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時の器を満たす ~ マインドフルネスのこと(1)

自分の演奏を録音で聴いてはいつもがっかりするのだが、「自分が思っているよりも早い」ことがとても多い。
(テンポが「速い」ではなく、音の変わり目や小節線をまたぐ瞬間など、ちょっとしたタイミングが時間的に「早い」)
もっとゆったり、もっとたっぷり歌い込んだつもりなのにと。

音程も然り。演奏中の自身の感覚と客観的な録音で差異があることはよくある。耳はいつだって開いて音を受け入れているのに、不思議だ。これはつまり、流れている時間の濃密さに比して自分の意識の粒度が粗く、リアルタイムで起きている事象を感知しきれていない、ということなのだろう。

デジタルのメトロノームを鳴らすと、ビート(拍)はピッ!という瞬間(ON)と無音(OFF)の繰り返しによって構成されているようにも思えるが、実際には一拍は次のピッ!直前までの、長さと質量を持った時間の連なりだ。その「時の器」を音楽で満たすことが演奏である、とも言えようか。

注ぎ込まれる流体が器を満たしてゆく速さは。その濃度は。色や透明度は。
起こっていることのすべてを感じながら、丹念に、完全に、器を満たす。
そう意図しているのに、ある器を満たしきる前に、目の前の器=「今」から心が離れ、次の器に魂を注ぎ始めてしまうことがある。表面張力ぎりぎり、器の容量が許す最後の一滴まで、踏みとどまることが出来ない。

早くなってしまう演奏で起こっているのは、こういうことかもしれない。
あるひとつの「時の器」に魂を注ぐ機会は一度しかないのに、もったいないことだ。鍛錬するしかない…

「今起きていることに絶え間なく気づき続ける」
これは「マインドフルネス」の概念に近いだろうか?

マインドフルネスについては関心を持つ前にややバズワード化してしまい、流行りものから距離をおくタイプのひねくれ者は、深く考える機会を逸していた。
最近になって、私が日々こもごも思いめぐらせることと距離が近いのかも…と感じ、ようやく目を向けるように。

今回は音楽の話から始まったけど、別の切り口でも同じ話がしたくなる気がするので、予定は未定ながら敢えて(1)としておく。

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