見出し画像

不登校は宝物♡だったら良いよね

「不登校は宝物」的なキラキラしたワードに
は??????????って思ってパソコンをそっ閉じしたので、
久しぶりにnoteに吐き出してみようと思う。


不登校は宝物というパワーワード

いやぁ…まぁその側面もあるでしょうね。
とは思うわけです。

だけど、本音は
「んなわけあるか!!!!」
なのですよ。

普通に大変です。
ご飯の心配に、学習の心配に、社会性への心配に。
正解がないから、考えてもず〜んってなるし。

え?これどんな感じ?
いつまで続くの?一生とかだったらどうしよう…
私の何かがいけなかったんだろうか?
あれかもしれない、これかもしれない
いや…え…わぁ…つらっ

の無限ループ。
どこに宝物が眠っとるんじゃ!!!!
と、パソコンの蓋をいつもより多少荒々しく閉じたくなるのが人の心かと。

本音を大事にする

仕事柄、理想としては
「不登校は子どもからのメッセージ」
「子どもの気持ちを尊重してこの時間を宝物に」
とか言いたいです、私も。

だけど、登校渋り4年目に突入して思っているのは
「その理想が私を苦しめていた」
のもまた事実ということなのです。

そう言うふうに思えない自分に盛大にダメ出しをしては、
そのモヤモヤを日常に還元していたので(最悪…)。

いろんなことを教えてくれてるけど、今は「そんなこと言うの無理!」のこの気持ちを私自身が尊重してあげようと思うに至りました。

嫌なものは嫌だし
本音を言えば行って欲しいし
不安なものは不安

それなのに、ずっと理解ある母親の顔をしようとしていたんですよね。

無理してまで行かなくて良いもまた本音

だけど、その一方で学校行って帰ってきた娘の様子に胸が張り裂けそうになって、「こんなに辛いならもう行かなくて良いのでは…」
と思うのもまた本音だったりするのです。

そんなに無理してまで行く必要ない!
だから、行かなくて良い!!

とまで言えないのは私の中のいろんなものが邪魔をしているから。
それは常識だったり、不安だったり、罪悪感だったり
一つ一つ言語化していく必要があるものだと思う。

だけど、この「無理してまで行かなくても良いよ」と言う本音にまで辿り着いたから、今休ませてあげられているのもまた事実で。

無理してまで行かなくて良いけど、本当のところは行って欲しい
というなんとも複雑な本音を抱えて、今日もせっせと娘の相手をしているわけです。

ネガティブなことをキラキラに昇華しない

いずれ、宝物とか言えるのかなぁと考えるけど、きっといつまで経っても言わないような気がするんですよね。

大変なものは大変だし
嫌だったものは嫌だったことだし

なんとなくそういうネガティブなことを、キラキラのフィルターで見てキラキラしたものに昇華させようとする風潮あるけど、それって必要あるのかな?とも思う。

ネガティブなことから気づくことや学ぶことって確かに多くて、それは事実。
だけど、気づきや学びってキラキラしている必要ないと思うのです。
気づきや学びを探さないとただ辛い経験で終わってしまうから、新しい自分の一面を掘り出せたり、自分が変化出来る要素に出来たら良いけど。

どう言うふうに意味付けするかが大事とはいえ、辛い経験が今辛いなら辛いに浸ってみたら良い。
すぐに「でも、これはチャンスだ!」とか「これは、何か教えてくれてる!」とかやらずに、自分の気持ちを大事にしてあげる。

それが大事なんじゃないかな…というタイトルと大きくズレた結論。

明日は…行きますかねぇ?(白目)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?