律(nori)

週末音楽家(オーボエ奏者)、散文家。大学では哲学を専攻するも主にオーケストラ活動に耽溺…

律(nori)

週末音楽家(オーボエ奏者)、散文家。大学では哲学を専攻するも主にオーケストラ活動に耽溺。現在は音楽とヨガの間を往来しつつ、身体・こころ・魂の領域を探索。ひとりひとりの人生が、美しい世界を創る。 2023年Twitter俳句はじめました。俳号は囀帆(tempo)。

最近の記事

世界はアナロジーに満ちている。

2024年の味噌仕込み完了。 自家製の味噌づくりを始めたのが正確にいつだったのか思えていないけれど、かれこれ25年くらいは続けていると思う。食に関する書籍をあれこれ読んでいた時期に、味噌づくりをしている人の著書を読んで興味を持ったのがきっかけだったか。当時の自宅近所に、いかにも古きよき昔ながらのお味噌屋さんがあることに気づき、そこで材料を購って挑戦したのが始まり。 普段ろくに料理もせず基本的に飽きっぽい私。味噌づくりが続いているのは発酵というプロセスの理科実験的な楽し

    • 美しい世界をつくる、という使命について

      もうずいぶん長い間、ニュースに目を向ければ人の世のいたましさ、生きることの過酷さを突きつけられ、暗澹たる気持ちになるばかりだ。新しい年を迎えたからといって、平穏で安全な場所からこのような能天気な言葉を発することは憚られる気がして、息を潜めて日々を過ごしていた。 それでも今日、久しぶりにレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を手に取って、改めて思う。やっぱり、「美しい世界をつくる」という自分の使命を心に刻もう、と。 このコンセプトは過去の迷いの時期に閃いたもので、

      • 成長や目標から距離をおく

        このところ、自分を甘やかすだの、生産性・効率に背を向けるだのと、成長や自己実現を目指す意識の高い人々から眉を顰められそうなことばかり書いてきた。 そして今日は遂に、成長や目標達成からも距離をおくことを宣言しようと思う。 生産しなければならない、 成長しなければならない、 目標を立て進捗を管理し、 着実に達成しなければならない… そういった風潮には違和感を覚えるのだ。 限られた時間、無駄なことをやっている場合ではない。ライフハックを取り入れ、タスクは素早く効率的に。チャレ

        • 生産性にも効率にも背を向ける

          近頃は、猫も杓子も生産性だ。 効率化だ。競争力だ。 しかし私は、それらのものに背を向けようとしている。 サラリーマンをやっていれば毎日のように生産性を問われ、また自分が周囲にそれを強いざるを得ない場面すらある。 辟易している、というのが正直なところ。 仕事としても十分に取り組んだし、そろそろ、もういいかなと思う。 いやでも必要なタスクは最少の労力でこなしたいし、物事がテキパキと片付く気持ちよさもある。しかし一事が万事「生産性向上!」一辺倒では追われるようで息が詰まるし、何

        世界はアナロジーに満ちている。

          盛大に自分を甘やかし気ままに生きる

          はや2023年1月も終盤、今年初めての散文投稿となった。 相変わらずアウトプット志向低く、マメさに欠ける横着な自分が今日を生きている。 まぁ、それでよいと思う。 日々何かと、やることには事欠かないのだし。 そんな感じで、今年も盛大に自分を甘やかそうと心に決める次第。 自分に高い期待をかけすぎると、「出来なかったこと」ばかりに目が行ってしまう。 自由気ままで少し怠惰なくらいの自分をベースとすれば、いつだって「出来たこと」を喜んで暮らせるはず。 それに、チャンスやセレンデ

          盛大に自分を甘やかし気ままに生きる

          この不穏な美しい世界を生き抜こう

          2022年が終わる。私個人としては、多くの出会いや学びがあり、仲間との音楽の機会にも恵まれ、充実した楽しい1年だった。2年前、音楽活動や人との交流が奪い去られたあの「失われた年」の閉塞感は、過去のものになっている。 平穏な毎日の傍らでは、戦争の報道もミサイルが飛ぶことも日常になってしまった。あきれるほど、人はどんなことにも慣れてしまう。 それでも時にはふと、「何か不穏な感じ」が靄(もや)のように立ち込めていることに気付く。リモートワークの「新しい日常」の中で平和と自由を謳

          この不穏な美しい世界を生き抜こう

          幸せになりたい、と思うことはない。

          幸せになりたい、と思うことはない。 日々折々に、幸せだから。 100%いつも幸せな状態で生きることは出来ない。 将棋の駒が裏返って「成る」ように、不幸な存在から幸せな存在へと自分がまるごと変身するなんてことはない。実際、毎日さまざまな苦悩やストレスに揉まれて生きているのだけれど。 それでも、幸せのタネは日常のそこかしこにある。 望みは幸せ「になる」ことではなく、今この瞬間に幸せ「である」こと。自己の内面に幸せへの感性を育み、センサーを鍛えることも大切。 一方で、人生は

          幸せになりたい、と思うことはない。

          瞑想の夜会

          クリスマスも近づくある晩に「50名の大瞑想会」なるイベントに参加してみた。 ヨガや灸など東洋系の健康企画の一環らしいが、周辺ではイルミネーションやプロジェクションマッピングなどで盛り上がるホリデーシーズンの街中で、多くの人が瞑想のために集まっていることは新鮮な驚き。 ファシリテーターの誘導で50人がそれぞれ瞑想する1時間。それなら一人でやればよいのではとも思われるが、不思議なもので他者と場を共有することで体験が深まることはままある。 瞑想に限らず、たとえばヨガでも同じ場に

          瞑想の夜会

          大いなる「1」~時間のこと(1)

          ある音楽の冒頭を聴いた瞬間に、その演奏がどのように終焉を迎えるかを見通せることがあるそうだ。私にはそういう感性はないけれど、何故そのようなことが起こるのかは分かる気がする。 音楽は時間の芸術であり、時間は容易に切り分けることのできない流体だから。ある楽曲が奏でられている時間は、膨大な時の湖から「楽曲」という器に汲み取られているけれど、その枠内においてあくまで「ひとまとまりの時間」。冒頭から末尾までひとつであるなら、その全体を俯瞰できる人もいるだろう、と。 以前の投稿では、

          大いなる「1」~時間のこと(1)

          好きなことだけで生きていけるか

          そろそろ、好きなことだけで生きてもよいかな、と思い始めた。 やりたくないことに時間を割くほど人生は長くないし。 約束された未来などないから、やりたいことを定年後まで先延ばしする理由もない。 そんな気楽なことを言えるのは無責任な自由人だけ、誰もが好きなことだけで生きていたら世の中は回らなくなる、という意見もあるかもしれない。 しかし、自分には興味がない/好きになれないことも、別の人には楽しくやりがいのある仕事だったりする。多様な人々が世事を補完しあうことで、社会は成立してい

          好きなことだけで生きていけるか

          時の器を満たす ~ マインドフルネスのこと(1)

          自分の演奏を録音で聴いてはいつもがっかりするのだが、「自分が思っているよりも早い」ことがとても多い。 (テンポが「速い」ではなく、音の変わり目や小節線をまたぐ瞬間など、ちょっとしたタイミングが時間的に「早い」) もっとゆったり、もっとたっぷり歌い込んだつもりなのにと。 音程も然り。演奏中の自身の感覚と客観的な録音で差異があることはよくある。耳はいつだって開いて音を受け入れているのに、不思議だ。これはつまり、流れている時間の濃密さに比して自分の意識の粒度が粗く、リアルタイムで

          時の器を満たす ~ マインドフルネスのこと(1)

          教養としてのナントカ

          散歩コースには必ず本屋がある。というよりも、本屋を散歩するのが好き。個性的な書店や充実した図書館、そして本を読める静かなカフェや公園のある街にいつも住んでいたい。 書棚を見渡すと、最近よく目にするのが「教養としての○○」という本。「教養」、割と好きな言葉なのだけど。改めて、教養ってなんだろう。 これまでの人生で出会った、深い教養を感じさせる人々を思い出す。 人生を楽しむ人に特有の朗らかさ。 飽くなき好奇心。豊かな言葉。 独自の世界観を、個性としてまとう。 その世界には憧

          教養としてのナントカ

          心にうつりゆくよしなしごとを

          初期の投稿で自己紹介をするとよい、とnoteがレコメンドしている。 例として、「経歴や生い立ち」「仕事や趣味・特技」のほか、「なぜnoteを始めたのか」「どういう発信をしていくか」と。 確かにネット上に文章を公表するのだから発信、なのだけど。 今のところ、誰かに向けて書くわけでない。むしろ「誰でも読めるけど、たぶん誰も読まない場所」だから書いている(偶然に行きあたることはあっても、積極的には)。テーマも決めていない。 ただ、今この瞬間に自分の内面に満ちている思考・想念(

          心にうつりゆくよしなしごとを

          ライフ・シフト宣言

          夏が終わる。 2022年は10月に入ってなお各地で真夏日を記録。秋がその気配を色濃く漂わせ始めても、しぶとく夏は居座り続けた。今夜もまだ暑いが、明日には一気に冷え込むのだそうだ。ようやく、夏が終わる。 冬は、春の息吹と喧騒の中に消えていく。春と秋は「うつろい」の過程そのものだ。だけど夏には、明確な終わりがある。小さな寂寥と安堵を残して、夏は静かに立ち去る。 私の中でも、ひとつの大きな季節が終わったところ。人生100年時代。私も100年生きるとするならば、今その真ん中に立っ

          ライフ・シフト宣言