見出し画像

本当のセルフコンパッションとは(第2回meet up感想②)

この記事は、こちらの記事の続きです。

https://note.com/noriko_mindful/n/nad9081d44a0f


さて、話はmeet upに戻って、
幼稚園児としてmeet upの第2回目に登場した私
 
「あれ、素の私って、こんな感じだったんだ?」
と自分でも再発見
 
誰しも、外に出る時や、人と接する時は、
無意識的に何らかの役割や仮面、
“〇〇らしさ”を身にまとっているのだと思うけれど、
 
いつの間にか、それがどんどん分厚くなって、
あれ?元の私ってどんなんだったっけ?
って、忘れてしまっているのは、
もしかしたら私だけではないんじゃないかなぁ
 
 
幼稚園児の私は、
ありのままに聞き、感じ、話したければ話す
そのままにしておきたければそのままに
 
無理に話を合わせたり
沈黙に気まずさを感じて、話題を出したり
相手を気遣ってコメントを返すこともしない
 
それは、ずっと心がオープンな感覚で
第1回目と同様に、ずっと瞑想しているような不思議な感覚だった
 
 
 
相手の話を聞きながら、時に
これは良い、私もそう思う、これは違う、こうあるべき・・・
 
と、自動的にジャッジが入っていることにも瞬時に気づけるので、
それより先に思考が進むことがない
 
そう考えた、そう感じた、自分の中で何かが動いた
ただそれだけのこと
 
 
今ここに、相手がいて、私もいる
それぞれが独立して存在していることを尊重されていて、
誰も何もコントロールしようとしない
 
 
この空気感は、私にとってはとても新鮮な経験だった
 
 
 
 
meet upでの経験を元に、
ここ最近の事を自分の振り返って考えてみたこと
 
 
私は、マインドフルネスに出会って、
自分の内側にあるものに気づくことができるようになった
 
すると、自分の中の嫌な部分、
今まで見ないようにフタをしてきた部分が見えるようになってきた
 
それで、なんだか自分のことが嫌いになってしまって、
半年ぐらいは何だか心がずっとざわざわしていた
 
 
そうなった原因はきっと、
 
『気づく力 > セルフコンパッション』
 
自分にセルフコンパッションが足りていないことは自覚していて
これが自分にものすごく必要だとも感じていたので
 
自分なりにセルフコンパッションについて学び、
自分なりに実践を続けていた
 
 
そして、少しずつ、自分に優しい声をかけられるようにはなった
 
大丈夫だよ
完璧じゃなくていいよ
十分よくやってるよ
安心していいよ
 
自分が自分の味方でいられることが増えてきた
そんな自分に安心できるようになってきていた
 
 
でも、それができるようになったのは、
自分一人で落ち着けている時だけであって
誰かと一緒にいる時には、
やっぱり自分よりも相手に意識が向き
自分の気持ちよりも相手の気持ちを優先してしまう
 
人と一緒にいる時は、セルフコンパッションは出番なし
 
そこが今一つ日常生活にセルフコンパッションが生かしきれない私の課題だった
 
 
今思えば私が実践していたのも、
純粋なセルフコンパッションというよりも
 
自分に優しくしなくちゃ
どんな自分も受け入れなくちゃ
 
そんな、どこか義務的な、こうあるべき的な考えに基づく
セルフコンパッションもどきだったのかもしれない
 
『セルフコンパッション is 正義!』 みたいな
 
 
 
でも、セルフコンパッションってそういうものではなくて、
努力して手に入れるものというより
 
むしろ、何もがんばってない、ありのままに存在する自分を
“周囲に受け入れてもらう体験”こそが必要なのかもしれないと思った
 
そう、その体験こそがmeet up
 
 
自分がただそこに存在する
自分の発言を、ただ聞いてもらう
否定せず、ジャッジせず、「そうなんだね」と
そのままにしておいてもらえる感覚
 
もちろん、そこで同じことを感じている人がいれば、
共感してもらったりもしながら
 
 
それぞれの人が存在していて
みんなそれぞれの心の動きがあって
誰も何も変えなくていい
みんながみんな、そのままでいい
 
  
普通、集団でのコミュニケーションって
特にテーマや目的がなくても、
どこか同じ方向に向かおうとする意識が漠然と存在していて
 
相手に気を配って、話題を選んだり、話を振ったり、
沈黙しないように話題を展開したり
 
本当は自分がどう思っているかよりも、
自分の言動がその場にふさわしいかどうかに
アンテナを張ってしまう感覚が私にはある
(だから、私はその場ではとても楽しく過ごせても、
家に帰るとどっと疲れてしまうことがある)
 
 
でも、Meet upではそんな必要が一切ない
その場のコミュニケーションに“正解”というものが存在しない
 
ただ、自分も相手もそのままでいさせてあげる
お互いの“意見”というより、お互いの“存在”を丸ごと尊重する
 
 
いろんなものがはがれて
素の自分に近づいていく感覚
 
幼稚園児になれた私
 
そこに安心して戻れる場
それが“聴き合う場”meet up だったと思う
 


こんな貴重な機会に参加できたことに感謝しかない
ヒグちゃん、ことりさん、そして一緒にご参加くださった方、
本当にありがとうございました
 



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?