコメントや投稿を読んでいると、
単なる誤解で批判され傷ついている例を時折、目にする。
その原因は「短絡的で皮相的な理解」だ。

私も上記の投稿を、(『ニコタマ』のような)短縮表現を
批判していると解釈されて、
(コメントではなく)引用されて記事にされる経験をした。
もちろん、そんなことは一言も言っていない。
「略せない」自分について綴っただけだ。

日本語について何かを書いていると
「批判している!」
と思ってしまう先入観が、
かなり影響していると思われるが、
前述の藤田ニコルさんも
“批判できるタレント”に固執するあまり、
「本気になったと思う」の主語が
岸田さんではなく、国民であるという文脈に
気づいていない(ワイドショーの評論家でさえ
同じ誤解をしていた)。

あえて書けば、
「これまで本気ではなかった、と誤解される
言い方は注意した方がいい」と
たしなめるべき発言であったかもしれないが。

■短絡的で皮相的な理解を
読書量の少なさに置いた山田詠美さん

私は、先日の投稿で、
多少呆れながら書かれた
山田詠美さんの次の
言葉を紹介した。

「死」について書いたら
「コロナによる死者が出ている時に、
そんなもの読みたくない」とか、
「人の死を茶化すとは何事か」
などの少なくないクレームが付いた

「日本経済新聞」1月7日朝刊

詠美さんは、こう語ったうえで、
「文学畑の媒体では考えられないこと」と
暗に読書量の差を指摘されている。

行間を読まない
短絡的で皮相的な批判に
読書量がどこまで影響しているかは
分からないが、
少なくとも昨今の“倍速視聴”を
尊ぶような意識では、今後も
同じ誤解が生じる可能性大、だ。




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