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盛大に自分を甘やかし気ままに生きる

はや2023年1月も終盤、今年初めての散文投稿となった。
相変わらずアウトプット志向低く、マメさに欠ける横着な自分が今日を生きている。

まぁ、それでよいと思う。
日々何かと、やることには事欠かないのだし。

そんな感じで、今年も盛大に自分を甘やかそうと心に決める次第。

自分に高い期待をかけすぎると、「出来なかったこと」ばかりに目が行ってしまう。
自由気ままで少し怠惰なくらいの自分をベースとすれば、いつだって「出来たこと」を喜んで暮らせるはず。

それに、チャンスやセレンディピティは思わぬところからやってくるもの。
目標やタスクで毎日をガチガチに固めてしまうと、視野狭窄に陥って大切なものを見逃すリスクだってある。

古来「継続は力なり」など美徳とされ、勤勉さの象徴である継続性。何か始めてもコンスタントに取り組めない自分に多少の負い目はなくもない。
昨今はSNSで意識高い系の人々のキラキラな充実の日々が目に飛び込んでくるから尚更だ。他人のことなど気にせず生きられた長閑な20世紀が懐かしい。

しかし、継続することや頻回かつ大量に行うこと「それ自体」には意味がない。
それによって何かを得られるかもしれないけれど、それは「結果」でしかない。

中途半端に止まっていることが私には多々あるけれど、機が熟したらまた始めればよいだけのこと。何度でも。

実際、好きなことは長続きする。オーボエを吹き、年数回ステージで演奏する生活は40年近い(一度辞めたら戻れない恐れからでもあるが)。ヨガも然り。
途切れたまま再開しないのなら、自分にとって重要ではなかったに過ぎない。キラキラ人たちも、好きで楽しいからやっているに違いないのだ。

だから、継続期間や回数を目標にはしない。
大切なのは、
何かをしているその瞬間に尽くしているか。
「今、ここ」に自らを捧げ、
一秒一秒を濃密に生き、楽しんでいるか。

それだけは、妥協せずに。

※とは言え、折々の想いを自分の脳内から表出することなく世を去る淋しさから、ここに散文を書き始めたわけで。
自分を甘やかして先延ばしし過ぎるのはいけないな。人生の終わりは、いつ来るか分からないのだから…


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