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自己責任というのは人を諦めさせる

自己責任、という言葉は人を諦めさせるのではないか?

自己責任となった時、頑張らないからダメだったとか、自分には力がないと思うことが多くありますね。でも本人としてはすごい頑張ってる。これ以上ないってくらいに。そうなると見えてくるのが「自分の限界」という言葉なんです。

自分の限界というものを自分で設定してないか、私はよく自分を確かめます。そもそも私は自分の限界ってものの設定はすごい遠くにあるのですが、たまに心から落ち込むとき、限界が目の前にやってきて、それを理由にして一旦ストップさせてしまうことがあるんです。

パターンとしてはストップさせてから2年後くらいにもう一回やり始めて、別のことやってた2年間がストップさせてたことに良い効果をもたらし、なぜかさらに良くなって自信を取り戻すって感じ。何もやってないって時間が、案外大事なんだなあと思う。ってのの繰り返し。

つまり、自分の限界と思ってたことって、思い込みだったということだと思うの。

全て自分で決めなければならない。

全て自己責任だ。

アートは1人でする仕事だから。

こういう考えって限界を自ら作り始めて、人を諦めさせる要因にしてないだろうか?

私が展覧会の機会に恵まれない、社会的立場がほぼない、という状態なので、自分で頑張って仕事を作っていってます。こんなんなので5月の収入はありません。
この仕事のなさは自己責任でしょうか???

最初はそう思ってたけど、どうも社会の動きが悪いということも見えてきて、私が悪いと、諦める要因を自分の思い込みで作っているのではないか?と考えてます。

自分の思い込みっていうと、やっぱり自分のせいじゃんと、またちょっと自己責任な感じですが、もう少し他人のせいにしてみたりしても良いんだろうなと思うのよね。あんまり好きではないのですが、都合よく大人が悪い、みたいなこと言ってもありなんじゃないかなあと。

自己責任と自分の限界は思い込み。出来ない、というのも思い込み。落ち込んだ時はちょっとだけ他人のせいにして(この場合は口に出すより、心の中で叫んでみるとかが良いと思います)、思い込みを外して限界を突破してみるのも良いんじゃない?

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