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早期引退から3年の感想

 全然やめるつもりなかったのに、突然思いついて仕事を56歳で早期引退した。あれからその前のコロナ休職も含めるとほぼ4年になる。

 そこで今までのところの感想を書いてみたい。

 私が早期引退したのはコロナ真っ最中のの2020年夏。

 日本ではまだ大したことはなかったが、アメリカでは人がバタバタ死んでみんなとても怖い思いをした。

 勤めていた航空会社は少しでも経費を減らすため、最初は休職が可能な人は協力してほしいと求職者を募集。

 その際、国の失業保険が下りるかもしれないということもあって、私もそれに応じて3か月の休職をした。

 そして実際に休んでみたところ、とても快適で、コロナ禍でどこにも出かけないこともあってお金もそんなに使わないで生活できることに気づいた。

 幸いリーマンショックの後、信じられないほど安くなっていた家をオークションで購入して貸していたので家賃収入もある。

 贅沢しなければ仕事をやめても暮らしていけると気づき、「もっと物を買うために仕事する必要ある?」と自問した。

 そしてそのあとすぐに早期引退の募集があったので、それに応じて仕事をやめることに。

 予期していない思わぬ展開になった。

 あれから4年近くたったが、今は思い切ってやめて本当に良かったとおもっている。

 別に仕事が嫌でやめたわけではない。

 気に入っている仕事だったので、年金をもらえる年になるまで続けるつもりだった。

 でもかれこれ合計するともう26年やったし、もういいか、
これからはなんか別のことをしてみよう、という気持ちだった。

 仕事をやめて一番良かったことは、たっぷり時間ができたこと。

 それまでは、旅行するにも遊ぶ約束をするにも日にちが限られていたし、休んでいても翌日の出勤が早かったりすると、早く帰って寝なければと気になって心から楽しめなかった気がする。

 やめてから読んだセネカの「人生の短さについて」という本にとても考えさせられたので、ここに少し抜粋したい。
          *               *

「我々は、短い人生を授かったわけではない。我々が人生を短くしているのだ。我々は、人生に不足などしていない。我々が人生を浪費しているのだ」

「どうして我々は自然に対して不平を漏らすのだろう。自然は恵み深いではないか。人生は、使い方を知れば、長いのだから」

「あなたたちは、まるで永遠に生きられるかのように生きているからだ。
実際、(忙しさで)心が散漫になると、何事も深く受け入れることができなくなる。生きるということから最も遠く離れているのが多忙な人間である」

「人々は時間を、まるで無料のものであるように惜しげもなく使う。
誰も、(失われた)年月を返してはくれないだろう。
あなたは多忙で時間を空けることができない。人生は急いで走り去る。そうこうしている間に、死がやってくるだろう」

「これに対して、あらゆる世俗的な営みから離れて生きる人の人生が長くないはずがあろうか。その人生からは、何一つ奪い取られない・・・何一つ散りじりに分散しない・・・何一つ不注意によって失われない・・言ってみれば、人生全体がもうけとなるのだ」

「多忙な人は皆みじめな状態にある。その中でもとりわけみじめなのは、他人のためにあくせくと苦労している連中だ。彼らは、他人が眠るのに合わせて眠り、他人が歩くのに合わせて歩く。誰を好いて誰を嫌うかという、何よりも自由であるはずの事柄さえ他人の言いなりにならなければならない。そんな人たちが、自分の人生がいかに短いかを知りたがったなら・・」
         *               *

引退してから2、3か月たつと、時間がありすぎて戸惑ったこともある。

そんな時は、大体毎日決まった時間にこれをやると一日の大まかなスケジュールを決めてそれをこなすようにすると、あっという間に一日が過ぎた。
あまり気が進まなくてもやると決めたことはやるようにした。

今は自分のペースができてきて、これからの残った時間でやりたいことも大体方向がみえてきた。

生活できるめどがあって仕事を早期引退するなら、まず自分としっかり向き合う時間を大切にすることをお勧めする。

やることがないと焦って、いろいろ手を出して、結局また忙しくなってしまうならあまりやめた意味がないかもしれない。

 これはあくまで私の感想ですが。





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