いわきの記録・記憶(古滝屋旅館・原子力災害考証館)
3月21日、元原発技術者の今野寿美雄さんが、山口市での講演の前に周防大島にお立ち寄りくださり、急遽お話し会が催されました。
急遽だったにもかかわらず、30名を超える人たちが参加されました。
技術者だからわかる危険を、避難先でも啓発し、率先して除染すべき箇所を行政にも指摘して、子どもたちの遊び場などを守って行かれたそうです。
被災後何年かは、福島の子どもたちを夏休みに心置きなく屋外で遊ばせたいと、各地と連携してサマーキャンプを実施されていたそうです。
お話し会の会場となった、安下庄にある元教会も、そういった子供たちの受け入れを行っておられた場所のひとつです。
そんな今野さんに、「今度いわきのハワイアンセンターにいくのだけど、周辺で行くべき、原発事故について学べる場所はありませんか?」とお尋ねしたところ、紹介されたのが、湯本温泉の「古滝屋旅館」に設置されている「原子力災害考証館」でした。
この施設は、温泉旅館古滝屋の8階にあります。もとは宴会場だった広間を改装し、2021年3月12日にオープンされました。
議会の視察研修でいわき市を訪れたのですが、議長・議会事務局にご提案したところ、みんなで訪れる時間を組み込んでいただくことが出来ました。参加した議員一同で、共有できたことが何よりありがたかったです。
〇民間による原子力災害の資料館
旅館オーナーで考証館館長の里見喜生さんが、直接解説をしてくださいました。
そこには、相馬市の商店街の、被災直後とそれから10年経った写真を並べて展示してあったり、
当時避難区域のために行方不明の家族の捜索がでず、次女の汐凪(ゆうな)さんの遺骨の一部が発見されるまで5年9か月を要したという木村紀夫さんにより寄贈された遺品の展示、
原発事故直後から見えない脅威にさらされ、”わからないこと”から逃げずに向き合おうと様々な情報を収集した一般住民の抱えた原子力にかかわる資料の数々。
いわきには、公的施設の資料館も設置されていますが(後編にて紹介)、そこでは取り扱うのが難しい、様々な裁判の資料も展示してありました。
開設当時は、なんでそんなものを・・・という声も聴かれたが、最近は、行政ではできない記録・記憶の伝承を担っていると、理解する人も増えてきていると感じるそうです。
古滝屋のロビーは、壁一面が本棚になっています。
観光のコーナー、福島の震災のコーナーと並び、水俣についてのコーナーもありました。
水俣とチッソ株式会社、国との関係の中で地元の方々が取り組んできたことと、ふくしまと東電、国との関係にどう向き合い今後につなげていくのか、大きなヒントとなったと里見さんは語っておられました。
〇原子力関連施設を身近に受け入れるかどうか
視察の終了後、私は一人残留し、里見さんとお話をする時間をいただきました。
今回、周防大島町議会では、近隣の上関町で使用済み核燃料の中間貯蔵施設建設計画の調査が行われていることを受け、東海第二発電所を視察してきたということをお話ししました。
そして、住民レベルでは、計画を止めたいと様々な活動が行われていることも。
最近でいうと、近隣市町の住民有志でつくる「上関の中間貯蔵施設を考える周防住民の会」が3月16日に田布施町の地域交流館近くで、4月8日に周防大島町役場付近で、行きかう人に呼び掛けて
「もし上関の中間貯蔵施設建設に対して投票権があるとしたら、賛成?反対?わからない?」
から選んでもらう、シール投票を実施されました。
↓↓その集計結果や投票された方々の意見はこちら↓↓
活動を取り仕切られた方が、
「周防大島で行った投票では、田布施で行った投票の時より、わからない、という選択をした方の割合が多かったのは、なんでだろう…?」
とおっしゃっていたのが印象に残っていて。
これについて私は、興味がない、考えていないから”分からない”という人が多いのではなく、考えれば考えるほど”分からない”という人が多いのではないか、と推測しています。種類は違えど、周防大島は岩国基地が身近で、防衛省からの交付金を長年受けています。その歳入に一部頼った町政運営をしていることも事実で、その実感を持っている住民も多いと思います。
(誘致するかどうかという差はありつつも)外部財源に頼ろうとする上関町の気持ちが分からなくもない。(上関町と周防大島町の高齢化率は県内で1,2を争っています)
どこかに作らなければならないとしたら、自分に影響のない遠いところならいいとも言えない。
そんな話を里見さんにお伝えしたところ、
もし、この周辺で同様の投票を行うとしたら、
「考えたくない」
という選択をする人が少なからずいると思う
とおっしゃっていました。
震災・原発事故から13年。
目に見えないけど実害もある事故の影響、風評被害、それに伴う様々な動き…
それらに振り回されてきて、(状況が好転しないとしても)もう考えたくない。
そう考えている人もいると思うと。
そんな切ない状況にならないためにも、原発関連施設の拡散は受け入れたくないし、何か事故があれば将来にわたって誰も責任のとれない影響が続く原子力発電に、今以上に依存していくことには、私は反対です。
〇今も続く地元民間での支援
去り際に、玄関口に来られたおばあさんと里見さんが、なじみらしくお話をされていました。
大熊町にお住まいだった方々が、定期的に古滝屋に集まり、温泉に入り、持ち寄った料理をシェアしながらお話をされるそうです。
そんな場の提供も、ずっと続けておられるそうです。
いわき市では、行政サイドでも避難区域の役所機能の受け入れや復興公営住宅の設置など、様々なサポートをされていますが、民間でも、行政とは違う様々なサポートを続けておられるということがわかりました。
サポート、支援、
そういう言葉では表し尽くせない。
”ともに生きていく”
そんな想いなのではないかと強く感じました。
山口県と福島県はかなり離れていますが、里見さん、実は宇部市には何度か行ったことがあるそうです。
それは、”炭鉱のあったまち”つながり。
現在では、いわき市と宇部市は災害時相互応援協定を締結し、交流が行われているそうです。
周防大島にもいつか来ていただき、お話をしていただけたらと思いました。
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