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瞑想の夜会

クリスマスも近づくある晩に「50名の大瞑想会」なるイベントに参加してみた。

ヨガや灸など東洋系の健康企画の一環らしいが、周辺ではイルミネーションやプロジェクションマッピングなどで盛り上がるホリデーシーズンの街中で、多くの人が瞑想のために集まっていることは新鮮な驚き。

ファシリテーターの誘導で50人がそれぞれ瞑想する1時間。それなら一人でやればよいのではとも思われるが、不思議なもので他者と場を共有することで体験が深まることはままある。
瞑想に限らず、たとえばヨガでも同じ場に練習に励む他者がいることで集中が深まることがあるし、時間を共有することで密度が高まり豊かになることは音楽でも顕著だ。

瞑想とは何なのか。瞑想していると思われる時に脳内の状態を互いに見せ合うことは出来ないので、ある人が瞑想と呼ぶものが自分のそれと同じとは限らない。逆もまた然り。まあ、それでよいのだろうと思う。

ただ、時間とか世界とかの概念を語ろうとする時、それをどのような言葉で表現するにせよ、前提として「瞑想的な体験」があって初めてイメージ可能な気がするのだ。まだ瞑想の何たるかも、時間や世界の何たるかも知らないので、それは予感に過ぎないのだけど。

参加者でスパークリングワインで乾杯し、この一年を生き抜いた自分をねぎらって解散。興味本位で参加したけど、世の中いろんなテーマがイベントになるものだな。

瞑想について語るべき言葉は、まだ熟成されていない。そんな簡単なものではない、とも言えるし、人として当たり前の営みとも思える。

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