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歴史というもの (井上 靖)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で目につきました。

 井上靖さんの講演録と随筆に加えて、司馬遼太郎さん、松本清張さんとの “歴史” をテーマにした対談集が採録されています。

 しかし、井上・司馬・松本各氏の対談というのは “超重量級” ですね。ちなみに、松本清張さんも初期のころ、推理小説を書き始める前にはいくつもの歴史小説を発表しています。

 それぞれに得意とする歴史のバックボーンを持っているお三方の対談から、「戦国期、茶道の流行と利休」について語っているところの一部を書き留めておきましょう。

(p46より引用)
井上 それから利休の死を賜わったということは、戦国時代の一つの大きな事件だと思いますね。・・・わたしは漠然と、権力者と権力を持たない芸術家の戦いだと思うんです。そう割り切ると、簡単になるんだけれども。
松本 井上さんはそういう解釈で書かれているけれども、秀吉のきらびやかな武家好みと利休の町人的な好みとは合わない。趣味の相違です。秀吉からみると、利休はこさかしげで目障りだったんですね。
・・・
司馬 それと、大名茶道のはやりというのは、織田信長は非常にモダニズムが好きですから、茶道という新しい芸術というものに非常に魅力があったと思います。
 もう一つは意地わるくいえば、かれは中世的な教養がありませんから、新興の茶道を好んだ。たとえば別にサロン的な遊びで連歌というものがありますが、かれは苦手だったでしょう、教養の質からも。 織田信長は造型美術には明るいけれども、文学的なものには暗い。・・・光秀は茶にはほとんど関係なくて、連歌ばかりの仲間をつくっていたと思います。連歌というものは公卿的ですね。
井上 だから光秀の問題が起こったんですね。
松本 光秀の問題と利休の問題は.....。
司馬 似ておりますね。
井上 ええ、似ておって、当世流の言い方をすれば文化人弾圧というか、文化弾圧というか、おそらくそういう性質を持った二つの事件ですね。
松本 光秀というのはたいへんな教養家ですからね。ああいうインテリは、やっぱり信長には目障りで堪えられなかったんでしょう。

 信長と光秀、秀吉と利休。この二つの関係を相似形と捉え、“茶道” “連歌” を媒介に澱みなく当時の為政者論を語り合う御三方。見事なものですねぇ。

  


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