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世界はアナロジーに満ちている。

2024年の味噌仕込み完了。
 
自家製の味噌づくりを始めたのが正確にいつだったのか思えていないけれど、かれこれ25年くらいは続けていると思う。食に関する書籍をあれこれ読んでいた時期に、味噌づくりをしている人の著書を読んで興味を持ったのがきっかけだったか。当時の自宅近所に、いかにも古きよき昔ながらのお味噌屋さんがあることに気づき、そこで材料を購って挑戦したのが始まり。
 
普段ろくに料理もせず基本的に飽きっぽい私。味噌づくりが続いているのは発酵というプロセスの理科実験的な楽しさ、流れる時間と季節がもたらす自然な温度変化の中で大豆と麹と塩を「味噌」へと変えていく、目に見えない微生物たちの健気な仕事のいとおしさ。そして何より美味しいから。
 
安心して食べられる麹や味噌を作り続ける誇り高い生産者は各地にいるので、取り寄せ先を選ぶのも毎年の楽しみの一つ。旅先で現地産の「塩」を買って、その年の「思い出味噌」にしたこともあったな。
 
今年は去年に続いて、大阪・堺の「糀屋 雨風」さんで材料を購入。

ここの手作り味噌セットは、なんと大豆を「煮た状態」で、生麹とともにクール便で送ってくれる。つまり、作業日を決めて配達指定しておくと、届いてすぐに仕込み開始→ごく短時間で完了。前夜から豆を水につけて、家庭用の鍋で何回かに分けて柔らかくなるまで煮て…というプロセスが省略できるのです。一度楽をしてしまうと、すっかり横着に。(もちろん、去年美味しく出来たのでリピートしたのだけど)
 
でも「すべて自分の手でやらなければ気が済まない」という方はともかく、「手作り味噌がよいのは分かっているけど大量に豆を煮るのが面倒でハードル高い」という人には、こういうお味噌屋さんの取り組みが助けになるのかも。少なくとも私は「苦手なことは得意な人に頼むのが合理的」と考えるタイプで、それが信頼できるプロであるなら、なおよし。
 
自家製の味噌を食べれば、身近な普通のスーパーや外食の味噌とは「全く別の食べ物」であることが分かると思う。広く普及されるものについて、品質を一定に保つために加熱処理はやむを得ないのだろう。しかし、微生物がその中で生き続ける「生の味噌」の奥深い味わいは格別。大豆のつぶし方が雑で時々丸のまま入っていようと(笑)「うちの味噌汁が一番」と思ってしまう。新鮮な具材があれば、なおよし。
 
ちょっと変な喩えだけど、生きているひとと、息を引き取ったあとの亡骸は違う(と私は思う)。見た目は何も変わらず、構造も同じで、成分も殆どが同じであったとしても、もはや生きていた時のあの人とは違う。そこに「いのち」があるかないか、ただそれだけで。
 
生物と静物を分かつもの。
もしかしたら、音と音楽を、線や色と絵画を、単語の羅列と詩を分かつのも、「いのち」の有無なのかもしれない。

世界はおもしろいアナロジーに満ちているなあ。
 
そんなことを考えた、味噌づくりの日。
 
(ではその「いのち」とは何で、どこから来るのか?という次なる問いは、古代の哲学者から現代の科学者に至るまで悩み続けているものなので、ひとまず棚上げ!)

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