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〈旭山動物園〉革命 (小菅 正夫)

マーケティングケースとしての「旭山動物園」 

 北海道旭川市にある旭山動物園は、その不利な立地条件にもかかわらず月間入園者数で上野動物園を凌駕したことから一躍脚光を浴びました。

 もちろん何の努力もせずして、お客様が増えるはずはありません。小菅園長をはじめ関係のみなさんの地道で真っ当な努力の積み重ねが、今の姿の礎です。

(p14より引用) 「旭山動物園には、上野動物園のように、パンダなどの珍獣がいるわけでもないのに、どうしてこれだけの人気が集まったのでしょう。」
 よくそんな質問を受ける。・・・
 質問に対する答えを一言でいえば、「見せ方を工夫したから」である。それまでの動物園は、動物の姿形を中心に見せてきたが、その方法を根底から変えたのだ。・・・
 私たちが何よりも優先して考えたのは、その動物にとってもっとも特徴的な能力を発揮できる環境を整えることである。

 「その動物にとってもっとも特徴的な能力を発揮できる環境を整えること」、これは、まさに “「動物の立場」をすべての考えの出発点に据える” ということです。イトーヨーカドーグループの鈴木敏文氏が常に言われている「お客の立場で」と相通じるものがあります。

(p53より引用) 動物園の展示方法を考える場合、私たちがいつも念頭に置いているのは、動物の側に立って考えることである。

 具体的なケースは、有名な「ペンギンの散歩」です。

(p50より引用) いまや冬期の動物園の風物詩になった観のある「ペンギンの散歩」。・・・
 これは冬期の動物園の人気企画となったが、飼育係が「冬の大イベントにしてやろう」とか、「奇をてらった企画を考えよう」とかして始まったものではない。日頃のちょっとした観察と知識、そして何よりもペンギンのために始めたものなのだ。
 もともとキングペンギンは歩くことが好きなペンギンだ。・・・
 だから、ペンギンの散歩というのは、ショーのために、ペンギンを無理やり外におびき出したわけではない。あくまでもペンギンが歩きたいという態度を示したから力を貸し、楽しそうだから歩かせている。

 簡単に「動物の立場」でと言いますが、誰でもができるわけではありません。「動物の立場」に立てるだけの感性と情報を身につけるためには、日々の飼育作業での地道な観察の積み重ねが不可欠です。

 もうひとつのマーケティング視点からの実例は「シーズとニーズ」に関するものです。

(p31より引用) ワンポイントガイドは、次のステップに進む貴重な財産を残してくれた。・・・
 飼育だけをするのではなく、入園者に語りかけてみる。それが、いわば市場調査のようなものになった。動物のことをよく知っている飼育係が、入園者は何を知りたいと思っているかということもつかめた。あとはそれをマッチングさせればよかった。その成果が、いまの施設に十二分に生かされている。

 飼育係の人がもっている専門家としての知識をベースにした発想(シーズ)と入園者への語りかけから得られた生の声(ニーズ)との止揚が、旭山動物園のパワーのひとつの源泉です。
 ここでのポイントは、飼育係と入園者という最もベーシックなステークホルダによる営みが重視され、かつ実際のアクションとして結実しているという点です。

コンセプトワークとしての「旭山動物園」

 複数のメンバでものごとを考えたり、プロジェクトを進めたりする場合に、コンセプトワーク(意味づけ作業)が重要であることは、以前、私のブログでも「刑務所建替プロジェクト」を例にコメントしたことがあります。

 旭山動物園でも、スタッフの勉強会で「動物園の意味づけ」の議論がなされたそうです。

(p22より引用) まず、「動物園とは何をするところなのか」といった動物園の存在意義の確認から始めた。・・・
 整理すれば、「レクリエーションの場」「教育の場」「自然保護の場」「調査・研究の場」の四つの役割がある。・・・その基本に関して、飼育係が共通認識を持っていれば、あとはそれぞれの飼育係に考えさせる。それをうまく動物園づくりに生かしていけばいいのだ。

 個々のスタッフが動物園の「コンセプト(意味)」を明確に共有化していれば、スタッフの自発性に委ねた自律的な運営が可能になります。スタッフの誰もが、ただ誰かに言われたことをするのではなく、自らの中の判断軸に基づいて能動的なアクション・創意工夫にチャレンジするようになるのです。
 ちなみに、旭山動物園の英語名に「WILDLIFE CONSERVATION CENTER(野生生物保護センター)という言葉をつけているのは、「自然保護の場」としての「種の保存の場」をコンセプトのひとつに掲げている証左だと言えます。

 さて、こういったコンセプトを考えたり、そのコンセプトを具現化するアクションの知恵だしをしたりするためには、それなりの検討する時間が必要です。
 幸か不幸か、旭山動物園にはその時間があり、その時間を有益に活用していたようです。

(p47より引用) いま振り返って、不遇の時期に意味があるとしたら、お金はなかったけれど、動物園についてじっくりと考える時間が与えられていたということだと思う。市から、「予算がついたから、つくりたいものを何でもつくってくれ」と言われて、思いつきでつくったとしても、いまのようにはなっていないだろうなという気がする。
 アイデアも熟成させる時間が必要だ。一度考えたアイデアを土台にして、そこに新しい考えを各自が持ち寄って再度練り直す。そういう作業をできたのは、意味のあることだった。

 もうひとつ、コンセプトワークから具体的アクション実施という一連のプロセスにおける旭山動物園のKSFです。
 それは、外部の知恵に頼らなかったことです。

(p92より引用) 私たちの施設が比較的安く仕上げているのは、コンサルタント会社に相談せずに、自前でやっている側面もある。多くの動物園は、コンサルタント会社に依頼をして、造ってもらうことが多いのだ。しかし、彼らは野生動物の専門家ではないので、行動展示をしようとしても、思い通りにいかないこともある。

 コンセプトワークが本職のコンサルタント会社が機能しないのは当然でしょう。コンサルティング会社には、経営のスペシャリストは大勢いても、ペンギンやホッキョクグマの気持ちがわかるスペシャリストがいるとは思えませんから。

園長の信念

 この「〈旭山動物園〉革命」という本、裏表紙には、「旭山動物園、驚異の復活には、ビジネスモデルの原点がある!」と書かれています。今までご紹介したとおり、マーケティングやマネジメント的な面からみても、確かに参考になる内容が豊富に含まれています。

 ですが、この本は、もっと素直に「旭山動物園を舞台にした真剣な想いの物語」ととらえるべきだと思います。
 この本のあちらこちらに感じられる著者小菅園長の信念や真摯な姿勢が、印象に残ります。

(p19より引用) 野生動物と向き合い、園長として動物園のスタッフをみていて思うのは、動物も人間も、「自分らしさ」を発揮できる環境はなにものにも替え難いということである。
(p58より引用) 自然界では、動物園のように、一種類の動物だけで生きているものはいない。何かしらほかの動物と共存している。一種類だけで固まって生きるというような、変わったことをしているのは、人間ぐらいだ。だからいろんなひずみが出る。
(p71より引用) 私がつねづね言っているのは、「地球上に生きる生物の命はみな平等だ」ということだ。サルの命はたまたまサルという入れ物に入っているだけだし、ホッキョクグマの命もたまたまホッキョクグマという入れ物の中に入っているだけ。ペンギンの命もたまたまペンギンという入れ物に入っているだけだし、私たち人間の命も、人間という入れ物の中に入っているだけ。だから、命に優劣はない。命は、等しくかけがえのないものなのである。

 「あとがき」にもこう記されています。

(p178-179より引用) 動物園という世界に入って三十年以上が過ぎた。その間、折節思い出す言葉がある。それは札幌に住んでいたとき、祖母に連れられて行った寺の住職が言った言葉である。
 住職がおもむろにこう質問してきた。
「地獄とはなんだと思う」
答えられないでいると、住職は言った。
「地獄とは、やりたいことができないことだ」と。・・・
 いまの動物園づくりの根本にあるのは、住職から言われた言葉だったかもしれない。動物も人間も、やりたいことができなければ幸せではない。だから、それぞれの動物のいちばんかっこいいところは、彼らがやりたいことをやっている瞬間である。それをお客さんに見せたかった。これからも、動物たちのイキイキとした姿に感動していただけるような動物園にしていきたい。

 あと、著者の学生時代の経験にもとづく以下のコメントも、折しもW杯の時期、「代表の誇りと義務」という点で考えさせられるものでした。

(p103より引用) レギュラーになれなかった控えの部員たちが、イキイキとしているか否かがそのチームを判断する重要なバロメーターであると考えているのだ。彼らが、レギュラー選手を支えるために、自分にしかできない努力をどれだけやったか。それがいちばん大事だと思う。もしそれができていれば、選手には稽古台になってくれた部員の思いが肩にかかっているはずだ。その思いが強いほど、土壇場で信じられない力が出る。あいつらのために頑張らなければという思いが力になるのだ。チームが勝ったら、実は控えの部員が偉い。そう私は思っている。



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